プレスリリース

ゲルのやわらかさの秘密:「負のエネルギー弾性」を発見

 

 

1.発表者: 
吉川    祐紀(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 博士課程2年)
作道 直幸(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 特任助教)
酒井 崇匡(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 教授)

2.発表のポイント:
◆ ゲルのやわらかさを決める物理法則は何か?という非常に基本的な問題について、その鍵となる「負のエネルギー弾性」を世界で初めて発見しました。
◆「ゲルのやわらかさは、熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に基づくエントロピー弾性でおおむね説明できる」という100年近く信じられてきた定説を覆しました。
◆ 食品や医療用にゲルを活用する際に重要な「やわらかさの温度変化」は、従来の想定よりも数倍大きくなることを実証し、やわらかさを決定する物理法則を明らかにしました。

3.発表概要
東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻の吉川祐紀大学院生、作道直幸特任助教、酒井崇匡教授らは、ゲルのやわらかさに潜む「負のエネルギー弾性」を発見しました。
ゲルは、ゼリー・豆腐などの食品や、ソフトコンタクトレンズ・止血剤など医療に活用される、ウェットでやわらかい物質です。ゲルから水を蒸発させたものがゴムです。ゲルとゴムのやわらかさは熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に基づくエントロピー弾性でおおむね説明できるというのが、100年近く信じられてきた定説でした。
今回、本研究グループは、この長年の定説がゲルについては間違いであることを発見しました。ゲルは、保持する水に由来する「負のエネルギー弾性」により大幅にやわらかくなっており、やわらかさの温度変化もこれまでの想定より数倍大きいことがわかりました。ゲルのやわらかさを決定する物理法則が解明されたことで、食用や医療用などの新規ゲル材料の開発や、ゲルが利用される産業全般に広い波及効果が期待されます。
本研究成果は、米国物理学会発行の学術雑誌Physical Review Xに3月5日に掲載されました。

4.発表内容
① 研究の背景
ゴムやゲルは、とても長いひも状の高分子(注1)が化学反応によって結びつくことで網目構造を持った、やわらかく、よく伸びる固形物です。このうち、乾燥した状態で用いられるものをゴム、大量の水(溶媒)を含んだ状態で用いられるものをゲル(図1)と言います。
ゴムやゲルがやわらかく、よく伸びるのは、ひも状の高分子からできているためです。このひもは、熱運動により、普段はくねくねと折れ曲がり丸まっていますが、ゴムやゲルを手で伸ばすと、ひもが伸びた状態(ひもの各部分の方向がある程度そろった状態)になります。ここで手を離すと、ひもは熱運動をして丸まった状態(ひもの各部分の方向が乱雑な状態)に戻ります。このように、「方向がそろった状態」から「乱雑な状態」に熱運動によって自発的に変化することを、熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)と言います。ゴムやゲルを手で伸ばしたときに元に戻る力が発生するのは、エントロピー(乱雑さ)が増えるためなので、エントロピー弾性(注2)と言われます。
ゴムのやわらかさ(注3)が、エントロピー弾性でおおむね説明できるということは、100年近い長年の研究(注4)により、実験的に確かめられています。ところが、ゲルについては確実な実験的証拠がないまま、ゴムと同様にエントロピー弾性のみでおおむね説明できることを前提にして、理論の構築・実験の解析・材料の開発が現代まで広く行われてきました。

② 研究内容
今回、本研究グループは「ゲルのやわらかさがエントロピー弾性でおおむね説明できる」という長年の定説が正しいのか、徹底的な検証を行いました。研究グループは、50種類以上の異なる高分子網目構造を持つゲル(注5)を正確に作り分けて、そのやわらかさの温度変化の測定および熱力学に基づく解析(注6)を行いました。その結果、ゲルに外力を加えて変形すると、元の形に戻る力(エントロピー弾性)が生じますが、同時にそれと反対向きの力(負のエネルギー弾性)が生じて、この合計でゲルのやわらかさが決まることを世界で初めて発見しました(図2)。驚くべきことに、測定した50種類以上の全てのゲルにおいて、負のエネルギー弾性は無視できないほど大きいことがわかりました。
研究グループは、負のエネルギー弾性がゲルの保持する水に由来しており、水の割合を減らしてゴムに近づけると無視できるほど小さくなることも明らかにしました(図3)。これは、負のエネルギー弾性が、ゲルの持つユニークな性質であることを意味します。これまで、ゲルとゴムの弾性論(やわらかさの基礎理論)は、本質的に同じであると信じられてきましたが、今回の発見は両者の違いを浮き彫りにし、ゲル弾性論のパラダイムシフトを促します。

③ 社会的意義・今後の予定
ゲルは、ゼリー・豆腐などの食用や、ソフトコンタクトレンズ・止血剤・癒着防止剤など、生体に接触して用いる医用材料として幅広く応用されています。利用例からわかるように、ゲルのやわらかさの理解・制御は重要です。例えば、流動食や人工硝子体にはやわらかいゲルを、止血剤や人工軟骨にはかたいゲルを用いる必要があります。これらを作り分けることで、様々なシーンにおける生活の質(Quality of Life, QOL)の向上が可能になります。
今回、本研究グループは、負のエネルギー弾性の存在により、やわらかさの温度変化が従来の想定よりもかなり大きいことを実証しました。このことは、ゲルが様々な温度で食用や医療用途に使用されるため、実用上非常に重要です。また、やわらかさを決定する物理法則が解明されたことで、新規ゲル材料の開発および、食品業界や医療などのゲル材料が利用される産業全般に広い波及効果が期待されます。
今後、本研究グループでは、実験・数値シミュレーション・解析理論を組み合わせることで、ゲルのやわらかさをミクロな高分子の網目構造から完全に理解・制御することを目指します。
本研究は、科学研究費補助金・基盤研究S(16H06312)、基盤研究B(18H02027)、若手研究(19K14672)、および科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST (No. JPMJCR1992)、センター・オブ・イノベーション(COI)プログラム(No. JPMJCE1304)の支援を受けたものです。

