プレスリリース

AIを利用し「量子指紋」を解読することに成功 ー電気抵抗からナノ微細構造を再現ー


1. 発表者:
大門 俊介(東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻・Beyond AI研究推進機構 助教)
大槻 東巳(上智大学 理工学部機能創造理工学科 教授)
齊藤 英治(東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻・Beyond AI研究推進機構 教授/東北大学 材料科学高等研究所 主任研究者)

2. 発表のポイント:
◆ ミクロなレベルでの試料の構造や不純物などの情報を持つ「量子指紋」を理解できるAIを開発した。
◆ 電気抵抗由来の量子指紋を解読することで、電気抵抗の情報のみから金属内部のミクロな構造を復元することに成功した。
◆ AIを利用したナノ構造顕微鏡への応用が可能であると考えられ、次世代エレクトロニクスデバイス開発への貢献が期待される。

3. 発表概要:
東京大学大学院工学系研究科・Beyond AI研究推進機構の大門俊介 助教、齊藤英治教授らを中心とする研究グループは、上智大学理工学部の大槻東巳 教授らと共同で量子を理解するAIを開発し、電気抵抗の情報から試料のナノ微細構造を復元することに成功しました。
電気抵抗は、物質の中での電子の流れやすさを表します。金属などの物質は物質固有の電気抵抗の値をもち、同じ大きさの金属はおおよそ同じ電気抵抗を示します。しかしながら、ナノメートル(1 mmの1000000分の1の長さ)というとても小さな世界では、量子力学(注1)が電子の運動を支配し、この状況は一変します。電子が波のように金属中を漂い、金属の表面や障害物に散乱された多くの波が干渉し、波の強め合い・弱め合いによって電気抵抗が大きく変化します(図1)。言い換えれば、電気抵抗に金属の形状や障害物の分布などのミクロな情報が含まれているのです。しかしながら、このような量子力学的な波の干渉は極めて複雑で、電気抵抗からミクロな情報を復元することは夢物語とされてきました。
今回、大門助教らは、量子力学的な干渉(注2)を解読するAIを開発し、電気抵抗の情報だけから金属内部の微細な構造を復元することに成功しました(図2)。近年の目覚ましい発展により、AIが人知を超える精度でデータを認識できることに着目し、量子干渉の解読に特化したAIを開発しました。開発したAIは一見ランダムに見える電気抵抗の変化に法則性を見出し、電気抵抗のデータだけから金属内部のミクロな構造、ひいては量子力学的な干渉の情報を引き出すことができます。
本研究成果は、英国科学雑誌「Nature Communications」に2022年6月8日(英国時間)に掲載されました。

4. 発表内容:
【背景と経緯】
次世代エレクトロニクスの進展が望まれる今、デバイスの更なる微小化を進める上で、物質の量子力学的な性質を理解することは重要な意味をもちます。例えば、デバイスの開発においては金属が必要不可欠ですが、低温の環境において、金属中の電子の運動には量子力学的な性質が顔を出します。電子は粒子としてではなく波のように振る舞い、波が伝播するように広がって金属中を進みます。この波の散乱・干渉によってつくられる波紋は、波動関数(注3)と呼ばれます。金属中を流れる電子の波の位相は、磁場によって変調されることが知られています。すなわち、磁場の変化に伴って波の位相干渉が変化し、異なる波紋が現れます。この現象を示す最もシンプルな例は、リング形状の金属内を電子の波が伝播するモデルです。このモデルでは、電子はリング内を貫く磁場に比例して波の位相を変化させます。このとき、もし電子がリングを一周したときに位相が360度回転すれば、波が強め合って電子が流れやすくなり、位相が180度回転すれば、波が弱めあって電子が流れにくくなります。このように、リングを貫く磁場の大きさに依存して、電子の流れやすさ、つまり電気伝導度が変化します。磁場の大きさを徐々に大きくすれば、波の強め合い弱め合いが交互に変化し、電気伝導度に振動が現れます。この現象はアハラノフ=ボーム振動と呼ばれ、電子の波の性質を表す代表的な実験として知られています。
しかしながら、リング形状に限らない一般の金属には、試料の構造や不純物などの多くの散乱要因が存在します。結果として多くの散乱波が積み重なって干渉し、電気伝導度を変化させます。この電気伝導度は、散乱要因の情報を反映しながら、磁場に対して複雑に変化します。伝導度に現れる複雑なゆらぎは「量子指紋」と呼ばれ(図1)、試料の構造や不純物などのミクロな情報が含まれています。それにも関わらず、伝導度ゆらぎのあまりの複雑さから、量子指紋を理解しミクロな情報を引き出すことはできないと考えられてきました。そこで本研究では、量子を理解する機械学習手法の開発を行い、複雑な量子指紋から金属のミクロな構造および量子干渉情報を解読することを目指しました。

