プレスリリース
- 研究
- 2022
新しい相変化材料を用いた低損失不揮発光位相器を開発 ―シリコン光回路を用いた深層学習や量子計算への応用に期待―
1.発表のポイント:
◆新しい相変化材料である硫化ゲルマニウムアンチモンテルル(GSTS)を開発。◆シリコン光導波路上にGSTSを堆積させた光位相器は、低損失かつ不揮発な光位相変調動作が可能であることを実証。
◆シリコン光回路に集積することで、光演算を用いた深層学習や量子計算への応用が期待され、ムーアの法則に依拠しないコンピューティング技術の発展に貢献すると考えられる。
2.発表概要:
東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻の竹中充 教授、宮武悠人 大学院生、トープラサートポン・カシディット 講師、高木信一 教授らは、産業技術総合研究所の牧野孝太郎 主任研究員らと共同で、JST 戦略的創造研究推進事業の支援のもと、新しい相変化材料(注1)である硫化ゲルマニウムアンチモンテルル(GSTS)を用いた低損失かつ不揮発な光位相器(注2)の開発に成功しました。GSTSをシリコン光導波路(注3)上に堆積した素子において、GSTSがアモルファス(非晶質)状態から結晶状態に変化する際に生じる単位損失あたりの屈折率変化が従来技術よりも20倍以上大きくなることを実証しました。これにより、光損失が極めて小さく、小型かつ、光位相変化量をGSTSの結晶状態で記憶できる不揮発光位相器を実現しました。
光位相器を多数集積したシリコン光回路は光演算による深層学習加速や量子計算への応用が期待されている一方、光位相器の光損失や消費電力、素子サイズなどが集積化の課題となっていました。今回新たに開発した光位相器を用いることで、低損失化や小型化、不揮発化による低消費電力化が可能となります。これにより集積化の課題が解決することから、シリコン光回路を用いた光演算によりムーアの法則に依拠しない新しいコンピューティングの実現に大きく寄与するものであり、Society5.0社会を支える基盤となることが期待されます。
本研究成果は、2022年12月3日(米国太平洋標準時)に国際会議IEEE International Electron Devices Meetingで発行される「Technical Digest」に掲載されました。
3.発表内容:
<研究の背景・先行研究における問題点>
コンピューターの演算能力は半導体の微細化、いわゆるムーアの法則によって指数関数的に向上してきました。しかし、半導体微細化は鈍化傾向にあり、ムーアの法則に依存しない新しいコンピューティング技術が求められています。このような背景のもと、シリコン光回路を用いた光演算に注目が集まっています。シリコンフォトニクス技術(注4)の発展により、大規模な光回路をシリコン上に形成できるようになり、図1に示すようなプログラミング可能なシリコン光回路を用いて、深層学習や量子計算の大幅な性能向上が可能であると期待されており、世界中で活発な研究開発が進められています。
シリコン光回路をプログラミングするためには、電気信号などで光信号の位相を制御する光位相器を多数集積する必要があります。シリコン光回路中ではこれまで、ヒータによる加熱を用いた光位相器が用いられてきました。しかし、所望の光位相量を維持するためには加熱し続ける必要があり、消費電力が大きいことが集積化の妨げとなってきました。このことから、消費電力が小さく、光位相量の維持に電力が不要な不揮発性を持った光位相器が強く求められてきました。
新しい光位相器として、ヒータ加熱に替わり相変化材料を用いる光位相器が注目を集めています。相変化材料はアモルファス状態と結晶状態で屈折率や吸収係数が大きく変化することから、書き換え可能な光ディスクの材料として広く用いられてきました。相変化材料をシリコン光導波路に積層することで、低消費電力かつ不揮発な光位相器が実現可能であると期待されています。しかし、光ディスクで用いられている代表的な相変化材料であるゲルマニウムアンチモンテルル(GST)は吸収係数の変化が極めて大きく、吸収を伴わない光位相器が実現できないことが課題となっており、GSTに代わる新しい相変化材料が強く望まれていました。
<研究内容>
以上の課題を解決するため、本研究では、新しい相変化材料である硫化ゲルマニウムアンチモンテルル(GSTS)を開発しました。GSTSは従来のGSTよりもバンドギャップが大きく、光吸収を抑えることができます。また、動作波長をこれまでの近赤外光(波長1.55 μm)から中赤外光(波長2.34 μm)にすることで光吸収の一層の低減が可能であることを提案し、実験結果により低損失かつ不揮発動作する光位相器の実証に成功しました。
本研究で提案した光位相器の構造を図2に示します。Si-on-insulator(SOI)基板のシリコン層を矩形状に加工したシリコン光導波路上にGSTSを積層した構造となっています。GSTSがアモルファス状態から結晶状態に変化する際に大きな屈折率変化が生じることから、シリコン光導波路中を伝搬する光信号の位相を変調することができます。
図3にGSTSを用いた光位相器の電子顕微鏡像を示します。シリコン光導波路上の二酸化珪素(SiO2)層に窓を開けて、シリコン光導波路が露出した部分にGSTSを堆積した構造となっています。
この光位相器を図4に示すようにマッハ・ツェンダー干渉計(注5)や直線導波路に集積することで、シリコン光導波路中を伝搬する光信号の位相変化や吸収変化を評価しました。210℃で加熱してGSTSを結晶化した際に生じた位相変調量を位相器長に対して評価した結果を図5aに示します。10 μm程度と極めて短い素子長でp(180度に相当)の位相変化が得られることを明らかにしました。図5bには各動作波長において、位相変化がpとなるときの光損失変化を評価した結果を示します。従来のGSTと比べると、いずれの動作波長においてもGSTSの光損失変化が小さいことが分かります。また動作波長が長波になるに従って損失は減少し、波長2.34 μmのとき、光損失は0.29 dBと極めて小さくなることを実験で明らかにしました。
