プレスリリース
- 研究
- 2024
トポロジカル量子回路・量子演算の実現に向けた 新しい材料プラットフォームを実現 ―トポロジカル材料薄膜内に超伝導ナノ構造を形成する新手法の開発と超伝導ダイオード効果の発現―
発表ポイント
◆ トポロジカル・ディラック半金属(TDS)α-Sn薄膜に集束イオンビームを照射することにより、超伝導体β-Snのナノ構造をα-Sn薄膜面内の任意位置に任意形状かつナノスケールで作り込む新しい作製技術を開発しました。
◆ TDS α-Sn中のβ-Sn超伝導ナノ細線構造において、磁場を細線方向に印加すると超伝導電流が一方向しか流れない超伝導ダイオード効果を実現しました。超伝導体β-Snとの近接効果でTDS α-Snが超伝導になることによる超伝導ダイオード効果の観測は世界初です。
◆ 本研究で開発した新しい手法では超伝導体/トポロジカル材料からなる高品質ナノ構造を自在に作製できるため、さまざまな超伝導回路やエラー耐性が強いトポロジカル量子演算が可能な量子回路を実現する方法として期待できます。
Ga集束イオンビームを照射することによってトポロジカル・ディラック半金属α-Snが超伝導金属β-Snへ相転移する現象を活かして、α-Sn膜内に任意の位置に任意の形状の超伝導ナノ構造[黒い領域、2つの電子から形成されるクーパー対(赤い球の対)が電気抵抗なく流れる状態]を作製することができる。
発表概要
東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻/附属スピントロニクス学術連携研究教育センターのLe Duc Anh准教授、小林正起准教授、田中雅明教授、同専攻の石原奎太大学院生(当時)、堀田智貴大学院生、稲垣洸大大学院生(当時)、牧秀樹大学院生、佐伯崇寛大学院生の研究グループは、トポロジカル・ディラック半金属(注1)(TDS)α-Sn薄膜に数ナノメートル(nm)まで細く集束したイオンビームを照射し、イオン衝突で発生する熱でα-Snをβ-Snへ相転移させることにより、α-Sn膜面内の任意位置に任意形状の超伝導体β-Snナノ構造を形成する新しい技術を実現しました(図1左)。この技術を用いて、超伝導体β-Sn/TDSα-Sn(70 nm)/超伝導体β-Snからなるジョセフソン接合構造(注2)や、α-Sn膜内に埋め込んだβ-Snナノ細線(幅180 nm)構造の作製に成功しました(図1右)。熱で形成されたβ-Sn/α-Snの界面は、原子レベルで急峻かつ不純物混入が抑制され、既存の作製法より優れた品質をもちます。
図1:本研究で示されたα-Sn/β-Sn平面ナノ構造の作製法
Ga集束イオンビーム(FIB)を照射することによってトポロジカル・ディラック半金属α-Snから超伝導金属β-Snへの相転移を任意の位置に任意の形状で引き起こす(左)。この方法で作製したβ-Sn/α-Sn(幅70 nm)/β-Snからなるジョセフソン接合(中央)、およびα-Sn薄膜面内に埋め込まれたβ-Snナノ細線(幅180 nm、右)の走査型電子顕微鏡(SEM)画像。
さらに、α-Sn膜面内に埋め込んだβ-Sn超伝導ナノ細線において、細線と平行方向に磁場をかけた状態で電流を流す方向を変えると、ナノ細線の超伝導臨界電流(注3)が70%も大きく変化しました。すなわち、ナノ細線に電流をある方向に流した場合には電気抵抗がゼロの超伝導状態、逆方向に電流を流した場合には電気抵抗がゼロでない常伝導状態になり、超伝導ダイオード素子として機能することが分かりました(図2)。この超伝導ダイオード効果は、β-Snとの界面付近の近接効果(注4)で超伝導になったTDSα-Snのトポロジカル電子状態に起因すると考えられ、Snベースの超伝導体/TDSヘテロ接合の豊かな物性機能を実証した最初の実験となります。
研究グループが開発したSnベース超伝導体/トポロジカル材料からなるヘテロ構造は、その作製方法の簡易さと高品質な結晶性と界面をもつことから、大規模化が可能な量子コンピュータを実現するトポロジカル量子演算回路のプラットフォーム材料として期待されます。
図2:α-Snに埋め込まれたβ-Snナノ細線における大きな超伝導ダイオード効果
