プレスリリース

酵素の分子個性のダイバーシティは酵素進化のバロメーターとなる

 

1.発表者:
佐久間 守仁(元:東京大学 大学院工学系研究科 応用化学専攻 特任研究員、現所属:ブリティッシュコロンビア大学 マイケルスミス研究所 博士研究員)
上野  博史(東京大学 大学院工学系研究科 応用化学専攻 講師)
徳力  伸彦(ブリティッシュコロンビア大学 マイケルスミス研究所 教授)
野地  博行(東京大学 大学院工学系研究科 応用化学専攻 教授)

2.発表のポイント:
◆1分子デジタルバイオ分析法を利用して酵素分子の個性(反応速度の違い)を定量計測することで、酵素の遺伝子に変異が入ると酵素の分子個性が容易に広がることが明らかとなった。
◆分子個性の広がり(ダイバーシティ)が大きいほど、本来の基質とは異なる基質(非天然基質)に対する反応性が高いことが明らかとなった。
◆非天然基質に対する反応性は酵素が進化するための重要な性質であると考えられており、酵素の分子個性のダイバーシティは酵素が進化する潜在能力の指標になり得ることが示された。

3.発表概要: 
東京大学大学院工学系研究科の佐久間守仁 元特任研究員(現所属:ブリティッシュコロンビア大学博士研究員)、上野博史 講師、野地博行 教授、ブリティッシュコロンビア大学の徳力伸彦 教授らの研究グループは、高感度かつハイスループットなデジタルバイオ分析法(注1)を用いて、酵素分子集団中の個々の分子の多様な機能状態を定量計測しました。
これまで、個々の酵素分子が異なる構造や機能状態をもつことが、進化のプロセスにおいて新しい機能を獲得するために重要であると考えられてきました。しかし、酵素の分子毎の機能の違い、すなわち分子の個性をハイスループットに計測することは難しく、分子の個性の広がりと遺伝子変異や新規機能との関係は明らかとされてきませんでした。
本研究では、独自開発してきた1分子レベルで酵素活性を定量計測する手法「デジタルバイオ分析法」を用いて、一度に1,000個の酵素分子の1分子活性を計測し、酵素の分子個性の広がりを定量計測しました。今回用いたモデル酵素はアルカリフォスファターゼ(AP)と呼ばれる生化学実験やバイオ分析で汎用されている酵素です。遺伝子に変異が入っていない野生型のアルカリフォスファターゼ(野生型AP)に加えて、配列に変異が1ヶ所入った変異型APを69種類用意し、それらの分子個性の広がりを定量しました。その結果、野生型APと比べると変異型APの多くで個性の広がりが大きくなっていることがわかりました。
さらに興味深い点として、広い分子個性を示す変異型APが、本来の基質とは異なる化学構造を持つ基質(非天然基質)に対して反応性が高いことが明らかとなりました。一部の変異型APでは、野生型の60倍以上の活性を示しました。これらの結果は、酵素が遺伝子変異によって柔軟に機能状態を多様化させながら新機能を獲得することを裏付けるもので、酵素の進化分子工学(注2)にも応用しうる知見といえます。


4.発表内容: 
研究の背景・先行研究における問題点
細胞内反応の担い手である酵素は、それぞれ特徴的な三次元構造をもちます。近年の研究により、アミノ酸の動きとその相互作用による立体構造の揺らぎが、熱的に安定な複数の構造状態を生み出し、それぞれの構造状態が、酵素が複数の基質と反応する多様な機能状態を生み出すと考えられてきました。さらに、酵素は遺伝子変異によって機能状態の多様性を変化させることで、新しい機能を高活性化させることが、酵素の指向性進化実験(注2)と変異体の構造解析の結果から予測されてきました。しかし、個々の分子の機能状態を構造解析から明らかにすることは難しく、さらに溶液中における活性計測では、多数の酵素分子によって活性が平均化されるため、個々の分子の機能状態の測定は困難でした。従来の酵素の1分子活性の直接計測法(注3)は、平均化の問題を解決する一方で、低いスループットや、計測系そのものの複雑さのため、野生型を含めたごく一部の酵素のみの計測に留まってきました。そのため、酵素の1分子活性をハイスループットに計測することで、遺伝子変異が酵素の機能状態の多様性に与える影響を網羅的に解析することが、酵素の機能状態の多様化と新規機能の相関を明らかにするために強く望まれてきました。

