プレスリリース

乾燥ワカメのようにゲルが吸水して膨らむ速度の法則を解明:アインシュタインの関係式と負のエネルギー弾性から発想

 

1.発表者
藤藪 岳志(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 博士課程3年)
作道 直幸(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 特任講師)
酒井 崇匡(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 教授)
工藤 稜太(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 修士課程2年)
吉川 祐紀(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 博士課程3年)

2.発表のポイント
◆乾燥ワカメや紙おむつの吸水剤のように「水に浸したゲルが吸水して膨らむ速度」の温度による変化を決める物理法則を世界で初めて明らかにしました。
◆ゲルの膨らむ速度の温度変化は、最近発見された「負のエネルギー弾性」とブラウン運動におけるアインシュタインの関係式を組み合わせた新しい法則で決まることがわかりました。
◆ゲルの膨らむ速度の制御は、ゲルをバイオセンサーやドラッグデリバリーシステムにおける薬物送達キャリアとして用いる際に重要であり、これらの材料設計に役立ちます。

3.発表概要
ゲルは、ゼリーなどの食品や、ソフトコンタクトレンズなどの医用材料に活用される、ウェットでやわらかい物質です。乾燥ワカメや紙おむつの吸水剤のように、水に浸したゲルは周囲の水を吸収して膨らみますが、膨らむ速度の温度変化を決める物理法則は未解明でした。
今回、東京大学大学院工学系研究科の藤藪岳志大学院生、作道直幸特任講師、酒井崇匡教授らの研究グループは、構造が明確なゲルを用いて世界最高精度の測定を行い、ゲルの膨らむ速度の温度変化について、新しい法則を発見しました。この新しい法則は、アインシュタインの提唱したブラウン運動(水中の微粒子の不規則な熱運動)の理論と、最近の発見であるゲルのやわらかさを決める「負のエネルギー弾性」から着想を得て、両者のアイデアを組み合わせることで、明らかになりました。
ゲルは、生体軟組織との類似性が高いため、生体と接触して使用される医用材料としてさらなる応用が期待されています。本研究は、バイオセンサーやドラッグデリバリーシステムにおける薬物送達キャリアなど、ゲルの形態変化を伴う製品の開発に役立つと考えられます。
本研究成果は、米国物理学会発行の学術雑誌Physical Review Lettersのオンライン版に米国東部時間11月30日に掲載されました。

4.発表内容
① 研究の背景
ゲルは、ゼリーやソフトコンタクトレンズなどの、大量の水(溶媒)を含んだやわらかい固形物です。ゲルは、長いひも状の高分子(ポリマー、注1)のネットワークからできており、水に浸したゲルは、水を保持できる限界まで吸水して膨らみます(図1)。このとき、高分子ネットワークは何十倍もの体積の水を保持できるため、紙オムツの吸水剤などにも利用されています。また、光や温度変化などの刺激により、水を吐いて縮んだり、吸水して膨らんだりするゲルもあり、バイオセンサーや薬物送達キャリアなどへの応用が試みられています。
ゲルが吸水して膨らむ速度(高分子ネットワークの拡散係数、注2)を決める物理法則を明らかにすることは、これらの応用にも重要であり、これまでに多くの研究がなされています。しかし、ゲルの膨らむ速度の温度変化については、浸透圧(注3)、弾性率(固さ)、水の粘度(ネバネバさ)が複合的に影響し、それぞれ全く異なる温度変化をするため、その支配法則は知られていませんでした。特に、弾性の温度変化については、本研究グループが最近発見した「負のエネルギー弾性」(参考文献1、注4)の大きな寄与があるため、負のエネルギー弾性を考慮した新しい研究を行う必要がありました。