(左)外部磁場をかけることによって同じ電流値でナノ細線のある方向に電流を流すと電気抵抗がゼロの超伝導状態[クーパー対(注5)(赤い玉の対)が電気伝導を担う]となるが、逆方向に電流を流すと電気抵抗がゼロでない常伝導状態[対はでない個々の電子(赤い玉)が電気伝導を担う]になる。(右)外部磁場B = 0.11 Tを電流方向(細線)と平行に印加しながら、電流の向きを±68 μAの間で反転することにより、超伝導状態と常伝導状態が切り替わることを示した実験結果。
本研究成果は、2024年9月30日(英国夏時間)に科学誌「Nature Communications」のオンライン版に掲載されました。
発表内容
〈研究の背景〉
生成AIを含む情報技術の発展により爆発的に増大するデータ量をリアルタイムで処理するために、既存のデバイスを飛躍的に高機能化、低消費電力化、高集積化するとともに、情報処理技術を根本から変える量子演算方式の実現が強く求められています。トポロジカル超伝導体(注6)は、エラー耐性をもつ量子コンピューティングにおける量子ビットの有力候補であるマヨラナ準粒子(注7)を実現するための重要な材料プラットフォームとして、大きな注目を集めています。これまでのトポロジカル超伝導に関する広範な研究では、トポロジカル絶縁体(注8)(TI)やトポロジカル・ディラック半金属(TDS)などのトポロジカルに非自明な材料と従来の超伝導体との複合構造における近接効果が利用されてきました。大規模量子コンピューティングのための材料プラットフォームを実現するためには、トポロジカル材料と超伝導体の間の高品質な界面を作製すること、材料の作製とデバイス加工が簡便でコストが安いこと、ナノスケールの微細加工が可能であることが重要な要件となっています。従来の研究で作製されたトポロジカル材料は比較的新しく材料技術や加工技術が未成熟であるため、これらの要件を満たすことはこれまでは非常に困難でした。
本研究では、人類の歴史上最も古くから知られ現在でも広く使用されている金属元素の1つであるスズ(Sn)に基づくトポロジカル材料プラットフォームを開拓します。体心正方晶の結晶構造をもつβ-Snは、4 K以下で従来のBCS型超伝導性を示すよく知られた金属です。一方、ダイヤモンド型結晶構造を持つα-Snは、バルクにおいてバンドギャップ(禁制帯幅)のない半金属として振る舞います。しかし、引張り歪みまたは圧縮歪みを加えると、それぞれ三次元TIまたはTDSに相転移します。TDSは電子のスピン・軌道・運動量の強い結合を伴う三次元線形分散ディラックコーンを含むバンド構造を持ち、これによりさまざまな新規物性現象を発現します。さらに、TDSが超伝導になれればマヨラナ準粒子を宿すトポロジカル超伝導体になることが理論的に予測されています。これまでに実験的に確認されたTDSは少ないですが、その中でもα-SnはInSbやCdTeなどの半導体基板上に高品質単結晶薄膜をエピタキシャル成長可能な唯一の単元素材料として期待されています。さらに、α-Snは加熱によってβ-Snへ相転移するため、すでに豊富な物性を有するα-Snに超伝導を加えるという新しい展開が期待できます。
〈研究の内容〉
研究グループは、分子線エピタキシー法(注9)によって成長した膜厚70 nmのTDSα-Sn単結晶薄膜に数nmのサイズに集束したGaイオンビームを照射し、イオン衝突で発生する熱によって局所的にα-Snをβ-Snへ相転移させました。この手法を用いて、超伝導体β-Sn/TDSα-Sn(70 nm)/超伝導体β-Snからなるジョセフソン接合構造、α-Sn膜内に埋め込んだβ-Snナノ細線(幅180 nm)構造など、α-Sn膜面内に任意の超伝導β-Snナノ構造を作製しました。電子顕微鏡による構造解析を行った結果、熱で形成されたβ-Sn/α-Snの界面は原子レベルで急峻であり、不純物などの混入がなく、既存の作製方法に比べて格段に高品質のヘテロ接合を任意の位置に任意の形状で作製できることが分かりました。さらに、α-Sn膜面内に形成した幅500 nmのβ-Sn超伝導ナノ細線において、細線と平行方向に0.1テスラ(T)の外部磁場をかけるとナノ細線の超伝導臨界電流Icは電流の向きに依存し、電流の向きを反転させるとIcが70%も大きく変わりました。すなわち、これらのβ-Sn/α-Snナノ細線では、ある方向に電流を流すと電気抵抗がゼロの超伝導となりますが、逆の方向に同じ電流値の電流を流すと電気抵抗がゼロでない常伝導になり、超伝導ダイオード素子として機能することが分かりました。