プレスリリース
- 2021
動く分子を見て、触って、学べる「VR-MD」誕生 −スマホでサクサク動くVRアプリで楽しく化学を学ぼう!−
1.発表者:
佐藤 宗太(東京大学 大学院工学系研究科応用化学専攻/社会連携講座「統合分子構造解析講座」特任教授)
松田 健郎(株式会社豊田中央研究所 量子コンピューティング研究領域)
梶田 晴司(株式会社豊田中央研究所 量子コンピューティング研究領域)
2.発表のポイント:
◆分子動力学(MD)(注1)計算に基づいた分子シミュレーターをスマートフォン上でサクサク動かし、VR(注2)空間中で分子を見て、触れることで化学を学べるアプリ「VR-MD」を作成した。
◆温度上昇にともなって激しくなる分子の動きや、分子間相互作用の強度を、VR空間中でリアルタイムに楽しく体験することで直感的に理解できる、世界初の化学教育アプリである。
◆将来的にはVR空間中でのネットワークを通じた研究やものづくりへの利用が期待される。
3.発表概要:
化学を学ぼうとすると、分子は難しくて嫌いだという声が、高校生から大人までよく聞かれる。3次元空間を動いている物体である分子を、2次元平面の教科書で理解しようとするのは、かなり無理があるということだ。この問題を解決するため、分子化学の研究者が思い描く分子のイメージを直感的に伝えられる化学教育の方法が待望されている。東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻社会連携講座で最先端の化学研究を進める佐藤宗太特任教授と、MDシミュレーションをVR空間中に実装する研究を進める株式会社豊田中央研究所(以下、豊田中研)の研究グループは、それぞれの専門分野を持ち寄った共同研究を行い、スマートフォン上で分子の動きや相互作用を直感的に理解できるアプリの作成に取り組んだ。化学は誰もが「楽しい!」と感じて学ぶことができるはずだという熱い信念のもと、自由な学風の東京大学の最先端領域の研究者の知見と、新しい概念と技術の創出を基本理念のひとつとする豊田中研の先端技術を投入し、VR空間中で分子を見ながら、触る・つまむ・引っ張る体験ができるアプリ「VR-MD」が誕生した。将来的には、VR-MDは化学学習の教材としてだけでなく、ネットワーク化を通じて複数の人と、さらにはAIと協働したものづくりツールとしての活用も期待される。
4.発表内容:
従来から連携関係にあった東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻の藤田誠卓越教授の研究グループと豊田中研は、共に社会的課題や科学的課題を掘り起こす議論を継続してきた。そこで浮かび上がってきたのが、世の中の「化学嫌い」の多さである。「化学嫌い」になった理由では、「分子」の理解でつまずいて「化学」に苦手意識を持つようになった人が多数を占めた。つまり若い人に「分子」を理解してもらわなければ、「化学」の道に進む人が増えず、同分野の研究の底上げを図ることができないという問題点が見えてきた。
そこで、この大問題を解決するために、分野の垣根を超えて研究者を集結したドリームチームを結成した。そして、スマートフォン世代である若年層との親和性を重視し、動画コンテンツやゲームを楽しむ感覚で分子をVR空間中で自由に触ることができるアプリ「VR-MD」をゴールに設定し、「楽しく」「直感的に(視覚的に)」分子を理解できる体験型ツールの試作を開始した。
アプリ試作において、佐藤特任教授は、より興味を惹きそうな分子/分子間相互作用の選定に関するアドバイスや、高校などの教育現場における生徒たちの挙動や興味などの情報の提供といったコンテンツ面を担当した。豊田中研は分子シミュレーターの作成やVR環境の構築、さらには授業に適したデバイスの選定といったソフトとハード面の試作を担当した。
試作における最大の技術課題は、通常の化学計算に用いる高性能PCとは比較にならないほど低スペックなスマートフォン上でリアルタイムに分子挙動を再現することであった。この課題に対して、分子運動や手との接触のMD計算プログラムを自作し高速化を追求することで「スマートフォン上でサクサク動く」画期的なアプリ開発に成功した。また、適用事例の少ないスマートフォンのカメラを用いたハンドトラッキングや6DoF(注3)も導入し、直感的に分子に触れるアプリを実現した。
東京大学と豊田中研との協業によって異なる研究分野の産学の知を結集し、自由な考えのもとで全く新しい役立つものを作ろうとしたら、思わぬ楽しい「VR-MD」アプリが登場した。
今回試作した「VR-MD」で体験できる分子は「水」「DNA塩基対」「分子ベアリング」の3種である。これらの分子に触れ、つまみ、動かすことで、楽しみながら化学の現象の直感的理解を進める。
2021年11月17日午後には、東京都立武蔵高等学校で実施する出張模擬授業で「VR-MD」を使用し、実際に「分子の理解」に効果があるのか評価し、楽しみながら化学を学ぶ教育ツールとしての有効性を検証する。
将来的には、「VR-MD」は研究最前線での活用も期待できる。VR空間では互いにネットワーク化しやすいことを活かして、共同作業によって分子設計を行ったり、異分野の専門家たちが同じVR空間でリアルタイムに同じ理解に達することが可能となる見込みだ。そのほか、ものづくりの局面では、遠隔地の技術者がVR空間に集い同じものを触り動かしながら試作を進めたり、さらには、AIによるサポートを組み込める可能性もある。
5.用語解説:
(注1)分子動力学(molecular dynamics: MD)法:原子や分子の集団的な動きをコンピューターでシミュレーションする技術。原子間に適切な相互作用を定義し、それをもとに原子位置を時間発展させることで分子の動きを再現する。化学、材料、生体分子等の研究に広く用いられている。
(注2)仮想現実(virtual reality: VR):現実と同等の機能を有する物をコンピューターグラフィックなどで表現し、あたかも現実であるかのように体感させる技術。近年では、ゴーグル型のVR専用機が市販されるなど、身近な技術となりつつある。
(注3)ハンドトラッキングや6DoF:カメラ認識で追加装置なしに手の動きや前後移動をVR空間中で再現する技術。VRの操作技術として近年利用が進んでいる。
6.添付資料:
<図表1>
スマートフォンと立体メガネをつかったVR体験学習の様子
<図表2>VR中の水分子
複数の水分子が水素結合の3次元ネットワークを形成し、結合の生成と切断がくりかえされている。
<図表3>VR中のDNA塩基対
2つ、または、3つの水素結合で塩基同士が結ばれて対をなしている。1つの結合が切断されても残りの結合によって2つの塩基がばらばらにならない特徴がある。
<図表4>:VR中の分子ベアリング
中央のフラーレン分子と、外側のカーボンナノチューブ分子とは、ファンデルワールス力という相互作用で強くひきつけ合い、はずれない。
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