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- 2021
【第12回 インタビュー】社会基盤学専攻 菊地由佳先生
洋上風力発電が日本のエネルギー供給を担う時代に向けて
―日本が最先端を走る技術をつくる―
「2050年カーボンニュートラル」の実現に向けて、再生可能エネルギーの研究が進んでいます。そのひとつに、海の上で風の力を利用して発電する「浮体式洋上風力発電システム」があります。風や波の力、ときには海の生き物の影響を受けながらも安定してエネルギーを供給するにはどのような研究をしなくてはならないのでしょうか。染谷隆夫工学系研究科長が研究の成果と未来、発展のために必要なことについて語り合う対談の第12回では、大学院工学系研究科社会基盤学専攻の菊地由佳特任講師に風力発電システムについて語っていただきました。
染谷:対談の前に、菊地先生に東京大学の風洞実験室を案内してもらいました。実は私も実験室の中に入るのは初めてです。50年以上の歴史をもつ施設ということですが、いつごろ、どんな目的で作られたのですか?
菊地:この風洞実験室は、1964年の東京オリンピックのときに、明石海峡大橋やレインボーブリッジをはじめとした「長大橋梁」に作用する風の影響を調べるためにつくられた施設です。一度、改装していますが、50年以上ずっと現役で今も橋梁の実験に活躍しています。
染谷:菊地先生は、この風洞実験室でどんな研究をされているのですか?
菊地:浮体式洋上風力発電システムという、海の上に浮かべる風力発電施設の研究をしています。施設を安全に作るためには、構造物に作用する波や潮流による流体力を正しく評価することが必要です。船舶や石油掘削リグなどで既に理論が確立されているのではないかと思いますが、風力発電機を載せる浮体は今までにない新しい形状をしていて、従来の方法のみでは精度良く流体力を評価することができないという問題があります。実験とシミュレーションを用いて、流体力評価の高精度化に取り組んでいます。
このような流体力と構造物の相互作用の問題は、風洞実験室で長く取り組まれてきた風と長大橋梁の相互作用の研究と通じています。
染谷:浮体式洋上風力発電所というのは、海に浮かぶ大型の発電施設なのですね。どのぐらいの大きさなのでしょうか?
菊地:近年発電機は大型化してきており、主流となりつつある10MW風力発電機ですと、1本の羽の長さは約90メートル、高さは約120mと言われます。40階建てのビルの上で、ジャンボジェット機がぐるぐる回転しているようなイメージになります。重量は風車で約1500トン、浮体は形式にもよりますが、鋼材重量で約5000トンと言われます。最適な浮体形式について研究中のため、この浮体重量は低減していくと思います。
染谷:そんなに大きいのですか。船舶や石油掘削リグとも違っていて、風車を支える浮体は風や波の影響で揺らぐのでその動きを解析するのが難しいということなのですね。 風車の部分は技術が確立されているけれども、それを支える浮体の揺れに課題があるわけですね。
菊地:はい、浮体が揺れすぎると、発電機が発電できなくなってしまいます。正しい流体力の評価手法を確立した上で、いかに揺れない浮体を設計するかが大切になります。ただ、大きな浮体を作って揺れなくするという方向ですと、コストがかかってしまいますので、コストは抑えた上で揺れない浮体を作るという所が工夫のしどころです。
逆に、風力発電機側を研究するという考え方もあります。例えば、風に対して、風車の羽の角度や首の角度をうまく変えることで、浮体の揺れを抑えることができると言われており、そういった新しい制御手法についての研究も行っています。
染谷:近年は、気候変動の影響もあって台風が大型化しているといった変化もありますね。これまで想定していなかった巨大な台風や波などの影響を考えなくてはいけないという難しさありますか?
菊地:気候変動の影響は大きくなっていますが、年最大風速に関しては、過去70年間の観測値を調べた結果、温暖化の影響はないという研究結果が出ています。風車の運転期間は20年なので、影響はないといえます。
染谷:浮体式風力発電所は海の上に浮いているので、波や風などさまざまな自然の影響を受けて課題が発生してしまうように思います。素朴な疑問なのですが、陸に近いところで海底の地盤に発電設備を固定することはできないのでしょうか?
菊地:その通りで、浮体式の話からしてしまいましたが、水深50m程までは、海底の地盤に杭を打ち込み支持構造物とする着床式洋上風力発電所が適しています。ただ、日本は海溝が近くにあり、水深50m以下の場所が限られているため、風力を日本の主力電源の1つとして確立しようとすると、浮体式の実現が必要になります。
もともと日本やノルウェーなど、水深の深い国が浮体式の研究を始めました。最近は、英国のように浅い水深の海域が多い国でも、すでに大規模な着床式洋上風力発電所の建設が一段落し、さらなる二酸化炭素排出削減や雇用創出のために浮体式に力を入れ始めています。日本は浮体式で世界をリードしている状況なので、そのまま最先端を走りたいと思っています。
染谷:先生の腕の見せどころである、世界ともっとも競争している部分はどこでしょうか? 風車が最大のパフォーマンスを上げられるようにするというところですか?
