プレスリリース

交差する光ベルトコンベアで原子の運動方向を変えて輸送 ―光格子時計の高精度化に必須な連続原子源を開発―

 

発表のポイント

◆ レーザー冷却法は極低温原子の生成に不可欠な手法だが、レーザー冷却で発生する光が被計測原子の量子状態を乱すため、量子計測のプロセスとは両立しなかった。
◆ レーザー冷却された原子を光ベルトコンベアで引き出し、さらに交差する光ベルトコンベアで運動方向を変えて出力する連続原子源を世界で初めて開発した。原子の軌道を曲げたことで、レーザー冷却部で発生する光の影響を(衝立で)除去できる。
◆ 量子計測のプロセスと両立するレーザー冷却技術の確立は、「無駄時間なし測定」と呼ばれる高精度な量子計測手法を適用するために必須。

 

fig01

交差する光ベルトコンベアで輸送される極低温原子の蛍光イメージ(白破線枠内)。7.4㎜x7.4㎜の範囲を300ミリ秒毎に撮像し、原子の運動を観測した。原子は速さ12.2 mm/sで右方向に動いたのち、上方向に方向転換した。画像左側の斜め帯状の像は迷光によるノイズ。

 

概要

東京大学大学院工学系研究科の岡場翔一助教、香取秀俊教授らの研究チームは、レーザー冷却された原子を光ベルトコンベアで引き出し、さらに交差する光ベルトコンベアで運動方向を変えて出力する連続原子源を世界で初めて開発しました。

レーザー冷却法は量子センシング、コンピューティングなど量子計測に欠かせない極低温原子を生成する手法です。ところが、レーザー冷却の過程で発生する光が原子の量子状態を乱すことから、レーザー冷却と高精度な量子計測を同時に行うことはできませんでした。

研究チームは、原子のベルトコンベアの働きをする移動光格子(注1)を使って、(1)レーザー冷却された極低温のストロンチウム原子を引き出し、さらに(2)直交する方向に輸送する技術を開発しました。レーザー冷却部で発生して直進する光は衝立で除去することができるため、原子の軌道が曲げられた第二のベルトコンベアの領域では高精度な量子計測を行うことが可能になります(図1参照)。これは「無駄時間なし測定」(注2)と呼ばれる高精度な量子計測手法の導入を可能にし、光格子時計(注3)の飛躍的な精度向上につながる技術です。

 

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1:実験の模式図

第一のベルトコンベアで、レーザー冷却された原子を右方向に引き出し、さらに第二のベルトコンベアで、その原子を上方向に輸送する。(白抜き矢印は、原子の運動の方向を示す。)第二のベルトコンベア中の原子はレーザー冷却で発生する光の影響を受けないため、高精度な量子計測を実現できる。

 

発表内容

レーザー冷却され光格子に閉じ込められた極低温原子は、原子の熱運動に由来するドップラー効果(注4)が抑制され、長いコヒーレンス時間(注5)をもつため、光格子時計などの量子計測の分野で重要な役割を果たします。ところが、レーザー冷却の過程で発生する光は、被測定原子の量子状態を乱すため、レーザー冷却と量子計測は同時に行うことが困難でした。このため、レーザー冷却と量子計測の操作を時間的に区切り、2つの操作を逐次的に繰り返す測定が行われてきました。光格子時計の実現においても、(1)レーザー冷却によって極低温原子を生成し光格子に捕獲する操作(約0.5秒)と、(2)その原子のスペクトルを参照して時計レーザー(注3)の周波数を計測し制御する操作(約0.5秒)を順次繰り返します。この一連の操作を回繰り返すことで、時計レーザーの周波数精度Δν1/で改善します。測定時間τ()に対してはΔν1/τが成り立ちます。この動作モードでは、時計レーザーの周波数測定の間に、レーザー冷却を行う時間(これはレーザーの周波数測定にとっては「無駄な時間」です)が挟まれるのが問題でした。もし、時計レーザーの周波数を「無駄時間」を挟まずに時間τの間、連続して観測することができれば、周波数測定精度はそのフーリエ限界のΔν1/τで改善します。(分母の平方根が取れています。)これは「無駄時間なし測定」と呼ばれ、量子計測の高精度化の手法として期待されていました。本研究で開発した量子計測と両立するレーザー冷却・原子輸送技術は、この実現に不可欠な技術要素です。

2に本研究の実験セットアップを示します。最初のステップでは、棒磁石等で作られる異方性の大きな四重極磁場中で、1S - 1P1遷移(図3参照)を使った磁気光学トラップによって、ストロンチウム原子を1mK程度まで冷却し、捕獲します。この冷却サイクルを繰り返す間に、同原子は約100秒の寿命をもつ準安定状態( 3P2 状態)に緩和します。この状態の原子は磁気モーメントをもつため、先述の四重極磁場により磁気トラップされます。第二のステップでは、この原子を3P2 - 3D3 遷移に近共鳴なレーザー光でさらに冷却し、光格子に捕獲します。捕獲された原子の温度はおよそ10µKでした。この2段階冷却により熱原子を連続的に冷却し、光格子に捕獲することができます(論文①)。

 

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2:実験のセットアップ

棒磁石等で作られた異方性の強い四重極磁場中で、原子はレーザー冷却、磁気光学トラップされる。この磁気光学トラップの過程で、原子は磁気モーメントをもつ準安定状態に緩和し、四重極磁場によって磁気トラップされる。この磁気トラップ中で、狭線幅の遷移を使って原子のレーザー冷却を行う。原子は重力とレーザー冷却光の輻射圧により約5㎜程度下方に移動する。この原子を移動光格子を使って引き出し、さらに交差する移動光格子に載せて運動の方向を変えた。