実験結果を解析すると、この超伝導ダイオード効果は、β-Sn/α-Snの界面付近において隣接する超伝導体β-Snからの近接効果で超伝導になったTDSα-Snのトポロジカル電子状態に起因する可能性が高く、Snベースの超伝導体/TDSヘテロ接合が示す興味深い物性が発現したことになります。研究グループが開発したSnベース超伝導/トポロジカル材料系は、今後ますます豊かな物性機能を発現することが期待できます。加えて作製方法が簡易であり高品質な界面をもつことから、将来の大規模化可能な量子コンピュータを実現する量子演算回路の実装プラットフォームとしても有望です。
〈今後の展望〉
トポロジカル物質とは、トポロジーという数学(位相幾何学)の概念を物性物理学に適用することで電子状態や伝導現象などに現れる新しい物性が理解され新機能が期待される物質であり、トポロジカル物性は近年の物質科学において最も盛んに研究されているホットな分野です。2016年のノーベル物理学賞は、物質のトポロジカル性の解明の先駆けとなる発見をなしとげた3人の理論研究者に授与されました。その背景には、トポロジカル物質やその物性が、次世代の高速・低消費電力デバイスを目指すスピントロニクス(注10)や量子コンピュータに使われる量子情報演算技術への応用につながるという強い期待があります。しかし、実際のデバイスや集積回路の作製においては、材料の品質、物性の制御性、微細加工のしやすさ、既存技術との整合性などが常に問われます。本研究で開発したSnベース超伝導体/トポロジカル材料からなる超伝導回路の作製技術は、材料自体が単元素で有毒物質ではなく環境にやさしいこと、面内の任意位置に任意形状のナノ構造を簡易な方法で自由自在に作れること、豊かなトポロジカル物性を有することから、将来のトポロジカル物性機能の開拓と大規模化可能な量子コンピュータ開発のためのプラットフォーム材料として期待されます。
発表者
東京大学大学院工学系研究科 電気系工学専攻
レ デゥック アイン(Le Duc Anh) 准教授
兼:同大学院附属スピントロニクス学術連携研究教育センター
石原 奎太 研究当時:博士課程
堀田 智貴 博士課程
稲垣 洸大 研究当時:修士課程
牧 秀樹 修士課程
佐伯 崇寛 修士課程
小林 正起 准教授
兼:同大学院附属スピントロニクス学術連携研究教育センター
田中 雅明 教授
兼:同大学院附属スピントロニクス学術連携研究教育センター センター長
兼:東京大学ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構 教授
論文情報
雑誌名:Nature Communications
題 名:Large superconducting diode effect in ion-beam patterned Sn-based superconductor nanowire/topological Dirac semimetal planar heterostructures
著者名:Le Duc Anh*, Keita Ishihara, Tomoki Hotta, Kohdai Inagaki, Hideki Maki, Takahiro Saeki, Masaki Kobayashi, and Masaaki Tanaka*
DOI:10.1038/s41467-024-52080-4
URL:https://doi.org/10.1038/s41467-024-52080-4
研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST)さきがけ「トポロジカル材料科学と革新的機能創出(研究総括:村上 修一)」研究領域における「強磁性半導体を用いたトポロジカル超伝導状態の実現(JPMJPR19LB)」、CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川 泰彦)」研究領域における「強磁性量子ヘテロ構造による物性機能の創出と不揮発・低消費電力スピンデバイスへの応用(JPMJCR1777)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(Nos. 20H05650、23K17324、24H00018)、スピントロニクス学術研究基盤と連携ネットワーク(Spin-RNJ)、UTEC-UTokyo FSI、村田学術振興財団の支援を受けて実施されました。本研究の一部の実験は、文部科学省「マテリアル先端リサーチインフラ」事業の支援を受けて実施されました。