5.発表雑誌
雑誌名:Physical Review X
論文タイトル: Negative Energy Elasticity in a Rubberlike Gel
著者:Yuki Yoshikawa, Naoyuki Sakumichi*, Ung-il Chung, Takamasa Sakai*
DOI番号:10.1103/PhysRevX.11.011045

6.用語解説
(注1)高分子
分子量の非常に大きい巨大分子を高分子(ポリマー)と言う。高分子には、線状のもの、枝分かれ構造を持つもの、三次元的に網目構造を持つもの、などがある。プラスチック・ゴム・ゲルなどは全て高分子である。また、生物の体のほとんどは高分子からできている。
(注2)エントロピー弾性
弾性とは、変形した物質が元に戻る性質である。エントロピー弾性とは、エントロピー増大の法則により発生する弾性であり、エネルギー弾性とはエネルギー(正確には内部エネルギー)の減少により発生する弾性である。一般に、物質のやわらかさ(硬さ)は、エントロピー弾性とエネルギー弾性の合計で決まる。ゴムやゲルでは、エントロピー弾性の割合が大きいが、金属やセラミックなどの硬い物質ではエネルギー弾性の割合が大きい。
(注3)やわらかさ
本稿で「やわらかさ」と呼ぶ量は「硬さ」と言い換えても良い。ゴムやゲルは、金属やセラミックなどの他の固体と比較して桁違いにやわらかいため、「硬さ」ではなく「やわらかさ」と言う言葉を用いた。本研究では、やわらかさの指標として、剛性率(ずり弾性率とも呼ばれる)の測定・解析を行った。
(注4)100年近い長年の研究
昨年は、1920年に高分子という概念(高分子説)が提唱されてからちょうど100年であった。ゴムのやわらかさがエントロピー弾性でおおむね説明できることは、1926年のドイツの生理学者ウォリッシュ博士による先駆的な研究の後、様々な研究グループの実験および理論的研究により1930年代前半までに確立された。
(注5)50種類以上の異なる高分子網目構造を持つゲル
従来のゲルは、高分子網目構造が不均一で実験の再現性が乏しいという問題がある。今回の研究では、当研究室で開発された均一で制御可能な網目構造を持つゲル(テトラゲル)を用いることで、この問題を克服した。今回の実験では、架橋点間分子量・高分子濃度・網目の結合率を独立に制御して50種類以上の高分子網目構造を持つテトラゲルを作製し、これらのやわらかさ(正確には剛性率、注3)の温度変化を測定した。
(注6)熱力学に基づく解析
ゴム弾性理論(ゴムのやわらかさの理論)は100年近い歴史を持ち、ゲルのやわらかさも説明できると信じられてきた。本研究グループは、ゲルのやわらかさの研究を進める中で、実験結果がゴム弾性理論と矛盾することに気付いた。そこで本研究グループは、ゴム弾性理論よりもさらに歴史が古く、19世紀までに完成した「平衡熱力学」に立ち戻って解析することで、ゲル弾性理論(ゲルのやわらかさの理論)がゴム弾性理論とは本質的に異なることを証明した。

7.添付資料

図1:今回、本研究グループは、ゼリー(左図)・ソフトコンタクトレンズ(右図)などのやわらかくウェットな「ゲル」のやわらかさを決める物理法則を明らかにした。ゲルのやわらかさには、「負のエネルギー弾性」というこれまで知られていなかった要素が潜んでいた。

 図2:今回発見された、ゲルにおける「負のエネルギー弾性」の概念図。オレンジと青の実線は、それぞれ、ゴムとゲルの常温付近でのやわらかさ(剛性率)の温度変化を表す。点線は、それぞれを絶対零度まで伸ばした補助線。ゴムのやわらかさ(オレンジ)は、温度(正確には、絶対温度)に正比例する。これは、ゴムのやわらかさが、熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に基づくエントロピー弾性でおおむね説明できることを示している。研究グループは、ゲルのやわらかさは温度に比例せず、負のエネルギー弾性の存在により、負の定数(-T0)の分だけずれることを発見した。負のエネルギー弾性により、ゲルにおける「やわらかさの温度変化」(青の実線の傾き)は、従来の想定(オレンジの実線の傾き)よりも数倍大きくなる。

 図3:「負のエネルギー弾性」の背後にあるシンプルな物理法則。左図のように、負のエネルギー弾性の大きさ(図2のT0)は、ゲルにおける高分子の網目構造(高分子の濃度および網目を構成する“ひも”の長さ)に応じて様々な値を取る。本研究グループは、負のエネルギー弾性の大きさが、右図のようにシンプルな物理法則に従うことを明らかにした。右図の横軸は、「ゲルの保持する水の量」を表す。横軸の値がゼロになると、水を保持しない「ゴム」に対応する。ゲルの保持する水の割合を減らしてゴムに近づけると、負のエネルギー弾性の大きさがゼロに近づく。この結果は、「ゴムのやわらかさはエントロピー弾性でおおむね決まる」という100年近い長年の先行研究ともつじつまが合う。


プレスリリース本文:PDFファイル

Physical Review X:https://journals.aps.org/prx/abstract/10.1103/PhysRevX.11.011045

科学技術振興機関:https://www.jst.go.jp/pr/announce/20210304/index.html

日本経済新聞:https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP606057_U1A300C2000000/