プレスリリース

ひずみが測れる柔らかい光センサーシートの開発 ―生体の感覚系を模倣した亀裂の開閉動作が鍵―

 

発表のポイント

◆酸化物半導体ナノ粒子薄膜を応用してコンパクトかつ非接触、非接続でひずみが測れる光センサーシートを開発した。
◆生体(蜘蛛)の脚関節近傍にある亀裂の開閉動作を表面プラズモン共鳴に応用することでひずみの光計測を可能にした。
◆人の運動動作の認知や柔らかい材料に生じるひずみを計測できるフレキシブル・ウェアラブル性能を持った光センシングやバイオミメティクス技術として期待される。

 

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ナノ粒子薄膜表面の亀裂の開閉動作と生体運動計測の実証

 

発表概要

東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻/電気系工学専攻の松井裕章准教授、神奈川県立産業技術総合研究所機械・材料技術部の百瀬晶グループリーダー、宇都宮大学大学院地域創生科学研究科工農総合科学専攻の依田秀彦准教授と株式会社科学技術研究所の藤田明希科学技術部長らの研究グループは、自然界に存在する蜘蛛の脚関節の近くにある細隙器官(注1)に似た亀裂の開閉動作を応用した新しい光センサーシートを開発しました。従来の光学的な手法(注2)は複雑な構造体への適用やリアルタイム計測に課題がありました。本研究は、酸化物半導体ナノ粒子(注3)をコーティングした薄膜表面に生じる微小な亀裂の開閉動作を表面プラズモン共鳴(注4)に応用させた光センシング技術を実現しました。バイオミメティクス(注5)技術を活かした光センサーシートの開発は、人の運動認知やソフトマテリアル(注6)に対するひずみ計測技術として期待されます。

 

発表内容

〈研究の背景〉

人間のさまざまな生体情報(脈拍や心電図など)の検出が健康管理分野で注目されています。特に、フレキシブルなソフトデバイスの研究開発では、人の運動動作に関係した生体計測がヒューマニクス分野において重要となります。中でも、運動中に生じる皮膚表面でのひずみ計測が必要なため、50%を超える大きなひずみを観測できる技術が求められており、フレキシブルやウェアラブル性能を持ったひずみセンシングの開拓を目指す動機となっています。試料に発生するひずみを計測する従来の光学的手法は複雑な構造体やリアルタイム計測に課題があります。本研究は、蜘蛛の脚関節の近くにある細隙器官に似た亀裂の開閉動作を表面プラズモン共鳴に応用(バイオミメティクス)して、従来の光計測において困難であったフレキシブルやウェアラブル性能を持つひずみ光センシング技術の開発を目指しました。

 

〈研究の内容〉

本研究では、以前から透明導電膜(注7)として良く知られたSn添加In2O3(ITO)を用いた新しい応用分野を開拓しました。本研究グループは、試料の引張試験中に表面のITOナノ粒子薄膜に生じる微小な亀裂を表面プラズモン共鳴に応用することで、塗るだけでひずみ計測が可能な新しい光センサーシートを作製しました。20 nm程度の粒子径を持つITOナノ粒子は、スピンコーティング法(注8)を用いて超弾性体PDMSシート(注9)上に堆積させ、溶媒(トルエン)を蒸発させました(図1a)。PDMSシート上に作製されたITOナノ粒子薄膜は高い柔軟性を示します(図1b)。引張試験中に生じたITOナノ粒子薄膜の表面形態は共焦点レーザー顕微鏡(注10)を用いて観察しました。ひずみを与えていない場合、亀裂は存在していません。しかし、試料が引張りを受けると、ナノ粒子薄膜表面上に多数の亀裂が並行に形成され、その密度はひずみに応じて増大しました。一方、この引張りを除荷すると、ITOナノ粒子薄膜の表面亀裂が消失します。つまり、亀裂が閉じます(図1e)。このように、ITOナノ粒子薄膜における亀裂の開閉動作が引張試験中に確認されました。

 