菊地:いかに発電コストを低減することができるかという点です。技術的な安全性が実証された所ですが、商用化するためには、着床式洋上風力発電所のレベルまで発電コストを低減する必要があるのです。コスト低減のために、例えば、鋼材量の少ない浮体形式を開発する、浮体や係留の材料を変える、施工コストを低減するといった研究が重要になります。私は、エンジニアリングコストモデルという工学的知見を活用したコスト評価プログラムを開発しており、そのようなプログラムも使いながら、コスト低減を実現する浮体式洋上風力発電システムの最適化に取り組んでいます。
染谷:工学的課題がたくさんあって、取り組み甲斐のある研究テーマばかりですね。洋上で発電すると、それを利用する地上へ電力を送らないといけないわけですから、その部分にも課題がありそうです。
菊地:発電所から陸上へ送電ケーブルで電気を送るのですが、浮体が動いてケーブルを引っ張りすぎると切れてしまいます。そこで、送電ケーブルに浮きをつけてS字状に浮かせて余長を持たせることで、浮体が動いても切れないようにしています。福島沖で行われた実証研究中には、このケーブルに、フジツボなどの海洋生物がたくさん付着し、ケーブルが重くなって沈んでいってしまうということも起こりました。今では海洋生物が付きにくい材料や、付いても掃除しやすいケーブルの開発が行われていると聞いています。
実験とシミュレーションをつなぐ
染谷:はじめに、風洞実験室の風車の模型を見せてもらいました。模型は実物よりはるかに小さいわけですね。模型での実験は、実際の浮体式洋上風力発電所をどの程度まで模擬できて、研究の中ではどのような位置づけになるのでしょうか?
菊地:模型と実物には、「相似則」という関係があり、模型の形状や、レイノルズ数などの無次元量を実物と一致させると、状態を模擬できることが知られています。正しく実験すれば模型で計測した実験結果を実物に適用して考えることができます。いま実験室に設置している風車模型の場合は、風車に風方向にかかる力が相似則を満たすように設計しています。また、実験で得られた観測値を用いて、計算機によるシミュレーションのモデルが正しいかどうか検証することも重要です。実験を用いて検証されたシミュレーションのモデルを用いて、さまざまなケースを計算しています。
染谷:風洞実験を正しく、実物に近づけていくにはどのように実験するのでしょうか?
菊地:例えば、風の流入口に「スパイヤー」と呼ばれる三角形の板を並べ、実際の風の乱れを模擬することができます。どうしても実験で再現できないケースを、シミュレーションで計算することもあります。
染谷:風力発電は歴史が長いので、実験でできることはほとんど実験してしまったのではと思っていたのですが、まだまだたくさんのテーマがあったわけですね。そして将来、再生可能エネルギーは自然の変動を織り込んで、安定したエネルギーになっていけるのでしょうか?
菊地:はい、変動の課題も技術を用いて克服することができると思っています。デンマークの例ですが、港湾の巨大冷蔵庫と洋上風力による発電を連携させて、変動分を吸収させる試みがあるそうです。とても冷えた業務用の冷蔵庫なので、短時間電力が来なくても温度を保てるということだそうです。また、大規模に発電所を設置するほど、変動が平滑化されるということも言われています。中央司令塔のようなシステムを使って、制御していくということも考えられると思います。
ただし、日本ではまだ風力は電力供給量の数パーセントですので、安定化を考えなくてはいけないような時期ではないです。将来、供給量の10%以上を風力でまかなっていこうとなったときに重要となってくると思います。今はまず、初期の導入を促進できればと思っています。
民間が洋上風力発電に参入できる時代に
染谷:日本の再生可能エネルギーの10%をまかなうとすれば、風力発電の研究は大掛かりで費用もかかりますね。研究を主導しているのは国や自治体、それとも民間でしょうか? また、電力会社のようなインフラ系なのか、重工業の機械メーカーなのでしょうか?
