プレスリリース
- 研究
- 2023
新型電子顕微鏡で鉄鋼粒界の特異な原子配列を発見 ―高性能鉄鋼材料の開発を加速―
発表のポイント
◆ 新開発の原子分解能磁場フリー電子顕微鏡を用いて、従来観察が極めて困難であった鉄鋼粒界の原子直接観察に成功した。
◆ 観察結果と理論計算を組み合わせることで、粒界の原子配列は単純な周期をもたない非整合構造であることを明らかにした。
◆ 本成果は、粒界原子配列の常識を覆すとともに、鉄鋼材料の組織制御をさらに高度化することで高性能な鉄鋼材料の開発に資すると期待される。
原子分解能磁場フリー電子顕微鏡により明らかにされた鉄鋼材料の特異な粒界原子配列
概要
東京大学大学院工学系研究科附属総合研究機構の関岳人 助教、二塚俊洋 大学院生、柴田直哉 機構長・教授、幾原雄一 教授らのグループは、日本製鉄株式会社の森重宣郷 上席主幹研究員、松原稜 氏と共同で、新開発の電子顕微鏡を用いてケイ素鋼(注1)の結晶粒界(注2)を原子レベルで直接観察し、その原子配列を解明することに初めて成功しました。
ケイ素鋼は電磁鋼板として用いられる鉄鋼材料であり、変圧器(注3)やモーター・発電機の鉄心(注4)に利用されています。またケイ素鋼は、より高効率な電気エネルギーの利用において極めて重要なエネルギー変換材料であると考えられています。鉄の結晶には磁化(注5)しやすい磁化容易軸が存在するため、鉄鋼材料を鉄心として使用する際に磁界のかかる方向に磁化容易軸を揃えた結晶粒とすることで、高いエネルギー効率を有する鉄心を製造することができます。結晶方位を揃えた材料組織を作り込むためには、結晶粒界の制御が極めて重要と考えられていますが、その原子配列はこれまで未解明でした。セラミックスなどの結晶粒界における原子配列は最先端の走査透過電子顕微鏡法(STEM:Scanning Transmission Electron Microscopy)(注6)により直接観察することが可能ですが、電子線のレンズとして磁界レンズ(注7)を用いるために、鉄鋼材料のような磁性材料(注8)の観察は極めて困難であり、これまでに直接観察された例はありませんでした。
今回、新開発の原子分解能磁場フリー電子顕微鏡(MARS:Magnetic-field-free Atomic-Resolution STEM)(注9)を用いることで、ケイ素鋼の粒界原子配列観察に成功しました。また、理論計算を組み合わせることで、観察された結晶粒界は単純な周期(注10)をもたない非整合(注11)と呼ばれる特異な原子配列であることが明らかになりました。このような特異な原子配列の出現により、結晶粒界のエネルギーを大きく安定化させることが示唆されます。本研究成果は、結晶粒界は周期的な原子配列をもつという従来の常識を覆すとともに、鉄鋼材料における精緻な組織制御への原理的な理解を深め、より高度な制御に資するものと考えられます。
本研究成果は、2023年12月5日(英国時間)に英科学誌「Nature Communications」のオンライン版で公開されました。
発表内容
〈研究の背景〉
高効率な電気エネルギーの利用は、持続可能な社会の実現に向けて不可欠です。変圧器やモーター・発電機の鉄心に利用される磁性材料の一種である電磁鋼板は、極めて重要なエネルギー変換材料です。鉄の結晶には磁化しやすい磁化容易軸が存在するため、鉄心として用いられる際に磁界のかかる方向と磁化容易軸の結晶方位を揃えることで、高いエネルギー変換効率を実現できます。結晶方位の制御においては、鋼の熱処理中に生じる結晶粒界の移動現象が中心的な役割を果たすため、結晶粒界の原子配列をよく理解することが必要です。電磁鋼板においては、特定の方位関係を有する粒界が極めて重要であると考えられています。この粒界は結晶方位のΣ(シグマ)値(注12)が9となる粒界(Σ9粒界)であり、これまでの研究によって、Σ9粒界は他の方位の粒界に比べて熱処理中に移動しやすいため、結晶方位を揃えるトリガーとなることが指摘されています。しかし、なぜΣ9粒界が特別に移動しやすいのかについては知見が不足していました。
STEMは極めて高い空間分解能を有し、セラミックスなどの結晶粒界の原子配列解析手法として広く実用化されています。しかしながら、電子顕微鏡は対物レンズに磁界レンズを用いるため、鉄鋼材料のような磁性をもつ試料は破壊されたり、電子線の軌道と相互作用したりすることで光学系が乱されたりしてしまうために、粒界原子配列の観察はこれまで著しく困難でした。
〈研究の内容〉
今回、本研究グループは試料位置を無磁場条件に保ちつつ原子分解能観察が可能な新型の電子顕微鏡(MARS)を用いて、ケイ素鋼の結晶粒界観察を試みました。試料は2つのケイ素鋼の単結晶を接合することで人工的にΣ9粒界を作製して、観察を行いました。図1(a,b)に結晶粒界の電子顕微鏡観察結果を示します。粒界における原子配列を明瞭に直接観察することに成功しました。Σ9粒界の原子配列に関しては、多くの先行研究によって理論的に最安定となる原子配列が予測されていましたが、いずれの場合も図1(c)に示す原子配列を予測しており、今回の観察結果は従来の予測とは異なる原子配列を示していました(図1(d))。
