プレスリリース

低環境負荷な表面研磨技術を開発―アクリル板と水だけでガラス表面とシリコン表面を平坦化―

 

1.発表者: 
三村 秀和(東京大学 大学院工学系研究科 精密工学専攻 准教授)
郭  建麗(東京大学 大学院工学系研究科 精密工学専攻 博士課程3年生)

 

2.発表のポイント: 
アクリル板(注1)と水だけを用いた、低コストで低環境負荷な研磨法を開発しました。
アクリル板と水だけで、ガラス表面とシリコン表面を原子レベルで平坦化できることを実証しました。
光学機器や半導体機器で使われているミラーや半導体基板の製造における研磨プロセスに、大幅な低コスト化と環境負荷低減をもたらす可能性があります。

 

3.発表概要
東京大学大学院工学系研究科の三村秀和准教授と郭建麗大学院生らのグループは、アクリル板を用いた革新的な研磨技術を開発しました。
鏡面を作る研磨技術は古代から存在しており、現在でも工業分野で大変重要視されています。この研磨技術は、コンピュータ、スマートフォン、自動車などに用いられている半導体電子回路基板の製造に不可欠な技術であり、望遠鏡、顕微鏡に代表される光学機器に搭載するミラーの製造にも用いられています。
一般の研磨技術では、研磨液を流しながら、やわらかいパットを表面に接触させ磨いていきます。現在利用されている多くの研磨液にはCeO2などのレアアースが組成の微粒子や、さまざまな薬液が含まれているため環境にやさしいとは言えず、より低コストで低環境負荷な研磨技術が求められていました。
本研究では、樹脂材料の代表であるアクリルに研磨に適した特性があることを発見しました。実際にアクリル板と水だけで、半導体基板素材の代表であるシリコンの表面と、ミラー素材の代表であるガラスの表面に対して、研磨が可能であることを確認しました。達成した平坦度は表面粗さの指標で0.1 nm(RMS)以下であり、原子レベルで平坦なシリコン表面とガラス表面を実現しました。
今回開発した研磨法は、微粒子や薬液を一切使わない水だけで行う極めてクリーンな研磨法です。使用したアクリル板は特別なものではなく、よく目にする大量に製造されているアクリル板です。こうした理由から、本研究成果は、半導体分野の基板の研磨や光学分野のミラーの研磨において、将来、革新的な環境負荷の低減と低コスト化をもたらす可能性があります。
本成果は、2022年3月3日に米国科学技術雑誌「Applied Physics Letters」のオンライン版に掲載されました。

 

4.発表内容: 
<研究の背景と目的>
材料の表面を鏡のようにツルツルな表面にする技術を「研磨」といいます。研磨で作製された鏡は4000年前の古代エジプトでも使用され、中国でも紀元前5世紀の銅製の鏡が使われていました。日本でも、古墳時代の4世紀~7世紀には鏡が製造されています。この古くからある研磨の技術は、鏡を作製するだけでなく、近代の文明を支える広範なものづくり分野に不可欠な製造プロセスです。
例えば、ガラスの平坦化技術は、顕微鏡、望遠鏡、カメラなどの光学機器を構成するミラー、レンズの製造の中心のプロセスです。また、半導体分野におけるシリコンウエハの平坦化技術は、コンピュータで利用される大規模集積回路(LSI)の製造に用いられています。最先端の科学技術分野においては、新薬開発や電池開発に不可欠なX線分析器に搭載されているミラーや、電気自動車などで不可欠なパワー半導体用のSiCやGaNの基板の研磨が課題となっており、これらの表面に対して原子レベルの平坦性を実現する研磨技術が求められています。こうした研磨技術は世界の中で日本が得意としています。
しかしながら、表面を平坦化するためには、使用する研磨液においてレアアースを含む金属酸化物などの微粒子やさまざまな環境に有害な薬液を用いる必要があります。そのため、研磨プロセスにおいては、より低コストで低環境負荷な研磨技術の開発が求められていました。
本研究の目的は、究極的に低コストで低環境負荷なクリーンな研磨技術の開発です。本研究では、大量生産されている樹脂材料の一つであるアクリルに着目しました。特に、光学分野と半導体分野で最も用いられているガラスとシリコンの表面を原子レベルで平坦化することを目指しました。

 

