プレスリリース

ゲルのやわらかさを決める 「負のエネルギー弾性」の起源を解明

 

■ゲルのやわらかさを決める「負のエネルギー弾性」のミクロな起源を、シンプルな数理モデルを用いて理論的に解明しました。
■負のエネルギー弾性は、特定のゲルだけでなく、様々なゲルに一般的な性質であることを示しました。
■今回の成果は、ゼリーの食感や医療材料の触感の理論的な予測・制御への第一歩となります。
■コロナ禍の状況がきっかけや追い風となって進展した共同研究です。

 

【概要】
三重大学総合情報処理センターの白井伸宙助教と東京大学大学院工学系研究科の作道直幸特任准教授が、ゲルのやわらかさを決める「負のエネルギー弾性」の起源を解明しました。ゲルはゼリーやソフトコンタクトレンズなど、ぷるるんとした食感・触感が特徴の水分を含んだ物質です。ゲルの食感・触感を決める弾性率は、100年近く、エントロピー変化によるエントロピー弾性で説明されてきました。ところが近年、ゲルはエントロピー弾性に加えて、大きな「負のエネルギー弾性」を持つことが明らかになりました(図1)。
本研究では、ゲルの網目あみめを構成する1本のひも(高分子鎖)に注目し、数学的な理論解析により、負のエネルギー弾性はひもと水(溶媒)が引き合う力(引力相互作用)に由来することを明らかにしました。この結果は、負のエネルギー弾性が特定のゲルに限られた性質ではなく、私たちの生活を取り巻くゲルが一般的に持つ普遍的な性質であることを示しています。本研究は、ゲルの弾性率(かたさ・やわらかさ)を理解するための新理論構築への第一歩であり、将来的にゼリーの食感や医療材料の触感の理論的な予測や制御につながると期待されます。
本研究成果は、米国物理学会発行の学術誌Physical Review Lettersに2023年4月4日(米国東部時間)にオープンアクセス(閲覧無料)で掲載されました。

 

fig1

【背景】
ゲル*1)は高分子*2)と水などの溶媒でできています。高分子は長いひも状の分子で、ゲルにおいては、公園にあるロープ製のジャングルジムのような網目構造を形成しており、その網目の中に大量の溶媒を含んでいます(図2a)。身近なゲルにはゼリーやソフトコンタクトレンズ、おでこに貼る冷却シートなどがあります。指でつつくとぷにぷにとした触り心地で、容易に変形しつつも元の形に戻る弾力があり、この元に戻る性質を弾性と呼びます。
ゲルの弾性の起源の1つはエントロピー弾性*3)です。エントロピー弾性を持つ典型的な物質はゴムです。ゴムは図2aで示したゲルから水分子を取り除いたものに相当し、ゲルと同じく高分子の網目からできています。輪ゴムを引っ張ると元に戻す力が働きます(図1上)が、これはエントロピーの変化により説明できます。高分子の網目は、引っ張る前は自由な形を取れますが、引っ張ると網目を構成するそれぞれのひもが伸びた形に限定されます。これらのひもは、熱運動によりエントロピーが高い乱雑な状態へ向かうため、引っ張られた輪ゴムは元の状態へ戻ろうとするのです。この復元力による弾性はエントロピー弾性と呼ばれます。
近年、ゲルの弾性には、エントロピー弾性と同時に、反対向きの大きなエネルギー弾性*3)が働くことが発見されました(図1下、参考文献1)。つまり、ゲルを引っ張るとエネルギーが低い状態になり、エネルギーの変化のみを考えると、ゲルは変形したがっていることがわかりました。変形にあらがう性質が「(正の)弾性」であるのに対して、変形したがる性質は「負の弾性」であるため、この性質を「負のエネルギー弾性*4)」と呼びます。ゴムにもエネルギー弾性が存在しますが、エントロピー弾性に比べて無視できるほど小さいため、負のエネルギー弾性はゲルに特有の性質です。しかし、そのミクロな起源や一般性はわかっていませんでした。