図1:ケイ素鋼粒界のSTEM像
(a)ケイ素鋼Σ9粒界を110方向から観察したSTEM像。図中の矢印は結晶方位を示す。(b)結晶粒界の複数の同一原子配列部分を平均したSTEM像。(c)先行理論研究により予測された安定原子配列。(d)直接観察結果(b)と先行研究の予測原子配列(c)を重ねた比較。粒界直上の原子配列が全く異なることが分かる。
そこで、新たな理論計算手法を用いた粒界の安定原子配列の探索研究を行いました。従来の探索手法では安定原子配列を発見することが困難と考えられることから、より広範な原子配列候補を探索することのできるシミュレーティッド・アニーリング(注13)と呼ばれる手法を採用し、さらに観察方向の周期を大きく変化させて探索を行いました。その結果、奥行き方向の周期がケイ素鋼の結晶構造周期の8倍のときに観察結果と良く一致する安定な原子配列が出現し、先行研究の予測原子配列よりも安定になることが明らかになりました。図2(a,b)に今回新たに見出された安定粒界原子配列と実験結果を比較します。理論計算による安定原子配列と観察結果が非常によく一致していることが分かります。また、観察方向に対して垂直方向から安定原子配列をみると、水色と青で示す五員環(注14)が互い違いに配置し、周囲の結晶と同じ周期で配列していることが分かります。これに対して赤色で示す中心原子は、大きく分けると“p”で示す五員環の中心に配置する場合と、“i”で示す原子層間に配置する場合があり、この2種類の原子配置により8倍という長い周期が生じていることが分かります。また、この原子配列は図2(d,e,f)に示す3種類の多面体の配列とみなすことができます。特に図2(d)に示す20面体クラスターは、原子の局所的な稠密(ちゅうみつ)配列として金属間化合物(注15)や準結晶(注16)、金属ガラス(注17)などに普遍的に見られる配列であり、この粒界配列が稠密配列をとることで安定化していることを示唆しています。
図2:新たに明らかになった結晶粒界の安定原子配列
(a)安定原子配列の観察方向からの投影配列。観察方向に対して奥行きの位置の違いを青色と水色で表す。粒界直上に存在する青色原子と水色原子の2つの五員環を五角形で表し、その中心原子を赤色で表している。(b)安定原子配列を観察像に重ねた比較。すべての原子配列が一致していることが分かる。(c)安定原子配列を観察方向に対して垂直方向からみた図。原子の色は(a)と同様。原子層間に位置する中心原子を“i”、五員環の中心に位置する中心原子を“p”で表している。(d,e,f)粒界の原子配列を構成する3つの原子配列多面体。
さらにシミュレーティッド・アニーリングの計算結果を詳細に解析した結果、粒界の多面体の配列を変化させても、ほぼ同等の粒界エネルギーを示すことが分かりました。この結果は、現実の結晶粒界では多面体が単純な周期をもたない非整合配列となっていることを強く示唆しています。さらに、非整合配列ではフェイゾン(注18)と呼ばれる自由度により、特異な配列ゆらぎが生じている可能性があるため、一定温度における8倍周期配列の時間変化を分子動力学計算(注19)により観察すると、局所的な原子位置の変化によって異なる多面体配列に簡単に遷移できることが明らかになりました。これにより、従来考えられてこなかったエントロピー(注20)による結晶粒界の安定化機構の存在が強く示唆されました。本研究によって、Σ9粒界は従来の理論予測よりも安定な構造であることが明らかとなり、さらにフェイゾン自由度に関連した特異なエントロピー利得による付加的な安定化機構が存在することを解明しました。これらの結果は、Σ9粒界が従来考えられていたよりもはるかに低い粒界エネルギーを有し、非常に移動しやすい粒界であることを示唆しています。本結果は、方向性電磁鋼板を代表とする磁性材料、ひいては鉄鋼材料の組織制御メカニズムを考える上で極めて重要な知見となります。
〈今後の展望〉
今回、新開発の原子分解能磁場フリー電子顕微鏡を用いることで、鉄鋼材料の粒界原子配列の直接観察に成功し、全く新しい粒界原子配列の存在を発見しました。今回明らかになった原子配列は単純な周期をもたない非整合原子配列であり、結晶粒界の原子配列は周期的であるという従来の常識を覆すものです。従来の粒界研究では非整合原子配列の可能性は考慮されていなかったことから、本成果はこれまでの原子配列や構造安定性、粒界移動機構などを根本的に見直す必要性を強く示唆するものであるとともに、原子レベルからの新材料製造プロセス構築への重要な一歩になると期待されます。
発表者・研究者等情報