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1.(a)スピンコーティング法を用いたITOナノ粒子薄膜の作製方法。(b)〜(e)ナノ粒子薄膜の柔軟性を示す写真。異なる引張応力下におけるナノ粒子薄膜表面の共焦点レーザー顕微鏡の写真。

 

2に、試料の引張試験中のITOナノ粒子薄膜における光学特性と試料の応力分布を示します。分光計測は試料の中心位置で行い、試料に生じる応力分布は3次元有限要素法(注11)を用いて計算しました(図2a)。試料への引張りひずみが25%50%の場合、反射率変化(ΔR)に面内偏光性が観測されました(2b)。また、有限差分時間領域法(注12)を用いた3次元電磁界解析からも同様の光学的な振る舞いが確認されました(図2c)。反射率変化の面内偏光性は、試料に発生した応力の面内方位に一致しました(図2d)。この結果は、ITOナノ粒子薄膜における反射率変化が試料に発生する応力と良い相関性があることを示します。

 

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図2.(a)引張試験下の試料の光学写真と3次元応力分布像。(b)反射率変化(ΔR)の面内偏光性。(c)3次元電磁界解析による反射率の面内偏光性。面内偏光性は入射角度(θ)を変化させた。(d)応力(σ)の面内依存性。

 

本研究では、反射率変化と応力との関係性をさらに検討するために、丸い穴を持つPDMSシートを用いた引張試験を実施しました。このような試料の場合には、丸い穴の周辺に応力が集中し、シート面内に不均一な応力分布を与えます(図3aおよび図3b)。応力が集中する領域(図中のエッジ領域)と応力の集中が無い領域(図中のノーマル領域)の反射率の変化を測定した結果、ノーマル領域と比べてエッジ領域において反射率の変化が高いことが分かりました。この結果は、シート表面の応力分布の違いをITOナノ粒子薄膜の反射率変化で評価できることを示しています。さらに、引張試験の繰り返しに対して、可逆的な反射率の変化が観測されました(図3c挿入図)。この可逆的な反射率の変化は、ITOナノ粒子薄膜における亀裂の開閉動作に関係します。

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3.(a)円孔を持つ試料内の応力集中の概略図と(b)応力分布の理論的解析。(c)反射率変化とミーゼス応力の相関。挿入図は、引張試験の繰り返し動作に対する反射率の変化。

 

最後に、ウェアラブル性能を評価するために、ゴム手袋の人差し指第2関節部位上にITOナノ粒子薄膜を貼り付け、人差し指の屈伸運動(曲げ伸ばし)に伴う反射率の変化を計測しました(図4a - 4c)。指の曲げ角度の増大(aの値の増大)と共に反射率の変化が観測され(図4d)、更に、指の曲げ伸ばしの繰り返し運動に対して、反射率が可逆的に変化し(図4e)、人の運動動作を計測することに成功しました。このことにより、指の関節部位に発生する応力と反射率変化の関係が示され、本研究において開発した光センサーシートのフレキシブル性能が実証されました。

 

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図4.人差し指の曲げ角度(a)0度、(b)30度および(c)75度の写真。(d)反射率スペクトルと指のまげ角度の相関。(e) 指の曲げ伸ばし運動の繰り返し動作と反射率の変化。

 

〈今後の展望〉

本研究で開発されたひずみ光センシング技術により、ITOナノ粒子を試料表面に塗るだけで、非電極・非配線下においてひずみ計測を可能にする光センサーシートを開発しました。構造物のひずみ診断から、ソフトマテリアルや生体運動の計測に向けたフレキシブルおよびウェアラブルなひずみ計測に貢献できます。今後は、ハイパースペクトルカメラ(注13)の適用により、ひずみ領域の2次元的な可視化計測への発展が期待されます。

 

〈関連のプレスリリース〉

高い可視・電波透過性をあわせ持つフレキシブルな透明反射遮熱フィルムの開発省エネガラス窓への応用に期待2022/10/20

https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/pr2022-10-20-001

 

発表者                                          

東京大学大学院工学系研究科

松井 裕章(准教授)

 

神奈川県立産業技術総合研究所機械・材料技術部   

  百瀬 晶(機械計測グループリーダー)