 

fig2

 

図2:ゲルと本研究に用いた数理モデルの概念図

(a) ゲルは高分子が作る3次元的な網目(灰色)の中に大量の水分子(青丸)を保持しています。(b) ゲルを構成する高分子の網目のうちの一本のひもに注目し、格子点をつないだ経路として表現しています。ひも状分子の周りに水分子(青丸)が存在し、ひも状分子と水分子の間に引き合う力(引力相互作用)が働いています。今回の研究では、ひも状分子の両端を引っ張ったときの引力相互作用の効果を数学的に計算しました。

 

 

【研究内容】
今回の研究では、実験で示された負のエネルギー弾性のミクロな起源を探るため、ゲルの高分子の網目をすべて取り扱うのではなく、網目の中の1本のひも状分子に注目しました。そして、小学校にあるジャングルジムのような格子に、ひも状分子とそれを取り巻く水分子が配置されている数理モデルを用いて研究を進めました(図2b)。ひも状分子は格子点をつないだ経路として表現されており、経路には同じ点を通らないという制約があります。このような経路は自己回避ウォーク*5)と呼ばれ、数学や数理物理学の研究対象となっています。用いた数理モデルでは、ひも状分子と水分子の相対位置でエネルギーの値が決まります。ひも状分子の配置の場合の数を数えることで、ひも状分子のエントロピー弾性とエネルギー弾性を同時に計算できます。場合の数の厳密な数え上げと理論計算によって、ひも状分子と水分子の間に引き合う力(引力相互作用)が働くときに負のエネルギー弾性が生じることを数学的に示しました。数理モデルの計算結果(図3b)は、ゲルの弾性率およびエントロピー・エネルギー弾性の温度変化(図3a)の実験データの振る舞いをよく再現しています。この結果は、高分子の網目からできているゲルについて、網目の中の1本のひも状分子をよく調べることで、負のエネルギー弾性の特性を説明できることを示しています。今回、化学的な個性を考慮していないシンプルな数理モデルで負のエネルギー弾性が生じることが示されたことは、負のエネルギー弾性が特定のゲルに限られた性質ではなく、ゲルが持つ一般的な性質であることを意味しています。

 

fig3

 

図3:実験と理論の比較。(a)先行研究(参考文献1,2)で行われたゲルの弾性率の測定結果

温度を変えて弾性率を測定することでエントロピー弾性とエネルギー弾性に分解した結果、エネルギー弾性は負の値を取ることが分かりました。(b)数理モデルが示したひもの弾性の温度変化。ゲルを構成するひも状の分子と水分子が引き合う力(引力相互作用)によって、負のエネルギー弾性が生じることを数学的に示しました。得られた結果(b)は、ゲルの弾性率の実験結果の振る舞い(a)をよく再現しています。

 

【今後の展望】

今回の研究により、ひも状分子と水(溶媒)分子の引力があれば、どんなゲルでも負のエネルギー弾性を持ちうることがわかりました。つまり、ゼリーや医療材料などの様々なゲル材料について、弾性率を理解するには、負のエネルギー弾性を考慮した理論を構築する必要があります。今後、今回の理論を土台として、それぞれのゲルの個性を取り込んだ複雑なモデルの解析やそれらのモデルに対応する実験を通じてゲル弾性の理解が進めば、ゼリーの食感や医療材料の触感などの理論的な予測や制御へとつながると期待されます。

 

【研究の経緯】

本共同研究が始まったきっかけは、コロナ禍の影響でオンライン開催となった「負のエネルギー弾性」に関する作道の招待講演に白井が参加したことです。白井がSNS上に投稿した感想を見た作道は、白井が書いた自己回避ウォークに関する記事を読んだことがあり、その内容を負のエネルギー弾性の理論研究に応用できると考えたため、白井とコンタクトを取りました。研究発表のその翌日、リモートの共同研究がスタートしたのです。お互いが異なる背景の知識と経験を持ち寄り、アイディアを出し合うことで研究は急速に進み、133時間ものリモートの議論を経て、一度も会うことがないまま原著論文にまで仕上げました。論文の投稿から半年後、規制緩和により対面で開催された日本物理学会にて二人は初めて直接顔を合わせることになりました。通常、コロナ禍のような状況は共同研究の障害となります。しかし、この共同研究では、コロナ禍の状況がむしろ追い風となって始まり、進展を見せました。コロナ禍が生んだコラボレーションといって良いでしょう。

