プレスリリース

様々な計算を何ステップでも実行できる万能な光量子プロセッサを開発 ―日本発「究極の大規模光量子コンピュータ」実現に道―

 

1.発表者:
武田 俊太郎(東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 准教授)
榎本 雄太郎(東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 助教)

2.発表のポイント
◆2017年に発表した「究極の大規模光量子コンピュータ」方式(注1)において、計算を行う心臓部となる独自の光量子プロセッサの開発に成功。
◆開発した光量子プロセッサが、情報を乗せた1個の光パルスに様々な計算を複数ステップ実行できることを示し、従来の回路にない汎用性と拡張性を兼ね備えた万能な動作を実証。
◆本プロセッサは応用性も高く、どれほど大規模な計算も最小回路で実行できる「究極の大規模光量子コンピュータ」への応用展開はもちろん、他の多彩な光量子技術の実現も加速。

3.発表概要: 
近年、実用化へ向けて特有の強みを持つ、光を用いた量子コンピュータへの注目が高まっています。その中で、2017年9月、東京大学大学院工学系研究科の武田俊太郎助教(当時)らは、どれほど大規模な計算も最小規模の光回路で効率良く実行できる「究極の大規模光量子コンピュータ」方式(注1、図1(a))を考案しました。今回、同大学院工学系研究科の武田俊太郎准教授と榎本雄太郎助教らの研究チームは、「究極の大規模光量子コンピュータ」方式の心臓部となる計算回路である独自の光量子プロセッサの開発に成功しました。また、その光量子プロセッサが、回路構成の変更なしに、情報を乗せた1個の光パルスに様々な種類の計算を複数ステップ実行できることを示しました。従来の光量子コンピュータの計算回路は、計算の種類の変更に回路の変更が必要となる汎用性の乏しいものであり、また複数ステップの計算には回路が複数個必要なため拡張性にも難がありました(図1(b))。今回、これらの欠点を克服した万能な光量子プロセッサが実現し、その応用性の高さから、日本発のアイデアである「究極の大規模光量子コンピュータ」方式への応用展開はもちろん、量子通信・量子センシング・量子イメージングなど多彩な光量子技術の実現を加速させるものと期待されます。
本研究の一部は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(さきがけ)「量子の状態制御と機能化」(研究総括:伊藤 公平 慶應義塾大学 理工学部 教授/塾長)における「プログラマブルなループ型光量子プロセッサの開発」(研究者:武田 俊太郎 東京大学大学院工学系研究科 准教授)の支援のもとに行われました。また、本研究の一部は文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業(分子・物質合成)により分子科学研究所装置開発室の技術支援を受けました。

4.発表内容: 
≪研究背景≫
近年、実用化へ向けて特有の強みを持つ、光を用いた量子コンピュータへの注目が高まっています。量子コンピュータとは、特定の計算を現代のスーパーコンピュータより高速に実行できる新しい計算原理のコンピュータです。現在、世界各国で様々な方式で開発が進められています。その中でも、光を用いた方式には実用化に有利な特有の強みがあり、実現が期待されています。その強みとは、他の方式で必要な冷凍・真空装置が不要で、常温・大気中で動作すること、光を用いた量子通信との相性が良いこと、高速な計算処理(高クロック動作)が可能であることなどが挙げられます。
2017年9月、東京大学大学院工学系研究科の武田俊太郎助教(当時)らは、どれほど大規模な計算も最小規模の光回路で効率良く実行できる「究極の大規模光量子コンピュータ」方式(注1、図1(a))を考案しました。これは、従来の典型的な光量子コンピュータ方式(図1(b))の課題を根本的に解決するアイデアでした。従来の方式では、まず量子ビット(注2)の情報を乗せた光パルスを同時に多数発生させ、光パルスの通り道に沿って、加減乗除のような単純な計算を行う回路を複数並べた光回路を構築することで目的の計算を実行します。この方式では、多数の量子ビットで何ステップも計算をする大規模な計算を行う場合、計算回路が大量に必要になり、光回路が大規模になります。このため、光量子コンピュータの大規模化は難しいと考えられてきました。これに対し、武田助教(当時)らが考案した方式では、多数の光パルスを時間的に一列に並べて、それらが1個の万能な計算回路(光量子プロセッサ)を何度もループする構造を採用します。この回路は、計算の種類を切り替えながら繰り返し計算できる独自設計になっており、それ1個を用いて無制限に何ステップも計算を行うことで、どれほど大規模な計算でも最小規模の回路で実行できる仕組みです。この方式は、光量子コンピュータの飛躍的な大規模化を促し、それに必要なリソースやコストを大幅に減少させるものとして、実現が期待されていました。