 

宇都宮大学大学院地域創生科学研究科

依田 秀彦(准教授)

 

株式会社科学技術研究所

藤田 明希(科学技術部長)

 

論文情報                                          

〈雑誌〉ACS Applied Materials & Interfaces

〈題名〉Mechanically Induced Anisotropic Fragments in Sn-Doped In2O3 Nanoparticle Films for Flexible Strain Sensing Based on Surface Plasmons

〈著者〉Hiroaki Matsui*, Akira Momose, Hidehiko Yoda and Aki Fujita

〈DOI〉10.1021/acsami.3c08862

〈URL〉https://doi.org/10.1021/acsami.3c08862

※10/13 論文題名を修正

 

研究助成

本研究は、科研費「基盤研究(B)(課題番号:21H0136)」、「基盤研究(B)(課題番号18H01468)」、村田学術振興財団、日本板硝子材料工学助成会、精密測定技術振興財団、旭硝子財団の支援により実施されました。

 

用語解説

(注1)蜘蛛の脚関節近傍にある細隙器官

蜘蛛の脚関節近傍には、クレパスのような亀裂(クラック)構造が平行に並んで形成された細隙器官が存在し、蜘蛛の糸に生じる僅かな振動や応力などを検出するための感覚器として機能する。

 

(注2)従来の光学的手法

応力やひずみ計測に向けた従来の光学的手法は、光弾性法、光モアレ法及び熱弾性法などがある。光弾性法は、ガラスやプラスチックなどの透明な試料の光学異方性の変化を利用し、光モアレ法は等間隔な平行線からなる基準格子の変化を用いる。一方、熱弾性法は、物体が弾性変形する際に生じる温度変化(熱弾性効果)に基づく。

 

(注3)酸化物半導体ナノ粒子

可視透明性が高く、半導体的な物理的性質を持つ酸化物材料(例えば、ZnOIn2O3およびSnO2)であり、化学的合成によって作られるナノメートルスケール(典型的には、50 nm以下)の大きさを持つ微結晶のことを指す。

 

(注4)表面プラズモン共鳴

金属に光が入射した場合、金属表面の自由電子がその影響を受けて集団的な運動(プラズマ振動)が起こる。これは電場と磁場が交互に伝搬する電磁波となり、入射光のエネルギーの一部が金属表面に移動することでプラズモン共鳴を起こす。

 

(注5)バイオミメティクス

生物の機能や構造から着想を得て新しい技術の開発に応用する技術(生体模倣技術)を指す。

 

(注6)ソフトマテリアル

高分子、ゲルやゴムおよび粘土などの柔らかい(ソフトな)物質の総称で、金属や酸化物のようなハード材料に対する総称。

 

(注7)透明導電膜

透明導電膜とは、金属材料と同じように高い導電性を持ち、可視光線を透過する性質をもつ酸化物材料で作製された薄膜のこと。

 

(注8)スピンコーティング法

コーティング液を乗せた基板を高速回転させることで発生する遠心力によって薄膜を作製するウェットプロセスのこと

 

(注9)PDMSシート

ポリジメチルシロキサンというシリコンの一種あり、柔らかくて透明性に高く、化学的に安定であり、加工性に優れた有機材料を用いたシート試料。

 

(注10)共焦点レーザー顕微鏡
試料の狭い範囲にレーザー光の焦点を合わせ、観察した像を検出する顕微鏡。試料のさまざまな画像を3次元的なイメージとして構築することが可能。

 

(注11)3次元有限要素法

構造物を複数の有限個の要素(メッシュ)に分割して数値解析を行うこと。

 

(注12)有限差分時間領域法

空間・時間的に差分化したマクスウェル方程式を時間ステップ毎に解き、電磁場を求める手法。

 

(注13)ハイパースペクトルカメラ

光を波長ごとに分光して計測するカメラのこと。目視やRGBカメラと比べて多くの光情報が得られ、さまざまな研究や産業応用に用いられる。

 

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

ACS Applied Materials & Interfaces:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acsami.3c08862