発表のポイント
◆ 半導体の性能を左右する分子集合体の結晶構造を、分子設計段階から予測する新手法を開発。◆ 層状構造と結晶対称性を手がかりに分子配置を規定する変数を体系化し、主要な変数から段階的に構造を最適化。
◆ 最適化過程における構造安定性を解析することで、4種の結晶構造多型が生じる物理的機構を解明。

概要図:段階的な結晶構造の予測と最適化
概要
東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻の大野 亮太 大学院生、都築 誠二 上席研究員、長谷川 達生 教授、山形大学有機エレクトロニクスイノベーションセンターの井上 悟 研究専任准教授らは、ベンゼン環が直線状に縮合した「ポリアセン(注1、概要図左)」と呼ばれる一連の有機半導体分子について、その結晶構造を量子化学計算により体系的に解析しました。その結果、結晶の層状性と対称性に由来する配置変数を整理し、これらを段階的に最適化することで、実験で知られる結晶構造を出発点として用いることなく、ポリアセン系列で知られる4種類の結晶構造多型(注2)を計算だけで精密に予測・再現することに成功しました。さらに、その最適化過程を詳しく解析することで、これらの結晶構造が生じる物理的な起源を明らかにしました。
従来の結晶構造予測では、候補となる膨大な数の結晶構造をコンピュータで網羅的に生成し、その中から安定な構造を探索する手法が採られてきました。これに対し本成果は、「分子の配置変数を整理し、主要なものから順に最適化することで、実際の結晶構造にたどり着ける」という新たな視座を提供するとともに、分子の形状や構成原子と結晶構造との関係をも明らかにするものです。本手法により、形成される結晶構造をあらかじめ考慮した分子設計が可能となり、高性能な層状有機半導体をはじめとする各種分子材料の開発が大きく加速すると期待されます。
本研究成果は、2026年10月23日(英国夏時間)に国際科学誌「Communications Chemistry」オンライン版に掲載されました。
発表内容
〈研究の背景〉
有機分子の多くは、膨大な数の同一分子が規則正しく配列することで分子結晶を形成します。結晶内での分子の配置を表す「結晶構造」は、X線回折や電子回折を用いた結晶構造解析により実験的に調べることができます。これにより、分子内の各原子の位置や分子の形状、隣接する分子との相対的な位置関係などを詳細に知ることができます。このため結晶構造解析は、物質科学から生命科学に至る幅広い分野において、ミクロな分子構造とマクロな物質の性質を結び付ける強力な研究手段の一つとなっています。
一方、材料開発や医薬品開発の分野では、分子がどのような結晶構造を形成するかを、実際に分子を合成する前に予測したいという強い要請があります。例えば、医薬品分子の溶解度や電子材料としての機能は、分子そのものの性質だけでなく、結晶中での分子の集合の仕方にも大きく左右されます。このため、分子設計の段階で形成される結晶構造まで予測できれば、分子材料開発を大幅に効率化できると考えられます。しかし、各分子が形成する結晶構造を実験に先立って正確に予測することは、比較的単純な分子であっても容易ではありません。このため、特に分子材料の開発では、望みの結晶構造を得るために多くの試行錯誤が必要となり、多大な時間とコストを要する一因となっています。
分子が形成しうる結晶構造は、分子の形状や構成原子、それらに由来する分子間相互作用により大きく支配されます。近年の量子化学計算の進展により、こうした分子間相互作用を非常に高い精度で評価できるようになってきました。しかし、結晶構造は多数の分子の位置や向きを規定する多くの配置変数により決まるため、それらの膨大な組み合わせの中から安定な構造を見つけ出すことは、現在でも計算科学上の大きな課題です。
これまでの結晶構造予測では、膨大な数の候補構造を網羅的に生成し、それらの中から安定な構造を選び出す手法が広く研究されてきました。しかしこの方法では、得られた構造が「なぜ安定なのか」を物理的に理解することが難しく、そこから得られる知見を新たな分子や材料の設計へと直接結び付けにくいという問題がありました。
〈研究の経緯〉
結晶中の分子配列には、特定の対称関係が現れることが知られています。例えば、隣接する分子が反転、鏡映、映進(注3)などの対称操作により互いに関係付けられることで、規則性の高い結晶構造が形成されます。このような「結晶対称性」は、多数存在する分子配置の自由度を整理し、構造を規定する変数の数を減らす重要な手がかりとなります。
また棒状分子では、分子が長軸方向をおおむね揃えながら側面方向に配列し、分子層を形成する場合が多く見られます。有機半導体の多くも、このような層状の分子配列を形成します。この「層状性」もまた、分子配置を規定する変数を整理するための重要な手がかりとなります。
そこで本研究では、有機半導体に代表される分子材料を念頭に、結晶の高い対称性と層状性を利用して多数の配置変数を体系的に整理し、主要な変数から順に段階的に最適化することで、結晶構造を予測できるかを検討しました。この手法を、2~6個のベンゼン環からなる5種類のポリアセンに適用したところ、ポリアセン系列で実験的に知られている4種類の結晶構造多型を、実験で得られた構造を計算の出発点として一切用いることなく、すべて精密に再現することに成功しました。さらに、それぞれの最適化過程における集合体のエネルギー変化を「ポテンシャルマップ」として可視化することで、最終的な結晶構造がどのように生じ、なぜ安定化するのか、その物理的な機構を明らかにしました。
〈研究内容〉
今回開発した、棒状ポリアセン分子に対する段階的結晶構造予測の全体像を図1に示します。まず、分子長軸が互いに平行で、かつ長軸方向にずれのない任意の分子対を考えます。この分子対に映進対称性を持たせ周期的に展開することで単分子層を構成し、そのエネルギーを最小化することで、最も安定な正規構造(Regular:R構造)を求めました。
次に、R構造の分子層に対して分子長軸を一様に傾斜させる操作を導入しました。その結果、2種類の準安定構造、すなわち映進対称(glide)を保持するG構造と、映進対称が破れたN構造(non-glide)が得られました。さらに、これらの単分子層を積層し、安定な層間配置を探索することで、最終的に4種類の結晶構造多型を再現することに成功しました。