【研究内容】
量子を解読する機械学習モデルとして、図2に示すような三又構造の新しい深層学習(注4)ネットワークを開発しました。学習する量子系としては、円形の欠陥を導入した微細金属細線(図1)を考え、金属の量子指紋情報のみから電子の波動関数の情報を引き出す学習を行いました。三又構造ネットワークは量子干渉の情報を解読する特徴抽出ネットワークと量子指紋からミクロ構造を生成する構造生成ネットワークの2つから構成されます。特徴抽出ネットワークは図2の (A)と (B)を結合したネットワークで、金属中を流れる電子の波動関数画像を入力とし、画像を潜在空間と呼ばれる小さな情報空間へ圧縮したのち、再度同じ画像を生成しようとします。これにより、波動関数画像を生成するのに必要最小限の情報が潜在空間へと抽出されます。この抽出された情報を利用し、量子指紋から波動関数画像を生成します。構造生成ネットワークは図2の (C)と (B)を結合したネットワークで、量子指紋を入力とし、潜在空間を経由して波動関数画像を生成します。一般に、小さな情報量しかもたない電気伝導度のデータだけから、大きな情報量をもつ波動関数のデータを生成することは困難ですが、潜在空間を経由する構造を導入したことで初めて量子干渉の情報を生成することに成功しました。生成された画像には、金属の構造や欠陥の情報が含まれており、空間的な構造が復元されただけでなく、量子力学的な干渉の情報までも含まれています。
さらに本研究では、学習したネットワークを解析し、潜在空間中に二次元的な層状のデータ構造が形成されていることを発見しました(図3)。詳細な解析によって、二次元層構造の面内方向には金属の構造に由来した古典的情報が、厚さ方向には波動関数の干渉に由来した量子的情報が埋め込まれていることを突き止めました。このことは、今回開発したネットワークが古典的な情報と量子的な情報を区別して理解していることを表しています。このよく整理された情報空間の形成により、量子指紋の情報だけから金属のミクロな構造と量子干渉の情報を同時に生成することを実現しています。

【研究の学術的・工学的意義と今後の展望】
本研究の学術的意義は、理論的にも実験的にも理解が難しかった「量子指紋」を解読したことです。量子指紋は金属のミクロな構造に応じて複雑に変化するため、これまで人間の直感で理解することができませんでした。本研究では、量子干渉の解読に特化したAI(三又構造の深層学習ネットワーク)を開発することにより、初めて量子指紋の複雑な振動を理解し、そこから金属のミクロな構造を復元することに成功しました。この成果は、実験的にも理論的にもアプローチが難しい量子現象に対して、深層学習が有効な解析の手法になり得ることを示し、量子現象に対する新たな解析手法を提案するものです。
今回開発したAIは、金属内部のミクロ構造を観察する非破壊イメージング技術として工学的応用が期待されます。非破壊イメージングとは、試料を切断するなど破壊することなく内部の構造を観察する技術です。今回開発したAIは電気伝導度を測定するだけで、試料を破壊することなく内部の構造を見ることができます。本研究で開発したAIは、1ナノメートル程度の変化に敏感な量子干渉効果を利用しているため、ナノメートルという極めて小さな分解能で金属の内部を観察できる可能性を秘めています。本成果に端を発し、AIによるナノ構造イメージングという新時代の技術の発展が期待されます。

研究支援
本研究は、東京大学・ソフトバンクBeyond AI連携事業、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO 齊藤スピン量子整流プロジェクト(No. JPMJER1402)、科学研究費補助金(No. 19H05600, No. 19H00658, No. 20H02599, No. 20H05297, No. 21K14519, No. 19K21031, No. 19K21035, No. 20K22476)、東京大学卓越研究員制度などによる支援を受けて行われました。