② 研究内容
今回、本研究グループは、ゲルの膨らむ速度の温度変化について、様々なネットワークを持つゲルを作製し、精度の高い測定を行うことで、世界で初めて明確な物理法則を明らかにしました。具体的には、ゲルの膨らむ速度から浸透圧の影響を分離する(図2)と、負のエネルギー弾性と形式的に同一の法則に従うことがわかりました(図3)。この発見には、テトラゲル、動的光散乱法、負のエネルギー弾性、の三つが重要な役割を果たしました。
通常、ゲルの高分子ネットワークは不均一かつ構造が不明確なため、実験の精度や再現性が低いという問題があります。本研究では、当研究室で開発された、均一で制御可能なネットワーク構造を持つテトラゲル(注5)を用いることで、この問題を解決しました。また、ゲルの膨らむ速度を短時間で正確に測定するために、本研究では、ゲルにレーザー光を照射して散乱光を観察する動的光散乱法(注6)を用いて膨らむ速度を測定しました。
本研究では、テトラゲルと動的光散乱を組み合わせることで、様々なネットワークを持つゲルの膨らむ速度の温度変化を、世界最高水準の精度で測定しました。しかし、測定結果だけでは、新しい法則の発見には至りませんでした。解決の糸口となったのは、20世紀最高の物理学者アインシュタインのブラウン運動の理論(注7)です。ブラウン運動は水中の微粒子(つぶつぶ)の不規則な熱運動ですが、ゲルの吸水も高分子ネットワーク(ひも)の不規則な熱運動によって起こるため、両者には関係があります。アインシュタインの理論の数式から着想を得て、実験結果を整理、解析することで、「水に浸したゲルが膨らむ速度」の温度変化について、負のエネルギー弾性と形式的に同一のシンプルな法則を発見しました。さらに、その吸水して膨らむ速度の法則が、負のエネルギー弾性のみに由来する自明な法則ではなく、主として水の粘度の温度変化に由来する新しい非平衡系の法則であることも明らかにしました。

③ 社会的意義
ゲルが水を吸って膨らむ性質は、乾燥ワカメや紙おむつの吸水剤をはじめとして、幅広く活用されています。また、ゲルの膨らむ速度は、外部の刺激によるゲルの形態変化の速度を決定します。したがって、ゲルの形態変化を伴う生体センサーや薬物送達キャリアなどの製品群の開発を進めていく上で、本研究は今後大きな役割を果たすと考えられます。
また、今回、ゲルの膨らむ速度の温度変化が従来の想定よりもかなり大きいことが実証されました。ゲルは、様々な温度で食用や医療用途に使用されるため、今回発見された温度変化の法則は、ゲルが利用される産業全般に広い波及効果が期待されます。
本研究は、JSPS科研費・基盤研究A (21H04688、21H04952)、学術変革領域研究 (20H05733)、若手研究 (19K14672、20K15338)、特別研究員奨励費 (19J22561、21J13478)、および科学技術振興機構 (JST) 戦略的創造研究推進事業 CREST (No. JPMJCR1992)、センター・オブ・イノベーション (COI) プログラム (No. JPMJCE1304) の支援を受けたものです。

[参考文献1]
“Negative Energy Elasticity in a Rubberlike Gel”
Yuki Yoshikawa, Naoyuki Sakumichi, Ung-il Chung, and Takamasa Sakai
Physical Review X 11, 11045(2021)
https://doi.org/10.1103/PhysRevX.11.011045
プレスリリース:
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/soe/press/setnws_202103081004355654589480.html

5.発表雑誌
雑誌名:Physical Review Letters
論文タイトル:Temperature dependence of polymer network diffusion
著者:Takeshi Fujiyabu, Takamasa Sakai*, Ryota Kudo, Yuki Yoshikawa, Takuya Katashima, Ung-il Chung, and Naoyuki Sakumichi*
DOI番号:10.1103/PhysRevLett.127.237801
アブストラクトURL:https://journals.aps.org/prl/accepted/1e07bY75S661258cf6495802dd3daac1c85b89a84

