複雑なナノスピン構造に由来する物性を予測する第一原理計算手法を開発 ―次世代高速・低消費エネルギーのスピントロニクス素子開発に貢献―

Mar 13, 2025 11:04:20 AM

 

【発表のポイント】

  • 磁性体では、スピンと呼ばれる電子の自由度が規則性を持って並びます。このスピンが同一平面上で並ばず、三次元的に配向する非共面スピン構造(注1)に由来する物性は、次世代のスピントロニクス(注2)素子への応用が期待されていますが、その微視的、定量的な計算は非常に難しいことが知られています。
  • 第一原理計算(注3)に基づく新手法を開発し、ナノスケールの非共面スピン構造を持つ物質の電子状態を予測できるようにしました。
  • 電子の振る舞いを解析することで、非共面スピン磁性体の物性を数値的に予測できるようになり、革新的スピントロニクス材料の探索や開発への応用が期待されます。

【概要】

近年、非共面スピン構造を持つ物質はスピントロニクス研究で重要な位置を占め、有望な次世代材料として大きな期待を集めています。これまで、この分野では実験研究が急速に進む一方で、理論的な解析はまだ簡略化されたモデルに頼っており、物質の個性を反映した実験で得られた経験的なパラメータを使わずに近似的に解く非経験的予測手法の開発が求められていました。しかし一般に非共面スピン構造はサイズが大きく数値シミュレーションに膨大な計算資源が必要であるため、解析が非常に難しくなっていました。

東北大学金属材料研究所の陳曉邑助教(理化学研究所創発物性科学研究センター客員研究員)、東京都立大学大学院理学研究科の野本拓也准教授(理化学研究所創発物性科学研究センター客員研究員)、東京大学大学院工学系研究科のマックス・ヒルシュベルガー准教授(理化学研究所創発物性科学研究センターユニットリーダー)と東京大学大学院理学系研究科の有田亮太郎教授(理化学研究所創発物性科学研究センターチームリーダー)は密度汎関数理論(注4)に基づき、大規模スピン構造を持つ物質の電子状態を計算できる新たな第一原理計算手法を開発し、非共面スピンを持つ磁性材料の物性について高精度な数値予測を可能にしました。また計算結果を解析し、微視的な電子波動関数と巨視的な物理現象との関係も明らかにしました。

本研究成果は、2025年3月11日(米国東部時間)に米国物理学会(APS)が発行する学術誌 Physical Review Xに掲載されました。

 

【詳細な説明】

研究の背景

非共面スピン構造は、すべてのスピンが互いに平行または反平行に整列している共線磁性体とは異なる物理的特性を持ち、従来の装置より高速な応答性と低エネルギー消費を実現できるため、新たな量子デバイスへの応用が期待されています。例えば、非共面スピン構造の一種である一次元螺旋スピン構造を持つ磁性体は電流によって駆動可能であり、メモリデバイスに応用することが提案されています。スキルミオン(注5)に代表される二次元非共面スピン構造を持つ磁性体も実空間トポロジーの特性により外部摂動に対して安定であるため、次世代の記憶デバイスにおける情報記録の有力な候補として注目されています。

過去10年間で、非共面スピン構造の生成と制御技術は大きく進展しました。初期の手法であるX線散乱や中性子散乱では磁気構造を測定できますが、最新のローレンツTEMという顕微鏡技術を用いることで、スピンの向きを空間・時間の両領域で詳細に観測できるようになりました。しかし、実験技術の急速な発展に対し、理論研究はまだ簡略化されたモデルや現象論的記述に頼っています。これらの手法は実験から得られた経験的パラメータに基づいており、物性値の非経験的な定量予測に適用できません。 そのため、物質の特性を正確に予測できる材料シミュレーション手法の開発が、スピントロニクスの進歩を加速する鍵となります。

 

今回の取り組み

従来、密度汎関数理論に基づく第一原理計算は、経験的パラメータを使わず高精度に電子の振る舞いを予測できるため、物性計算の主要な手法として広く利用されています。しかし、非共面スピン構造は一般的な材料に比べて単位胞(注6)のサイズが10倍から1000倍も大きいことから、第一原理計算に求められる計算資源が膨大になり、一般に数値シミュレーションが極めて困難、あるいは不可能です。そのため、非共面スピン構造への適用を可能にするには、精度を犠牲にすることなく使用メモリを削減することが重要な課題となります。

本研究では、局所スピンの向きと密度汎関数理論における有効磁場の関係を考慮した新しいモデリング手法を導入することで、超格子計算に伴う計算負荷を回避し、効率的にメモリ使用量を削減しました。さらに、このモデリング手法のパラメータは第一原理計算によって決定されるため、計算精度や材料の特性を損なうことはありません。加えて、より高速な計算を実現するために、ワニエ関数(注7)を用いて電子状態を記述する有効模型を構築し、電気伝導度などの物性を議論できるようにしました。