5. 発表雑誌:
雑誌名:「Nature Communications」
論文タイトル:Deciphering quantum fingerprints in electric conductance
著者:S. Daimon*, K. Tsunekawa, S. Kawakami, T. Kikkawa, R. Ramos, K. Oyanagi, T. Ohtsuki, and E. Saitoh
DOI番号:10.1038/s41467-022-30767-w
アブストラクトURL:https://doi.org/10.1038/s41467-022-30767-w

6. 用語解説:
(注1)量子力学
物質を構成する電子や陽子の運動を記述する理論体系。古典力学において電子は粒子として扱われるが、量子力学では粒子の性質と同時に波の性質も持ち合わせる。ナノメートル(1 mmの1000000分の1の長さ)程度の極めて小さな領域では、古典力学では説明できない量子力学的な物理現象が現れる。
(注2)量子力学的な干渉
量子力学的な性質が現れるナノメートルの領域では電子が波のように振る舞う。量子力学的な波が複数重なり合うことで生じる波の強め合い・弱め合いは量子力学的な干渉と呼ばれる。ナノメートルサイズの金属中では、量子力学的な干渉により電気抵抗が変化する。
(注3)波動関数
量子力学的な波としての電子の広がりのこと。電子は波のように物質中に広がっており、その空間的な広がりの分布を表す。
(注4)深層学習
人間の神経回路を模した人工ニューロンを多層に重ねて構成されるニューラルネットワークを用いた機械学習手法。大規模なデータを用いてニューラルネットワークを学習させることで、画像認識、音声認識、翻訳などのさまざまな分野で応用される。

7. 添付資料:
fig1
図1 古典および量子力学的な描像における電子の電気伝導の模式図
金属中の電子は、古典的にはボールのような粒子であると考えられてきた。金属中ではこの粒子が転がるように流れることによって電気伝導が担われていると考えることができる。一方、低温の環境においては、電子の運動に量子力学的な性質が顔を出す。このとき電子は粒子ではなく波のように振る舞う。金属中では波が伝播するように広がり、散乱・干渉しながら進んでいく。さらには波の干渉の強め合い・弱め合いに応じて、電気抵抗が大きく変化する。電子の波は、外から与えられた磁場に応じてその位相を変化させる性質を持ち、磁場の大きさに応じて複雑な変化が現れる。電気抵抗の変化は、金属の形状や不純物分布などの構造を反映して、試料ごとに異なった変化を示すことから「量子指紋」と呼ばれる。今回の研究では、この複雑な量子指紋を解読し、金属内部の構造を復元することに成功した。

fig2図2 三又構造の機械学習ネットワークによる量子指紋の解読の模式図
(a)量子指紋を解読し、金属内部のミクロ情報を生成する機械学習ネットワークを開発した。生成された画像は答え画像と良く一致しており、量子指紋から金属内部のミクロ構造を生成することに成功した。生成された画像には、金属の形状や不純物欠陥の情報のみならず、波としての電子の干渉情報までもが含まれている。(b)開発した三又ネットワークは(A)、(B)、(C)の3つのネットワークから構成される。(A)と(B)から構成されるネットワークでは、金属内部のミクロ構造および量子干渉情報の特徴を抽出する。(C)と(B) から構成されるネットワークでは、量子指紋から金属内部のミクロ構造および量子干渉の画像を生成する。このような三又構造の機械学習ネットワークを開発することにより、複雑な量子指紋を解読に成功した。

fig3図3 学習ネットワークから抽出された情報幾何構造
開発ネットワークが学習した大規模データの情報幾何構造。金属中の不純物欠陥の位置に応じて2次元的な層構造を形成し、量子干渉の情報が層の厚さ方向に現れている。開発ネットワークは、ミクロ構造および量子干渉を表現するための本質的な情報を抽出し、古典的な位置情報と量子的な干渉の情報を分離して理解している。


プレスリリース本文:PDFファイル
Nature Communications:https://www.nature.com/articles/s41467-022-30767-w