熱力学的トレードオフ関係における対称性の効果を解明 ―高速動作と省エネ性を両立する熱デバイスの実現に向けて―

Feb 28, 2025 2:03:22 PM

 

発表のポイント

量子系が熱浴と相互作用する量子開放系のダイナミクスにおいて、系を操作する速度とエネルギーコストの関係に対称性が与える影響を理論的に明らかにした。

対称性がもたらす熱力学的な優位性を統一的に取り扱い、その限界を求めることで、従来の研究で知られていた量子熱機関の性能をはるかに超える熱機関のモデルを構築した。

高速で動作しつつ省エネルギー性を実現するような熱デバイスや量子情報処理デバイスの設計原理につながることが期待される。

 

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本研究における熱力学的なトレードオフ関係と対称性の効果の概念図。(a)対称性があると、熱デバイスをより高速に操作しつつ、エネルギーコストを小さくできる。(b(c)図の灰色の矢印は量子ビットの状態を模式的に表している。個々の量子ビットを入れ替えたり、並び変えたりするような変換に対して、(b)の図は非対称だが、(c)の図は対称である。

 

 

概要

東京大学大学院工学系研究科の布能謙講師と、電気通信大学大学院情報理工学研究科の田島裕康助教は、エネルギーコストと系を操作する速度や熱が流れる速度の間に成り立つ熱力学的トレードオフ関係(注1)が対称性(注2)によって改善される原理及びその限界と、その限界を達成するために量子開放系(注3)が満たすべき対称性の条件を理論的に明らかにしました。本研究成果は、量子開放系における対称性の度合いによって熱力学的トレードオフ関係が改善され、より高速で動作しつつ低いエネルギーコストを実現できることを意味しています。このような対称性による熱力学的な優位性を一般的に示し、その限界を解明することで、古典力学に従って動作する熱機関をはるかに超える仕事率(注4)を実現しつつ、理想効率であるカルノー効率(注5)に近い効率を実現する量子熱機関(注6)のモデルを構築することに成功しました。本成果は、今後高速で動作しつつ省エネルギー性を実現するような熱デバイスや量子情報処理デバイスの設計原理につながることが期待されます。

 

発表内容

【研究の背景】

熱機関、冷凍機、量子バッテリーのようにエネルギーを変換・保存する熱デバイスや、量子計算などを実装する量子情報処理デバイスでは、高速動作と省エネルギー性の実現が重要な目標となります。近年、熱力学はマイクロスケール・ナノスケールといった非常に小さい系へと拡張され、操作速度とエネルギーコストの間には普遍的な熱力学的トレードオフ関係があるということが、これまでの研究によって明らかにされてきました。そうした研究の中で、量子効果を用いることで、古典力学的な熱機関では不可能(関連情報[1])とされている、ゼロでない仕事率を発揮しつつ、理想効率であるカルノー効率に近い効率で動作する量子熱機関の存在が明らかになってきました(関連情報[2])。しかし、そのような量子熱機関がどの程度まで強力な性能を獲得しうるかについて、原理的な限界は明らかにされていませんでした。

 

【研究内容】

本研究では、対称性に基づいた理論的枠組みを構築することで、エネルギーコストと系を操作する速度や熱が流れる速度の間に成り立つ熱力学的トレードオフ関係を特徴づける量である、アクティビティ(注7)と呼ばれる量の上限を与える一般的な不等式関係を解析的に導出しました。ここで、アクティビティが大きければ大きいほど、より高速動作かつ低エネルギーコストが実現できることを意味しています。さらに、アクティビティを最大にするために量子開放系が満たすべき対称性の条件を理論的に明らかにし、対称性の度合いによってアクティビティをどの程度増大できるのかを求めました(図1)。また、本研究で得られた対称性の条件を満たすような量子熱機関のモデルを量子ビット系で構築することで、量子ビット数を増やしていくと、その数の2乗から指数乗に比例する仕事率を実現しつつ、効率が理想効率であるカルノー効率に近づいていくことを示しました(図2)。

 

fig1

1:熱力学的トレードオフ関係と対称性によるアクティビティの増大

a)エネルギーコストと速度の間の熱力学的トレードオフ関係とアクティビティの関係。(b)今回求めた対称性の条件により近くなるほどアクティビティが増大する。N個の量子ビット系モデルによる計算では、従来知られていた“強い”対称性条件と“弱い”対称性条件を満たす場合(緑線と黄色線)に比べて、N3倍(青線)から最大で指数倍(赤線)の増大を見せる。