≪研究内容≫
今回、東京大学大学院工学系研究科の武田俊太郎准教授と榎本雄太郎助教らの研究チームは、「究極の大規模光量子コンピュータ」方式の心臓部となる独自の光量子プロセッサの開発に成功しました。また、その光量子プロセッサが、情報を乗せた1個の光パルスに様々な計算を複数ステップ実行できることを示し、従来の回路にない汎用性と拡張性を兼ね備えた万能な動作ができることを検証しました。本成果は「究極の大規模光量子コンピュータ」方式の計算原理と有効性を実証したマイルストーンと位置付けられ、その実現への道を開くものです。本成果のポイントは、「計算の種類の切り替えが可能」で「何ステップも繰り返し計算可能」という新しい機能を持つ独自の計算回路(光量子プロセッサ)を実現したことです。一般に、光量子コンピュータの計算回路は「量子テレポーテーション」(注3)の原理に基づいており、①2つの光パルスの間の量子もつれ(注4)の合成、②片方の光パルスの測定、③もう片方の光パルスへの操作、という一連の手順を踏むことで加減乗除のような単純な計算が1回実行されます(図2、3)。2019年5月の段階で、武田俊太郎特任講師(当時)らは光量子プロセッサの回路の一部を開発し、手順①の「量子もつれ光パルスの合成」までを検証していました(注5、図4(a))。今回、光量子プロセッサの回路を完成させ、回路の多数の構成要素(ミラーの透過率や光スイッチのon/offなど)をナノ秒の精度で時間同期しながら切り替える仕組みを導入しました。これにより、回路内で①~③の全ての手順を時々刻々と行って計算が実行できるようになりました(図4(b))。さらに、回路の切り替えパターンの変更により、行う計算の種類や繰り返し回数も変更できるようになりました。
今回、開発した独自の光量子プロセッサが、従来の計算回路にはない汎用性と拡張性を兼ね備えた万能な動作ができることが実証されました。まず、量子コンピュータに必要な計算5種類(注6)のうち4種類が、同じ回路構成のまま実行できることを実験的に確かめました。また、もう1種類の計算も特殊な補助光パルスを入力すれば実行できることを理論的に示しました。さらに、①~③の一連の手順を繰り返すことで、最大3ステップの計算まで実行できることも実証しました。原理的には、今回の1個の光量子プロセッサを繰り返し用いれば、様々な計算を無制限に何ステップでも続けられます。従来、光量子コンピュータの計算回路は、計算の種類の変更には回路の変更が必要となる汎用性の乏しいものであり、また複数ステップの計算には回路が複数個必要なため拡張性にも難がありました。これに対し、今回の光量子プロセッサはこれらの欠点を克服した万能な動作が可能で、たった1個で必要な計算を全て切り替えて実行できる汎用性と、何ステップでも計算を繰り返せる拡張性を兼ね備えます。さらに、量子コンピュータのみならず、様々な光量子技術へ組み込むことのできる高い応用性も併せ持ちます。以上から、本成果により、万能で応用性の高い日本オリジナルの光量子プロセッサを世界に先駆けて開発できたと結論づけられます。