本研究で開発した計算手法を、近年注目されているガドリニウム(Gd)、パラジウム(Pd)、ケイ素(Si)からなる金属間化合物Gd2PdSi3のスキルミオン結晶構造に適用しました。その結果、非共面スピン構造に特有な現象であるトポロジカルホール効果(注8)を計算し、実験測定と高い精度で一致することを確認しました。さらに、電子波動関数のトポロジーを解析することで、トポロジカルホール効果との直接的な関係と成因を明らかにしました。

 

今後の展開

本研究で新たに開発した計算手法により、非共面スピン構造を持つ磁性体の物性を微視的な観点から理解できるだけでなく、未知材料の特性も予測可能になりました。この手法は物性研究にとどまらず、スピントロニクスへの応用に向けた有望な材料の探索や開発にも応用され、量子技術の発展を加速することが期待されます。

 

 

fig1

図1. 本研究の概念図。非共面スピン構造をシミュレーションする新しい手法を開発し、通過する電子との特有な相互作用を正確に予測できるようになりました。 右上の図は非共面スピン構造の一種であるスキルミオン結晶構造。

 

 

fig2

図2. (a) 本研究対象であるGd2PdSi3 の結晶構造。 (b) フェルミエネルギー(注9)(x軸)における予測されたトポロジカルホール係数(y軸)は、誤差範囲内で実験データ(赤い線)とよく一致していることを示す。(c) 電子波動関数のベリー曲率(注10)の波数空間における分布を解析。正の領域(黄色)が負の領域(青色)より多く存在し、トポロジカルホール効果の起源となることを示している。

 

 

【謝辞】

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST(No. JPMJCR23O4, JPMJCR1874, JPMJCR20T1)、未来社会創造事業(JPMJMI20A1)、 先端国際共同研究推進事業(JPMJAP2317)、創発的研究支援事業(JPMJFT2238)、科学研究費助成事業基盤研究S(JP21H04990)、理化学研究所最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業の支援により実施されました。

 

【用語説明】

注1.非共面スピン構造

磁性体においてスピンが同一平面上にない配置をとるとき、これを非共面構造と呼びます。この構造のもとでは、異なる方向に配向した磁気モーメントが存在することに由来し、トポロジカルホール効果など特徴的な性質があらわれることがあります。

注2.スピントロニクス

電子の「電荷」と「スピン」の自由度を制御・操作することで情報の輸送と記録を行う電子技術の分野です。

注3.第一原理計算

物質の性質を実験データや経験的なパラメータに頼らず、原子の種類と位置の情報から量子力学の基本原理に基づいて直接求める手法です。

注4.密度汎関数理論

物理量を電子の波動関数ではなく、基底状態の電子密度に関連付ける理論的枠組みです。このアプローチにより、計算資源が大幅に削減され、効率的な材料シミュレーションが可能になります。

注5.スキルミオン

スピンの磁気モーメントが作る渦状の磁気構造体のことで、「磁気渦」や「スピン渦」とも呼ばれます。渦の直径は数ナノメートル(ナノは10億分の1)から100ナノメートル程度と材料や組成によって異なります。試料を低温にし、外部磁場を制御することによって、スキルミオンは2次元結晶的に配列します。

注6.単位胞

固体結晶が周期的に繰り返す最小単位の構造です。

注7.ワニエ関数

空間内で局在する電子軌道で結晶内の電子状態を解析する際に重要な役割を果たします。

注8.トポロジカルホール効果

電子が特定のスピン構造を持つ磁性体を通過するときに、進行方向が曲げられる現象です。通常のホール効果とは異なり、磁場ではなくスピンのトポロジーによって引き起こされるのが特徴です。

注9.フェルミエネルギー

材料における基底状態の電子が占めることのできる最大のエネルギー準位です。

注10.ベリー曲率

電子波動関数の幾何学的およびトポロジー的な性質を反映し、物質中の電子の振る舞いに影響を与える物理量。特に、ホール効果の起源として重要な役割を果たします。

 

【論文情報】

タイトル:Topological Hall effect of Skyrmions from First Principles

著者: Hsiao-Yi Chen*, Takuya Nomoto, Max Hirschberger, and Ryotaro Arita

*責任著者:東北大学金属材料研究所 助教 陳 曉邑

掲載誌:Physical Review X

DOI:10.1103/PhysRevX.15.011054

URL:https://journals.aps.org/prx/abstract/10.1103/PhysRevX.15.011054

 

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

Physical Review X:https://journals.aps.org/prx/abstract/10.1103/PhysRevX.15.011054