 

 

fig2

2:本研究で求めた対称性の最適条件の量子熱機関への応用

a)熱機関の熱・仕事変換効率を理想効率であるカルノー効率で規格化したプロット。量子ビット数が増えるほど、カルノー効率(灰色の点線)に近づいていく。(b)熱機関から単位時間当たり取り出せる仕事を表す仕事率のプロット。量子ビット数を増やした時の仕事率のスケーリングが、従来知られていた量子熱機関モデル(緑色)に対して、本研究で得られた成果を活用すると最大で指数乗の増大が起きる(赤色)。

 

 

【研究の意義、今後の展望】

本研究では、対称性によって熱力学的トレードオフ関係を改善できる限界とその最適な条件を明らかにしました。今後、高速動作と省エネルギー性を両立する熱デバイスや量子情報処理デバイスの設計原理につながることが期待されます。特に、従来理論的に提案されていた熱機関の性能をはるかに超えるような量子熱機関の理論的なモデルを構築することに成功したため、高い効率と仕事率を併せ持つ熱機関の実現に役立つことが期待されます。

 

 

〇関連情報:

[1] N. Shiraishi, K. Saito, and H. Tasaki, Phys. Rev. Lett. 117, 190601 (2016).

[2] H. Tajima and K. Funo, Phys. Rev. Lett. 127, 190604 (2021).

 

 

発表者・研究者等情報                                        

東京大学 大学院工学系研究科

布能 謙 講師

 

電気通信大学 大学院情報理工学研究科

田島 裕康 助教

 

論文情報                                          

雑誌名:Physical Review Letters

題 名:Symmetry induced enhancement in finite-time thermodynamic trade-off relations

著者名:Ken Funo* and Hiroyasu Tajima

DOI10.1103/PhysRevLett.134.080401

URLhttps://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.134.080401

 

研究助成

本研究は、科研費「学術変革領域B(課題番号:JP24H00830JP24H00831)」、「若手研究(課題番号:P23K13036)」、科学技術振興機構(JST)「ERATO(課題番号:JPMJER2302)」、「さきがけ(課題番号JPMJPR2014)」、「ムーンショット型研究開発事業(課題番号JPMJMS2061)」の支援により実施されました。

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用語解説

(注1)熱力学的トレードオフ関係

ここでは、エネルギーコストを小さくすることと、系を操作する速度や熱が流れる速度を上げることが両立しないことを指してトレードオフ関係と呼んでいます。

 

(注2)対称性

ある特定の変換のもとで、物理系が変化しない場合に、対称性があると言います。左右対称や回転対称などがあります。本研究では、個々の系を入れ替えたり、並び変えたりするような変換に対して状態が変化しないような対称性がある量子ビット系を用いて、量子熱機関の理論的なモデルを構築しました。

 

(注3)量子開放系

量子系が周りの他の系(例えば熱浴(熱力学において、等温の巨大な環境のこと))と相互作用するとき、量子開放系と呼ばれます。これは量子系のエネルギーが周囲へと失われる状況や、周囲からのノイズの影響を解析することができる理論的枠組みとなっています。

 

(注4)仕事率

熱機関が単位時間あたりに生み出す仕事のエネルギーのことです。エンジンの馬力のようなもので、高いほど短時間で多くの仕事をこなせます。

 

(注5)カルノー効率

熱機関が理論上達成できる最高の効率のことです。温かい場所から冷たい場所へ熱を移すときに熱エネルギーをどのくらいまで仕事のエネルギーに変えられるかの限界を表し、温度差が大きいほど高くなります。

 

(注6)量子熱機関

熱エネルギーを仕事のエネルギーに変換する原理は古典熱機関と同じですが、量子力学特有の効果である、量子重ね合わせや量子もつれを活用している点が異なります。

 

(注7)アクティビティ(ダイナミカルアクティビティ)

系の状態遷移の活発さを表す量のことです。熱浴の影響によって量子系の状態が変化する時間スケールを与えます。

 

 

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

Physical Review Letters:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.134.080401