≪社会的意義と今後の展開≫
本成果は、日本発のアイデアである「究極の大規模光量子コンピュータ」の実現を大きく前進させるものです。今後、今回の光量子プロセッサを多数の光パルスがループする構造を作れば、様々な計算を無制限に何ステップでも続けられることになり、最小回路で量子コンピューティングが実行できます。これにより、光の特徴である室温・大気中動作、通信可能、高速処理というメリットを併せ持つ大規模・汎用量子コンピュータの実現へつながり、材料・医薬品の開発、最適化、人工知能など様々な用途への応用が期待されます。
また、本成果は、光を用いた様々な量子技術への波及効果が見込めます。光の量子技術は応用分野が幅広く、光の量子性を用いて安全性や通信性能を高める量子通信や、従来の物理的限界を超えた光計測を可能とする量子センシング・量子イメージングなどがその例です。今回開発した光量子プロセッサは応用性も高く、このような様々な光量子技術に組み込んで利用可能であるため、その実現を加速させるものと期待されます。
今後は、さらに技術開発を進めて、多数の光パルスに無制限に何ステップでも計算が実行できる「究極の大規模光量子コンピュータ」方式の完成を目指します。また、今回の技術の様々な分野への応用可能性について検討を進めて参ります。

5.発表雑誌:
雑誌名:「Science Advances」〈オンライン版2021年11月12日(米国時間)掲載〉
論文タイトル:Programmable and sequential Gaussian gates in a loop-based single-mode photonic quantum processor
著者:Yutaro Enomoto, Kazuma Yonezu, Yosuke Mitsuhashi, Kan Takase, Shuntaro Takeda*
DOI番号:10.1126/sciadv.abj6624
アブストラクトURL:https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abj6624

6.用語解説:
注1:「究極の大規模光量子コンピュータ」方式
詳細は、2017年9月に発表した以下のプレスリリース、および図1(a)をご覧ください。
『究極の大規模光量子コンピュータ実現法を発明~1つの量子テレポーテーション回路を繰り返し利用~』
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20170922/index.html

注2:量子ビット
現代のコンピュータは0か1のいずれかで表される「ビット」という情報単位を用いて情報処理を行います。一方、量子コンピュータでは、0と1の重ね合わせで表される「量子ビット」を情報単位に用います。重ね合わせとは、0と1が同時並行で存在するような一種の中間状態で、ミクロな量子力学の世界特有の状態です。量子コンピュータの高い計算処理性能は、この重ね合わせを巧みに利用することによって生み出されます。

注3:量子テレポーテーション
量子テレポーテーションとは、一定の手順により、ある量子Aが持つ量子ビットの情報を、別の量子Bに移動(転写)する、一種の情報通信の手段です。この量子テレポーテーションの手順を一部変更することで、量子Aの量子ビットの情報に何らかの計算を行った上で、量子Bに転写することができます。この場合、量子テレポーテーションは量子ビットに計算を行う手段と考えることができます(具体的な手順は図2、図3参照)。量子テレポーテーションを何回も繰り返すことによって、何ステップにも渡る複雑な計算が実行でき、量子コンピュータが実現できることが知られています。

注4:量子もつれ
量子もつれとは、2個以上の量子が、量子力学抜きには説明できない特殊な相関を持っている状況を指します。量子もつれは、量子テレポーテーションを利用した計算や、量子通信、量子センシングなど、様々な量子情報処理に利用されます。

注5:量子もつれ光パルスの合成
詳細は、2019年5月に発表した以下のプレスリリース、および図4(a)をご覧ください。
『最小限の光回路でさまざまな光の量子もつれを効率的に合成~「究極の大規模光量子コンピュータ」の心臓部を実現~』
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20190518/index.html

注6:量子コンピュータに必要な計算5種類
人間は、加減乗除(足す、引く、かける、割る)の4種類の基本的な計算ができれば、それらの組み合わせで日常的な様々な計算を行うことができます。これと同じように、今回の方式の光量子コンピュータでは、5種類の基本的な計算(情報を乗せた光パルスに対する操作)ができれば、その組み合わせでどのような計算でもできることが知られています。5種類の計算を具体的に列挙すると、変位操作、位相シフト操作、スクイーズ操作、ビームスプリッタ操作、3次位相操作です。今回の光量子プロセッサでは、3次位相操作を除く4種類が実験的に実証され、3次位相操作は今回の回路で実行可能であることが理論的に示されました。