これまでに報告された相変化材料を用いた光位相器の性能を比較した結果を図6に示します。GSTSを用いることで、相変化材料がアモルファス状態から結晶状態に変化した際の屈折率変化Dnを結晶時の消光係数kcで割った性能指数が、2.34 μmの動作波長で94.1となることが分かりました。これは、これまで報告された相変化材料を用いた光位相器の中では最も高い値となります。性能指数が高いほど、低損失な位相器動作が得られることから、GSTSを用いて低損失かつ不揮発な光位相器を実証することに成功しました。
シリコン光導波路で形成したリング共振器(注6)中にGSTSを用いた光位相器を集積した素子を作製した結果を図7に示します。GSTSを110℃から210℃に加熱することで結晶化して位相をシフトさせることで、リング共振器の共振波長を光損失の影響を受けることなくシフトさせることに成功しました。この結果は、光損失の影響を受けずにシリコン光回路をプログラミングできることを示しており、深層学習や量子計算に応用できることを明らかにしました。
<社会的意義・今後の予定>
今回、新しい相変化材料である硫化ゲルマニウムアンチモンテルル(GSTS)を開発することで、シリコン光回路中で動作する低損失かつ不揮発、小型な光位相器を実現することに成功しました。新たに実現した光位相器を多数、シリコン光回路上に集積することで、光演算を用いた深層学習や量子計算が可能となることから、半導体微細化に依らずにコンピューターの演算性能を大幅に向上できると期待されます。今後は、光パルスや電流パルスでの書き換え技術を開発するとともに、大規模なシリコン光回路に集積することで、深層学習アクセラレータや量子計算機の実証を目指します。
<謝辞>
本研究は、JST戦略的創造研究推進事業 CREST(グラント番号:JPMJCR2004)およびJSPS科研費(グラント番号:JP20H02198、JP21J20272)の支援により実施されました。
4.発表雑誌:
雑誌名:Technical Digest(国際会議 IEEE International Electron Devices Meetingで発行)
論文タイトル:Record-low Loss Non-volatile Mid-infrared PCM Optical Phase Shifter based on Ge2Sb2Te3S2
著者:Yuto Miyatake, Kotaro Makino, Junji Tominaga, Noriyuki Miyata, Takashi Nakano, Makoto Okano, Kasidit Toprasertpong, Shinich Takagi, and Mitsuru Takenaka
5.発表者:
竹中 充(東京大学 大学院工学系研究科 電気系工学専攻 教授)
宮武 悠人(東京大学 大学院工学系研究科 電気系工学専攻 博士課程)
トープラサートポン カシディット(東京大学 大学院工学系研究科 電気系工学専攻 講師)
高木 信一(東京大学 大学院工学系研究科 電気系工学専攻 教授)
牧野 孝太郎(産業技術総合研究所 デバイス技術研究部門 主任研究員)
富永 淳二(産業技術総合研究所 デバイス技術研究部門 首席研究員)
宮田 典幸(産業技術総合研究所 デバイス技術研究部門 研究主幹)
中野 隆志(産業技術総合研究所 エレクトロニクス・製造領域 副領域長)
岡野 誠(産業技術総合研究所 プラットフォームフォトニクス研究センター 研究チーム長)
6.用語解説:
(注1)相変化材料
加熱によりアモルファス相や結晶相に変化する性質を持った材料。アモルファス状態と結晶状態で光学特性や電気特性が大きく変化することから、光書き換えディスクや不揮発メモリとして用いられている。
(注2)光位相器
電気信号により光信号の位相を制御するための素子。
(注3)シリコン光導波路
シリコンを矩形状に加工して光をシリコン中に閉じ込めることができる配線に相当する光の伝送路。
(注4)シリコンフォトニクス技術
薄膜のシリコン層がガラス状に貼り合されたSi-on-insulator(SOI)基板上にシリコン光導波路を用いて光回路を形成する技術。
(注5)マッハ・ツェンダー干渉計
同一の光源から出た光を二手に分けて、別々の経路を通した後に再度重ね合わせることで、光を干渉させる光学素子。それぞれの経路を通るときの光位相差に応じて、光が強め合ったり、弱めあったりする干渉を起こす。
(注6)リング共振器
光導波路をリング状にした共振器。入出力となる光導波路と近接することで、入力された特定の波長の光のみを選択的に取り除くことができる。
7.添付資料:
図1 光位相器を多数集積したプログラミング可能なシリコン光回路。
図2 新しく開発した相変化材料であるGSTSを用いた光位相器の素子構造。
図3 試作したGSTSを用いた光位相器の電子顕微鏡写真。
図4 GSTSを用いた光位相器を集積したマッハ・ツェンダー干渉計や直線導波路の顕微鏡写真。
図5 (a)GSTSを用いた光位相器の位相変化量、(b)光損失特性。
図6 相変化材料を用いた光位相器の性能指数を波長ごとに比較したベンチマーク。これまでに報告されたSb2S3(硫化アンチモン)を用いた光位相シフタよりも20倍程度の性能向上を実現した。
図7 GSTSを用いた光位相器を集積したリング共振器の素子顕微鏡写真および透過特性。
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