用語解説
(注1)トポロジカル・ディラック半金属(Topological Dirac semimetal, TDS):物質のトポロジカル相の1つ。グラフェンのようにバンド構造中にエネルギーと運動量との関係(バンド分散)が線形である「ディラックコーン」が存在すると考えられる。高い移動度やスピン・運動量ロッキングによる長いスピン緩和長などの性質を持ち、次世代の高速・低消費電力デバイスの有力な候補材料として期待されている。
(注2)ジョセフソン接合構造:2つの超伝導体が非常に薄い絶縁層(常伝導のバリア層)で隔てられた構造。このバリア層を介して超伝導体間で超伝導電流(クーパー対)がトンネル効果によって流れることで、特異な電気伝導特性が現れる。この現象はジョセフソン効果と呼ばれ、ジョセフソン素子、超伝導量子干渉デバイス(SQUID)、超伝導回路、量子コンピュータなどに応用されている。
(注3)超伝導臨界電流:超伝導体が超伝導状態を維持できる最大の電流。この電流値を超えると、超伝導体は抵抗ゼロの超伝導特性を失い、通常のゼロでない抵抗をもつ状態(常伝導状態)になる。臨界電流は材料の特性、温度、外部磁場に依存するため、超伝導デバイスの設計や性能において重要なパラメータの1つである。
(注4)近接効果:超伝導体と常伝導体(非超伝導体、普通の金属や半導体)が接触したときに、常伝導体内の界面付近に超伝導の特性が伝わる現象である。具体的には、接触界面近傍(通常は数nm以下の非常に狭い領域)において、常伝導体の中でも電子対(クーパー対、注5参照)が生成され、超伝導的な振る舞いがみられる。
(注5)クーパー対:超伝導体内で2つの電子が引力的に結びついたペアで、互いに逆向きの運動量とスピンを持つ。これにより、クーパー対はボース粒子として振る舞い、ボース凝縮して巨視的な波動関数となり、抵抗なく動くことができる。クーパー対の形成は、材料が超伝導状態になるための基本的なメカニズムである。
(注6)トポロジカル超伝導体:電子状態が非自明な位相幾何学的構造を有する超伝導体である。その非自明な電子状態に起因して、超伝導体の渦や表面にマヨラナ準粒子と呼ばれる特異な準粒子励起が現れることが知られている。
(注7)マヨラナ準粒子:自身の反粒子と同一である特殊な量子状態を指す。これらは、トポロジカル超伝導体において実現される可能性があり、エラー耐性のある量子コンピューティングのための量子ビットの候補として注目されている。
(注8)トポロジカル絶縁体:物質のトポロジカル相の1つ。バルクの電子状態は禁制帯を持つ絶縁体であるが、表面あるいは界面では線形なバンド分散(電子のエネルギーと波数の関係が線形であるバンド構造)を持つギャップレス(禁制帯がない)の金属状態(二次元ディラックコーン)が現れる。トポロジカル・ディラック半金属と同じように、次世代の低消費電力デバイスの有力な候補材料として期待されている。
(注9)分子線エピタキシー法:結晶成長に使われる方法の1つ。超高真空チェンバーにおいて各元素材料が入ったセルを加熱して発出される分子線を基板に到達させて結晶成長(エピタキシャル成長)を行う方法。組成と膜厚を原子層単位で制御でき、純度が高く結晶性が優れていること、原子レベルで急峻なヘテロ界面を形成できること、電子線回折を用いて成長中の表面、膜厚、品質をリアルタイムで観測できることなど、さまざまな利点を持つため、新材料やヘテロ構造の形成をはじめとする研究開発から産業応用まで広く用いられる方法である。
(注10)スピントロニクス:電子は「電荷」とともに自転の角運動量に相当する「スピン」を持っている。スピントロニクス(Spintronics)とは、「電荷」と「スピン」の両方を活用して、新しい機能を持つ物質や材料の設計、デバイス、エレクトロニクス、情報処理技術などに応用しようとする分野である。
プレスリリース本文:PDFファイル
Nature Communications:https://www.nature.com/articles/s41467-024-52080-4