 

【用語解説】

*1) ゲル

ゲルの正確な定義は、「液体によって全体の体積が膨張した非流動性のコロイド状網目または高分子網目」です。網目成分に応じて、コロイド状ゲル(コロイドサイズの粒子の網目)、高分子ゲル(高分子の網目)などに分類されますが、本稿では高分子ゲルのことを単に「ゲル」と呼びます。

 

*2) 高分子

基本単位であるモノマー分子が化学結合によって多数つながってできた分子量の大きい分子を高分子(ポリマー)と呼びます。モノマー分子のつながり方によって、線状のもの、枝分かれを持つもの、三次元的に網目を作るものなど様々な高分子の形ができあがります。高分子の例として、プラスチック・ゴム・タンパク質・DNAなどが挙げられます。網目状の高分子に大量の溶媒が溶け込んだものがゲルです。

 

*3) エントロピー弾性とエネルギー弾性

弾性とは、変形した物質が元に戻る性質です。エントロピー弾性はエントロピーの増大で発生する弾性です。エネルギー弾性はエネルギー(正確には内部エネルギー)の減少で発生する弾性です。一般に、物質のかたさ・やわらかさ(弾性率)は、エントロピー弾性とエネルギー弾性の合計で決まります。ゴムの弾性はエントロピー弾性が主でエネルギー弾性の効果は無視できます。一方、金属やセラミックなどの物質の弾性は(正の)エネルギー弾性の割合が大きいことが知られています。

 

*4) 負のエネルギー弾性

ゴムの弾性はエントロピー弾性が支配的である(*1)のに対し、ゲルの弾性にはエントロピー弾性の効果に加えて無視できないエネルギー弾性が含まれていることが2021年に発見されました(参考文献1)。ゲルの弾性において、エネルギー弾性は弾性率を下げるため、「負の」エネルギー弾性と呼ばれます。

 

*5) 自己回避ウォーク

ひも状の高分子を表現したシンプルな数理モデルの一種。格子点の上を1区画ずつ進んだ経路として定義されており、「同じ点は2度通らない」という制約条件がついています。自己回避ウォークは、1940年代に定式化され、現代でも物理学者・数学者によって研究されています。本研究ではひも状の高分子を表す自己回避ウォークとその周りの水分子の相互作用を取り入れたモデルを用いました。

 

 

【参考文献1

Negative Energy Elasticity in a Rubberlike Gel”

Yuki Yoshikawa, Naoyuki Sakumichi, Ung-il Chung, and Takamasa Sakai

Physical Review X 11, 11045 (2021).

https://doi.org/10.1103/PhysRevX.11.011045

プレスリリース:

https://www.t.u-tokyo.ac.jp/soe/press/setnws_202103081004355654589480.html

 

【参考文献2

Temperature Dependence of Polymer Network Diffusion”

Takeshi Fujiyabu, Takamasa Sakai, Ryota Kudo, Yuki Yoshikawa, Takuya Katashima, Ung-il Chung, and Naoyuki Sakumichi

Physical Review Letters 127, 237801 (2021).

https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.127.237801

 

【論文情報】

掲載誌:Physical Review Letters

掲載日:202344日(米国東部時間)

DOI番号:https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.130.148101

論文タイトル:Solvent-Induced Negative Energetic Elasticity in a Lattice Polymer Chain

著者:Nobu C. Shirai, Naoyuki Sakumichi

 

本研究は、JSPS科研費JP22K13973JP19K14672JP22H01187の助成を受けたものです。

 

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

Physical Review Letters:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.130.148101