<研究内容と成果>
本研究のスタートは2017年の偶然の発見にさかのぼります。2017年、東京大学大学院工学系研究科の松澤雄介大学院生(研究当時は博士課程2年、夏目光学株式会社勤務)が、通常のSiO2微粒子を用いた研磨に関する研究において、加工特性の向上を目指してアクリルの微粒子を導入したところ、SiO2微粒子がなくてもガラスの加工ができることを偶然発見しました。アクリルやウレタンなどの樹脂材料は、研磨粒子を運ぶための研磨パッドとして用いられていましたが、これらの材料だけで加工できることは、まったく知られていませんでした。詳しい検証により、アクリル微粒子によりガラスが加工できることは確実であることがわかりました。この発見から、アクリルの特性を利用した精密な加工法に関する研究がはじまりました。アクリル微粒子を用いた加工技術は松澤氏により開発が進められ有機砥粒加工法(OAM:Organic Abrasive Machining)(注2)という名前の高精度ミラーのための超精密加工法に発展しています
その後、東京大学大学院工学研究科の郭建麗大学院生が、加工にはアクリルの水中での加水分解反応(注3)が関与していることを提唱し、アクリルの表面が水中では通常研磨で用いられているSiO2やCeO2など微粒子の表面と同様の性質になることがわかってきました。通常の研磨でも水の存在が重要ですが、水が存在しないとアクリル微粒子ではガラスを加工することができません。また、ポリカーボネートやテフロンなどの多くの有名な樹脂材料がありますが、ガラスを加工できる汎用的な樹脂材料はアクリルのみであることもわかってきました。アクリルは工業的な部品だけでなく、さまざまな日用品の材料に用いられており大量生産されています。アクリルは柔らかく容易に任意の形に加工することができ、とても安価です
こうした背景から、本研究グループは、アクリル板と水だけでガラスの表面が研磨可能ではないかと考え、研究を開始しました。図1に示すようにアクリル製の円形の定盤を作製し市販の研磨装置に取り付けました。そして、水だけでガラス表面の研磨を試みました。図2は、実際に研磨をしているときの写真です。アクリル板を下に、加工物を上にそれぞれ配置し、アクリルと加工表面を接触させ、水道水をかけながら両方を回転させます。
図3は、ガラスの加工前と加工後の表面を原子間力顕微鏡で評価した結果です。両表面において表面の平滑性が改善されていることがわかります。また、広い領域の観察が可能な白色干渉顕微鏡により評価した結果、大幅に平坦性が改善していることもわかりました。驚くべきことに加工したガラス表面は原子レベルで平坦であり、また、実験を重ねた結果、安定的に、原子レベルで平坦なガラス表面が得られることもわかりました。さらに、同装置を用いてシリコン表面の平坦化を試みたところ、原子レベルで平坦なシリコン表面を得ることができました。
これらの優れた加工特性の理由も調べています。加工表面だけでなくアクリル板も加工中に自動的に平坦化され、研磨用の定盤として最適な状態になり、その後長時間にわたって利用可能であることがわかりました。実際、研究においては、同じアクリル板を一年以上使用してもまったく問題なく、半永久的に利用できる可能性があります。

 

<今後の展開>
今回開発されたアクリルのような有機樹脂の定盤と水だけによる研磨手法は、WAPOP(WAter Polishing with Organic Polymer plate)と命名されました。
WAPOPは、アクリル板と水道水さえあれば実現でき、ランニングコストも水道代だけです。微粒子や薬液を用いないため、加工後の特別な表面洗浄も不要です。こうしたことから、WAPOPは、あらゆる研磨法の中で低コストであり低環境負荷であると言えます。
課題がないわけではありません。WAPOPは研磨速度が遅いことが挙げられます。これは、アクリル定盤を工夫することで大幅に改善できる可能性があり、3Dプリンタなどを使いさまざまな形の定盤を作製し適応することで研磨速度の向上が試みられています。
WAPOPの普及先として第一に挙げることができるのは研究開発の用途です。原子レベルで平坦な表面は、半導体分野や光学分野など広範な分野の研究に用いられています。研究開発では小ロットでよく、安価な研磨設備により超平坦な表面を得られることから、企業も含む多くの研究機関への導入が期待されます。
WAPOPの工業分野への導入として考えられるのは、洗浄プロセスを兼ねた最終研磨プロセスの位置づけです。微粒子や薬液の洗浄が不要なため、ある程度研磨した表面を本手法で最終仕上げをする工程が挙げられます。
貴重なレアアースや危険な薬品を一切用いないWAPOPは、SDGsのコンセプトに沿った環境にやさしい研磨手法です。今後の更なる研究開発により、WAPOPの普及が期待されます。

 

<謝辞>
本研究は、文部科学省「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)」(JPMXS0118068681)と文部科学省「ナノテクノロジープラットフォームプロジェクト」(JPMXP09A21UT0287)助成により行われました。

 

5.発表雑誌: 
雑誌名:「Applied Physics Letters」(オンライン版:3月3日)
論文タイトル:Atomic-level smoothing of glass and silicon surfaces by water polishing with an acrylic polymer plate
著者:Jianli Guo*,Yusuke Matsuzawa,Gota Yamaguchi,Hidekazu Mimura*
DOI番号:10.1063/5.0078593

 

6.用語解説: 
注1:アクリル樹脂
正式名称は、ポリメタクリル酸メチル樹脂(Polymethyl methacrylate)略称PMMA。古くに工業化され大量生産されている樹脂材料の一つ。高い透明性、耐衝撃性、熱可塑性形成、着色性があるため、窓材、照明のカバー、水槽、事務用品にいたるまでさまざまな用途で用いられている。最近では3Dプリンタ―用の光硬化性のアクリル樹脂も開発されている。

注2:有機砥粒加工法 OAM(Organic Abrasive Machining)
超精密加工法の一つ。一般的な砥粒を用いた精密加工技術では、SiO2などの無機粒子の利用が一般的であるが、本加工法ではアクリル粒子やウレタン粒子などの有機材料を原料とした微粒子を用いる。粒子の比重が軽いため加工液の取り扱いが容易であり、大きな粒子が使えるため、優れた加工特性が実現されている。

注3:加水分解反応
物質と水が化学反応を起こし、物質が分解され生成物が得られる反応。水H2OがHとOHに分かれて生成物に取り込まれる。アクリル樹脂を対象とした加水分解反応は、アクリル内のエステル基がカルボン酸とアルコールに分解する反応のことをいう。

 

7.添付資料

fig1図1 アクリル板と水だけの研磨法 (WAPOP) の概要

 

fig2図2 アクリル定盤と水だけでガラスを研磨している様子

 

fig3

3 加工前後のガラスとシリコン表面の平坦性の比較
原子レベルの平坦性のガラス表面とシリコン表面を実現

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

Applied Physics Letters:https://aip.scitation.org/doi/10.1063/5.0078593