6.用語解説
(注1)高分子
分子量の非常に大きい巨大分子を高分子(ポリマー)と言います。高分子には、線状のもの、枝分かれ構造を持つもの、三次元的に網目構造を持つもの、などがあります。プラスチック・ゴム・ゲルなどは全て高分子です。また、生物の体のほとんどは高分子からできています。
(注2)ゲルが吸水して膨らむ速度(高分子ネットワークの拡散係数)
「ゲルが吸水して膨らむ速度」は、ゲルにおける高分子ネットワークが水(溶媒)中で広がる(拡散する)速度とみなすことができます。この拡散速度は、数学的には「拡散係数」と呼ばれる物理量で記述されます。本研究では、拡散係数の温度変化を動的光散乱(注6)によって測定しました。
(注3)浸透圧
浸透圧とは、半透膜の両側に濃度が異なる溶液があるときに、半透膜の両側に生じる圧力差です。ここで半透膜とは、水は通すが、溶けている物質(例えば、高分子)は通さない膜のことです。ゲルを水に浸した時、ゲルの表面が半透膜の役割を果たし、浸透圧が生じます。ゲル自身が、高分子が溶けた溶液のような存在であるため、水に浸すと浸透圧を駆動力として大量の水を吸収して膨らみます。
(注4)負のエネルギー弾性
ゲルやゴムなどの、長いひも状の高分子(注1)のネットワークからできたやわらかい物質の弾性率(固さ)は、熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に基づくエントロピー弾性でおおむね説明できるというのが、100年近く信じられてきた定説でした。最近、本研究グループは、この長年の定説がゲルについては間違いであることを発見しました(参考文献1)。ゲルは、保持する水に由来する「負のエネルギー弾性」により大幅にやわらかくなっており、やわらかさの温度変化もこれまでの想定より数倍大きいことがわかりました。
(注5)テトラゲル
従来のゲルは、高分子ネットワークの構造が不均一であり、実験の再現性が乏しいという問題がありました。本研究では、当研究室で開発された均一で制御可能なネットワークを持つゲル(テトラゲル)を用いることで、この問題を克服しました。本研究では、架橋点間分子量・高分子濃度・網目の結合率を独立に制御して約20種類の高分子網目構造を持つテトラゲルを作製し、これらのゲルが吸水して膨らむ速度(高分子ネットワークの拡散係数、注2)の温度変化を測定しました。
(注6)動的光散乱法
動的光散乱は、懸濁液などにおけるブラウン運動(微粒子の熱運動)の拡散係数(広がる速度)を観測する方法です。ゲルが吸水して膨らむ速度(高分子ネットワークの拡散係数)も測定できることが、田中豊一博士らによって1970年代以降に確立しました。
(注7)アインシュタインのブラウン運動の理論
1905年に、20世紀最高の物理学者アルバート・アインシュタインは、水中の微粒子(つぶつぶ)の不規則な熱運動(ブラウン運動)の拡散係数(速度)が、温度に比例するという理論を提案しました。本研究では、負のエネルギー弾性が温度に比例せずに大きな負の定数項を持つことから、「ゲル(ひものネットワーク)の不規則な熱運動を決める拡散係数についても、大きな負の定数項を持つのではないか?」と着想しました。最終的に、アインシュタインの理論と負のエネルギー弾性を組み合わせたものが、ゲルの膨らむ速度の法則に潜んでいたことがわかりました。

7.添付資料

図1:水に浸した「こんにゃくゼリー」が、水を吸って膨らむ様子。こんにゃくゼリー、乾燥ワカメ、紙おむつの吸水剤などは、全て高分子のネットワークからできており、周囲の水を吸収して高分子の体積の何十倍も膨らむことができる。今回の研究では、ゼリーのようなゲルが膨らむ速度の温度変化を決める物理法則を明らかにした。

図2:ゲルの拡散係数(ゲルが吸水して膨らむ速度)と弾性率(固さ)の関係。本研究では、浸透圧が一定で、弾性率だけが異なるテトラゲル(注5)を作製することで、弾性率が上がる(固くなる)と拡散係数が増える(素早く膨らむ)ことを実証した。さらに、上記のグラフを弾性率ゼロに外挿することで、拡散係数について、浸透圧に由来する成分(赤の領域)と弾性率に由来する成分(青の領域)に分離した。

図3:ゲルの弾性率(固さ)とゲルの拡散係数(膨らむ速度)の温度変化の類似性。異なる高分子ネットワークを持つ4種類のゲルの結果を示している。各シンボルが測定データを表し、直線はデータを直線で近似したものである。左図のように、ゲルの弾性率の温度変化を直線で近似すると、「温度軸上の一点で交わる」という性質がある。このとき、温度ゼロの切片が「負のエネルギー弾性」の大きさを表す(参考文献1、注4)。右図のように、ゲルの拡散係数(黒丸)の温度変化を直線で近似すると、「一点で交わる」が、温度軸上ではない。図2に示した方法で、拡散係数を浸透圧に由来する成分(赤丸)と弾性率に由来する成分(青四角)に分離すると、弾性率に由来する成分は「温度軸上の一点で交わる」。つまり、弾性率に由来する成分は、負のエネルギー弾性と形式的に同一の法則に従う。ただし、拡散係数には水の粘度が大きな影響を及ぼすために、1点で交わる温度は、両者で大きく異なっている。


プレスリリース本文:PDFファイル

科学技術振興機構:https://www.jst.go.jp/pr/announce/20211130-3/index.html