菊地:研究は、大学・民間・国が一体となって進めています。参加している民間企業は、風車は重工系、浮体は造船会社、係留は製鉄会社、ケーブルは電線会社、施工はゼネコン等々、多岐にわたります。
導入の促進には、産官学が揃って同じ方向に向かうことが大事だと感じています。洋上風力の場合、企業と大学による研究開発の後、2013年 に制定された「FIT(固定価格買取制度)」、2019年に施工された海域計画に関する法律、さらに2020年の国による導入目標の設定が揃って、ようやく民間企業が参入できる環境が整いました。
染谷:確かにその通りですね。そうした国と民間との関係の中で、大学の役割とは何でしょうか? 技術の向上や開発という部分では、企業と重なる部分がありますね。
菊地:ひとつは、物理現象のメカニズムを解明し、設計に必要なシミュレーションツールを高精度化することです。精度が悪いと、その分、安全率をかけることになるので結果的に高コストに繋がります。精度を上げることができれば、安全をしっかりと守った上で、コストを安くできます。
もうひとつは、設計基準の作成に貢献することです。研究室での研究成果は、国際基準に反映するように働きかけていきます。例えば、2000年当初は、日本特有の地震や台風を考慮する設計式が国際基準の中に入っていなかったため、その基準を基に設計された風車を日本に輸入して建てたところ、台風で風車が倒壊するという被害が起きたことがありました。そこで、台風を考慮した設計風速の評価手法を研究し、国際基準の中に入れることで、現在ではそのようなことはなくなりました。研究成果の積み重ねを、シミュレーションツールや設計基準という形で、社会に還元することが大学の重要な役割だと思います。
染谷:研究が安全や国際基準に直結する、大変やりがいのあることですね。先生がそうした、公共に資する分野に進んだのはどのようなきっかけなのでしょうか?
菊地:小学生のころから酸性雨、温暖化など地球環境に関するトピックに興味があって、そうした仕事をしたいと思っていました。ちょうど小学生だった1997年に京都議定書が採択され、子供の耳にもそういったニュースが届いていたからかもしれません。高校入学後、「環境問題を解決するなら科学がわからなければ判断できない」と思って、理系に進路を決めました。そのとき、社会基盤学専攻のWebサイトで風力発電機の写真を見て、これだと思って大学での専攻を決めました。
染谷:そこからさらに、研究者としての道を選ばれたのはなぜでしょうか?
菊地:身近に研究者がいなかったので、研究に対して漠然としたステレオタイプのイメージしか持っていませんでした。研究室に入った後に、観測・シミュレーションを積み重ね、安全で合理的な構造物を作るための評価式を提案し、設計指針として世に残していく社会基盤学の研究の姿を知ることができました。このように研究が社会の安全を支えているということに感銘を受け、迷いながらも、博士まで進学しました。
染谷:先生は、小さいころに関心を持った環境問題にこれまでまっすぐに、情熱的に取り組まれているわけですね。先生のような女性の研究者がぜひ後に続いてほしいと思いますが、そのために感じておられる大変なところ、ハードルがあったら教えてください。
菊地:研究科からさまざまにサポートプログラムを出して頂き、応援して頂いているということを実感しています。博士卒業後、大学での研究を続けることができたのは、工学系研究科男女共同参画プログラムに基づく女性教員採用枠によるものです。女性スタートアップ研究費支援プログラムでは、オランダの研究所に1ヶ月滞在し、新しい研究テーマを見つけることができました。
このように環境を整えて頂いているからには、研究者として成長し、後輩に自信を持って研究者を薦められるようになりたいと思っています。また、この先、ライフイベントを迎えて制度に改善点を感じることがあれば、発信していきたいです。
染谷:菊地先生の将来の目標はなんでしょうか?
菊地:2050年にカーボンニュートラルを達成することが目標です。日頃、2050年にちょうど私は定年を迎える頃だなと想像しています。目標実現できるように貢献していきたいと思っています。
染谷:先生はなんのためにこういう研究をしているのか、ということが明確で、やりがいを持っておられますね。研究に熱中しているうちに、困難な問題が解決されて皆が幸せになるというのは、研究者としていちばん理想の姿かもしれません。環境問題は、本当の意味で地球のために実現しなくてはならないことでやりとげないといけないことです。世間には課題やその実現を信じていない人もまだいますが、「どうせやってもできないよ」では前に進めませんね。真っ直ぐに尊い目標に進まれていることを応援したいと思います。その中で、若手研究者共通の悩みである、雑務を軽減して研究に使う時間をもっと確保するなどの課題も出てくると思います。後進の支援にもなりますから、こうあるとよいなということはぜひ積極的に声を上げてくださいね。
Profile
菊地由佳特任講師
私立フェリス女学院中学校(神奈川県)出身、私立フェリス女学院高等学校(神奈川県)出身
聞き手:研究科長 染谷隆夫教授
東京学芸大学附属竹早中学校(東京都)出身、東京学芸大学附属高等学校(東京都)出身
※所属や職位の情報は全て取材時点での内容です。