研究内容
本研究グループでは、酵素1分子の活性を計測することが可能な微小液滴形成アレイデバイスを用いて、酵素の機能状態の多様性を計測しました(図1)。本デバイスは、1,000を超える1分子活性を並列して計測することが可能であり、機能状態の多様性を個々の分子の活性分布から解析することができました(図2)。そして、野生型APと69の変異体の機能状態の変化をハイスループットに解析することで、遺伝子変異が機能状態の多様性に与える影響を解析することに成功しました。その結果、野生型酵素は非常に狭い活性分布を示した一方で、ほとんどの変異体酵素は、野生型よりも幅広い活性分布を示し、遺伝子変異が天然基質に対する機能状態を容易に多様化させることを初めて明らかにしました(図3)。さらに、触媒反応を行う活性部位に変異を与えることで、天然基質に対する反応性を増加させつつ、幅広く、かつ野生型では観察されなかった複数の活性状態をもつ変異体を作出することができました。そして、これらの変異体は、複数の非天然基質に対して、野生型の最大で60倍もの活性を示すことがわかりました(図4)。このことから、活性部位への遺伝子変異による機能状態の多様化は、非天然基質への反応性と相関があり、これは機能状態の多様化が酵素の新機能の指標となり得ることを示すことを明らかとしました。

社会的意義・今後の予定
本研究成果は、天然基質に対する活性の多様化は、酵素がさまざまな基質と反応するための重要な指標となり得ることを示しました。今後は、多様な活性状態をもつ酵素を基盤として人工進化実験を行うことで、より効率的に酵素の新規機能を開発することが期待されます。

本研究の助成事業
本研究は、JST戦略的創造研究推進事業(CREST)(課題番号JPMJCR19S4)、科研費「基盤S (課題番号JP19H05624)」、ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)(RGP0054/2020)、内閣府革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の支援により実施されました。

5.発表雑誌:
雑誌名:「Journal of the American Chemical Society」(オンライン版:1月27日)
論文タイトル:Genetic perturbation alters functional substates in alkaline phosphatase
著者:Morito Sakuma, Shingo Honda, Hiroshi Ueno, Kazuhito V. Tabata, Kentaro Miyazaki, Nobuhiko Tokuriki* and Hiroyuki Noji*
DOI番号:10.1021/jacs.2c06693
アブストラクトURL: https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jacs.2c06693

6.用語解説: 
注1:ハイスループットなデジタルバイオ分析法
酵素1分子を封入した微小リアクタを多数用意し、その中で酵素活性を計測する手法。これによって、一度に多数の酵素分子の活性を定量評価できるため、酵素分子の活性の平均値に加えてその分布の広がり(個性)を定量することができる。

注2: 進化分子工学・指向性進化
酵素の機能を、実験室レベルで人工的に改良する手法。自然界における進化と同様に、遺伝子変異における酵素の多様化と、高活性な変異体酵素の選択のサイクルを繰り返すことで、機能を改良する。

注3:1分子活性の直接計測法
単一酵素の触媒反応を、高感度顕微鏡と蛍光基質等を用いて逐次計測する手法。

 

7.添付資料

fig01

1 : 微小液滴形成アレイデバイスを用いた1分子酵素活性計測の模式図

 

 

fig02

2:個々の分子の触媒活性計測による、機能状態の多様性の解析方法。機能状態の多様性は

1分子計測によって得られた酵素の活性分布から評価した。

 

 

fig03

3:遺伝子変異による、野生型酵素の活性分布の変化

 

 

fig04

4 酵素の機能状態の多様性と非天然基質への反応性の相関。x軸は酵素活性の分布(変動係数, %, y軸は野生型に対する変異体の活性比を示している。非天然基質であるbpNPP (A)pNPPP (B)を用いて、バルク溶液中で酵素活性計測した。

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

Journal of the American Chemical Society:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jacs.2c06693