東京大学大学院工学系研究科附属総合研究機構
関 岳人 助教
二塚 俊洋 博士課程
柴田 直哉 機構長・教授
幾原 雄一 教授
日本製鉄株式会社
森重 宣郷 上席主幹研究員
松原 稜
論文情報
雑誌名:Nature Communications
題 名:Incommensurate grain-boundary atomic structure
著者名:Takehito Seki*, Toshihiro Futazuka, Nobusato Morishige, Ryo Matsubara, Yuichi Ikuhara, Naoya Shibata*
DOI:10.1038/s41467-023-43536-0
URL:https://www.nature.com/articles/s41467-023-43536-0
研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業「さきがけ(課題番号:JPMJPR21AA)」、「ERATO(課題番号:JPMJER2202)」、先端計測分析技術・機器開発プログラム(課題番号:JPMJSN14A1)、日本学術振興会科学研究費補助金「若手研究(課題番号:20K15014)」、「基盤研究(S)(課題番号:20H05659)」、「基盤研究(A)(課題番号:20H00301)」、「新学術領域研究(研究領域提案型)(課題番号:19H05788)」、「特別推進研究(課題番号:17H06094)」、「特別研究員奨励費(課題番号:JP22J15213)」、文部科学省「マテリアル先端リサーチインフラ事業」、風戸研究奨励会の支援により実施されました。
用語解説
(注1)ケイ素鋼
鉄にケイ素を添加した合金。本研究では3%添加したケイ素鋼を用いた。
(注2)結晶粒界
異なる結晶粒と結晶粒が接する境界。ほとんどの結晶性の材料は多結晶体であり、多くの結晶粒界が存在する。
(注3)変圧器
電気を高い電圧から低い電圧、またはその逆に変換する装置。コイルにより生じる磁場を介して、もう一方のコイルに起電力を生むことで電圧を変換する。
(注4)鉄心
変圧器やモーターなどにおいて、磁場の経路となる部分。主に鉄やその合金で作られ、磁束を効率よく伝える役割を果たす。
(注5)磁化
物質の中に磁気が生じること。
(注6)走査透過電子顕微鏡法(STEM:Scanning Transmission Electron Microscopy)
原子スケールまで絞った電子線を試料上で走査し、透過・散乱した電子を検出し像を形成する顕微鏡法。通常は環状の検出器が用いられ、その幾何学的配置により結像特性が決定される。光学顕微鏡の分解能の原理的な限界(およそ1マイクロメートル)を超え、原子を直接観察することが可能。
(注7)磁界レンズ
電子顕微鏡で広く用いられるレンズ。磁界(磁場)中を電子が通過すると軌道が曲げられる効果を利用している。
(注8)磁性材料
磁石を近づけると引きつけられるような、磁界と相互作用する物質。
(注9)原子分解能磁場フリー電子顕微鏡(MARS:Magnetic-field-free Atomic-Resolution STEM)
東京大学と日本電子株式会社により開発された、磁場フリー環境で原子配列を直接観察することのできる新型の電子顕微鏡。MARSとして実用化されている。
(注10)周期
原子配列の規則正しい繰り返し。これまで粒界は安定な原子配列の繰り返しであると考えられてきた。
(注11)非整合
単純な周期とは異なる秩序状態。非整合原子配列は周期をもつことはないが、ランダムではなくある規則に従って原子が配列する。
(注12)Σ(シグマ)値
結晶格子の幾何学的関係により定義される粒界の整合度を表す値。数値が小さいほど整合度が高い。
(注13)シミュレーティッド・アニーリング
ランダムな原子配列を初期配列として、計算機上で高い温度から徐々に温度を下げることで安定な原子配列を探索する手法。
(注14)五員環
五角形の頂点に配列した5つの原子。
(注15)金属間化合物
2種類以上の金属元素の組み合わせで構成される化合物。しばしば複雑な原子配列を示す。
(注16)準結晶
通常の周期とは異なる長距離秩序をもつ物質。
(注17)金属ガラス
長距離秩序をもたないアモルファス原子配列を有する金属。
(注18)フェイゾン
非整合原子配列や準結晶の原子配列を数学的に記述する際に必然的に生じる余分な自由度。
(注19)分子動力学計算
原子や分子の動きを計算機上でシミュレーションする方法。
(注20)エントロピー
物質の状態の乱雑さを表す熱力学量。原子配列にゆらぎがあると、複数の原子配列をとれるためエントロピーが高い。
プレスリリース本文:PDFファイル
Nature Communications:https://www.nature.com/articles/s41467-023-43536-0