7.添付資料:

1:光量子コンピュータ方式の比較
(a) 2017年9月、東京大学大学院工学系研究科の武田俊太郎助教(当時)らが考案した「究極の大規模光量子コンピュータ」方式では、量子ビットの情報を乗せた多数の光パルスを時間的に一列に並べて、それらが1個の独自設計の計算回路(光量子プロセッサ)を何度もループする構造を採用します。1個の計算回路を、行う計算の種類を切り替えながら繰り返し用いることで、どれほど大規模な計算でも最小規模の回路で実行できる仕組みです。
(b) 従来の典型的な方式では、まず量子ビットの情報を乗せた光パルスを同時に多数準備します。各光パルスの通り道に沿って、加減乗除のような計算のうち1種類を1回だけ行う計算回路を複数並べて、光回路を構築します。構築した光回路を多数の光パルスが通り抜けることで、計算が実行される仕組みです。この従来方式で、多数の量子ビットに何ステップも計算をする大規模な計算を行う場合、大量の計算回路が必要になり、光回路も大規模になります。


図2:量子テレポーテーションを用いた従来の計算回路の仕組み
図1(b)で利用されている従来方式の計算回路は、量子テレポーテーションの仕組みを利用して計算を行っています。この回路は、情報を持つ光パルス1個を入力すると、加減乗除のような計算を1回だけ行って計算結果を持つ光パルス1個を出力する、1入力1出力の計算回路です。計算を行うための具体的な動作としては、まず情報を持つ光パルスを、別の補助的な光パルスと部分透過ミラーで混ぜ合わせることで、2つの光パルスを量子もつれの状態にします。次に、量子もつれの2つの光パルスのうち、片方を測定し、測定値を得ます。最後に、測定値の値に応じてもう片方の光パルスに操作を行うと、その光パルスに計算結果の情報が現れます。補助光パルスの種類、部分透過ミラーの透過率、位相シフタのシフト量などを変えることで、この回路で行う計算の種類を変えることができます。

図3:量子テレポーテーションを用いた今回の計算回路(光量子プロセッサ)の仕組み
今回開発した図4(b)の光量子プロセッサも、量子テレポーテーションの仕組みを利用して計算を行っています。その仕組みを、時系列順に(a)~(d)に示します。基本的な手順は図2と同じですが、独自設計のループ構造を持つ光回路を採用し、その回路を構成するミラーの透過率や光スイッチのon/offなどを時々刻々と切り替えることで計算を行います。図2の従来の計算回路と比べた強みは、切り替えのパターンを変更すれば同じ回路構成のまま異なる種類の計算を実行できる汎用性を持つこと、またループ内で上記(a)~(d)の手順を繰り返すことにより何ステップも計算を続けられる拡張性を持つことです。

図4:光量子プロセッサ回路の開発状況
(a) 2019年の段階では、図1(a)の「究極の大規模光量子コンピュータ」方式の光量子プロセッサ回路の一部を開発し、スクイーズド光と呼ばれる量子的な光パルスを複数入射して、量子もつれ状態の光パルスを合成する動作までを検証していました。
(b) 今回、情報を持つ光パルスを回路に取り込む入力用光スイッチと、光パルスの測定値に応じて別の光パルスを操作するシステムを新たに組み込み、これらの構成要素を時間同期しながら切り替える制御システムを構築することで、光量子プロセッサ回路が完成しました。


プレスリリース本文: PDFファイル

Science Advances:https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abj6624

Tii技術情報:https://tiisys.com/blog/2021/11/15/post-100174/

日本経済新聞:https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP621162_Y1A101C2000000/

科学技術振興機構:https://www.jst.go.jp/pr/announce/20211113/index.html