 

fig04

3:ストロンチウムのエネルギー準位図

基底状態( 1S0 )からの遷移(波長461nm)を使って磁気光学トラップを行う。約10万回の光の吸収・放出を繰り返すと、原子は準安定状態( 3P2 )に緩和し、磁気トラップされる。この原子をさらにレーザー冷却(波長2.9μm)し、光格子に捕獲する。

 

今回の研究では、原子のベルトコンベアとして機能する移動光格子を使って、レーザー冷却された極低温原子を連続的に引き出し、さらに、交差する移動光格子に載せ換えることで、原子の運動方向を変えることに成功しました。レーザー冷却部から運ばれてきた極低温原子が、直交する移動光格子に乗り換えて、運動の向きを変える様子を図4に示します。この交差領域では、直交する移動光格子の干渉で形成される「斜め45°の方向に動く」移動光格子に捕獲されて原子が移動する様子が観測されています。

 

fig05

4:移動光格子で輸送され、運動方向を変える極低温原子

 

5のグラフは、2本の移動光格子間での原子の移行効率の速度依存性を示します。移動速度が低いほど移行効率が向上し、特に、交差領域でレーザー冷却を行うことで、移行効率は100%近くまで向上しました。

 

fig06

5:直交する移動光格子間の移行効率の速度依存性、電子状態依存性

 

こうした移動光格子に捕獲された原子に対して、原子の進行方向から(縦方向と呼びます)レーザーを導入し、原子分光を行う縦励起分光法と、これを利用した「無駄時間なし測定、制御」による光格子時計の高精度化の手法が提案されています(論文②)。本研究成果は、この縦励起分光法を実装して、光格子時計の高精度化を行うための重要な技術基盤です。

本研究成果は、202435日付の国際科学雑誌「Physical Review Applied」にオンライン掲載されました。

 

〇関連情報:

「論文①」R. Takeuchi, H. Chiba, S. Okaba, M. Takamoto, S. Tsuji, and H. Katori, Continuous outcoupling of ultracold strontium atoms combining three different traps, Appl. Phys. Exp. 16, 042003 (2023)

 

「論文②」H. Katori, Longitudinal Ramsey spectroscopy of atoms for continuous operation of optical clocks, Appl. Phys. Exp. 14, 072006 (2021)

 

発表者・研究者等情報

東京大学大学院工学系研究科

 香取 秀俊 教授

  兼:理化学研究所 光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム 

  チームリーダー/理化学研究所 開拓研究本部 香取量子計測研究室 主任研究員

 岡場 翔一 助教

  兼:理化学研究所 光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム

  客員研究員

 竹内 亮人 博士課程

  兼:理化学研究所 開拓研究本部 香取量子計測研究室 研修生

 

日本電子株式会社

 辻 成悟 経営戦略室 オープンイノベーション推進室 スペシャリスト

  兼:理化学研究所 光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム

  客員研究員

 

論文情報                                          

雑誌名:Physical Review Applied

題 名:Continuous generation of an ultracold atomic beam using crossed moving optical lattices

著者名:Shoichi Okaba, Ryoto Takeuchi, Shigenori Tsuji, and Hidetoshi Katori*

DOI10.1103/PhysRevApplied.21.034006

URLhttps://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevApplied.21.034006

 

研究助成

本研究は、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業「クラウド光格子時計による時空間情報基盤の構築」(課題番号:JPMJMI18A1の支援により実施されました。

 

用語解説

(注1)移動光格子:

周波数(波長)が等しい2本のレーザービームを対向させることで、レーザー光は干渉して定在波を作ります。定在波では、光強度が極大になる腹と、極小になる節が、半波長毎に形成されます。このレーザー光の周波数が、原子の共鳴周波数より低いときには、定在波の腹の位置に原子を周期的に閉じ込める光格子ができます(ビームの動径方向に関しては、強度の強い中心部分に集まります)。この2本のレーザー光にわずかに周波数差をつけると、その周波数差に比例する速度で、定在波の腹の位置が移動します。この結果、光格子に閉じ込められた原子が移動します。これを移動光格子と呼びます。

 

(注2)無駄時間なし測定:

測定時間をΔtとすると、周波数の測定精度は、Δν1/Δtで向上します。長時間Δtにわたって、レーザー光の周波数を原子の共鳴周波数と比較することによって、より高精度にレーザーの周波数を測定することができます。

 

(注3)光格子時計、時計レーザー:

「魔法波長」と呼ばれる特別な波長の光格子に捕獲した多数の原子を参照し、高精度な光周波数の基準を実現する原子時計の手法。光周波数の発振器であるレーザーの周波数は光共振器の長さで決まり、温度や圧力によって変動します。原子時計ではこのレーザー周波数を原子の遷移周波数に一致するように制御することで、高精度な光周波数の基準を作ります。原子時計では、このレーザーのことを、時計レーザーと呼びます。

 

(注4)ドップラー効果:

運動する物体が波源に近づく(遠ざかる)ときには、振動の周波数を高く(低く)観測します。このような物体の運動に起因する振動数の変化がドップラー効果です。原子は熱運動によりさまざまな速度をもつため、このドップラー効果によりスペクトルが広がり、分光精度が低下します。レーザー冷却によりドップラー効果を低減できますが、完全には除去できません。光格子時計では、原子を光格子に捕獲し、原子の運動を量子化(離散化)することで除去します。

 

(注5)コヒーレンス時間:

擾乱を受けずに量子状態が時間発展できる時間をコヒーレンス時間といいます。周囲の環境からの擾乱を受けると、このコヒーレンス時間は短くなり、量子計測の精度が低下します。

 

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

Physical Review Applied:https://journals.aps.org/prapplied/abstract/10.1103/PhysRevApplied.21.034006