図1:ポリアセンの結晶構造多型を段階的に再現する手法の概念図
図2に、R構造が得られる過程を示します。映進対称な分子対からなる単分子層は、(1)分子面と映進面のなす角α、(2)分子の映進面に対する位置、という2種類の変数によって表すことができます。
各 α に対して分子層の最安定配置を探索した結果を図2上に示します。二分子間の相互作用は分散力補正DFT(注4)により求め、それらを足し合わせることで分子層全体のエネルギーを評価しました。その結果、α = 25°および65°付近でエネルギーが極小となり、R構造における最も安定した分子配列が明らかになりました。注目すべきことに、実験で得られた結晶構造の情報を計算に用いていないにもかかわらず、得られた分子層の配列は、実際のペンタセン多結晶薄膜で知られる多型Iの層状ヘリンボーン(LHB)構造(注5)とよく一致しました。
相互作用の各成分を解析したところ、LHB構造の安定化には、分散力・静電力(注6)による引力と交換反発(注6)による斥力のバランスが重要であることが明らかになりました。さらに、αの変化に伴う分子配置の変化(図2下)を調べたところ、分子端の水素原子が隣接分子の環中心付近の窪みに近づくことで分散力が増大し、T字型の分子対に基づくLHB構造が安定化することが明らかになりました。

図2:正規な層状ヘリンボーン(LHB)構造の再現と安定化機構
映進対称性を仮定し、分子面と映進面のなす角αに対して、分子層全体の相互作用エネルギーが最小となる分子配置を求めた結果(図上)。α=25°および65°付近において、最安定なLHB構造(正規なR構造)が得られた。
次にR構造を基点として、分子層中の分子を一様に同じ方向へ傾斜させる操作を導入しました。傾斜させる方位角φinclと傾斜角θinclを配置変数とし、横軸をθincl cos(φincl)、縦軸をθincl sin(φincl) として、分子層のエネルギーをカラーマップとして表したものが図3中央です。
このポテンシャルマップから、分子の傾斜に伴って、最安定なR構造に加え、映進対称を保持した準安定なG構造と、映進対称が破れた準安定なN構造が現れることが確認されました。分子を傾斜させると、隣接分子が長軸方向に相対的にずれることで周囲の分子との相互作用が変化し、ベンゼン環約1個分ずれたところで新たなエネルギー極小となる点が現れます。このエネルギー極小に対応するのがG構造およびN構造です。

図3:分子長軸の傾斜により現れるG構造とN構造
基本となるR型のLHB構造に対して、分子層を保ちつつ分子長軸を一様に同じ方向へ傾斜させると、準安定なG構造とN構造が新たに現れる。
次に、これら3種類の層構造に対して、分子面に垂直な中心軸の周りに分子を回転させる操作(配置変数:θtwist)を導入し、さらに層間積層をも考慮した上で結晶構造を探索しました(図4)。その結果、環数の少ないナフタレン(環数2)とアントラセン(環数3)では、G構造を出発点とすることで、実験構造とよく一致する安定構造が得られました。そこでは、分子の回転によって生じた隙間に隣接層の分子が入り込むとともに、別の水素原子がT字型配置にある隣接分子の環の窪みに近づくことが分かりました(図4右)。これらの新たな分子接触により、結晶構造がさらに安定化することが確認されました。

図4:分子の回転によるナフタレン・アントラセン結晶構造の再現
映進対称なG型LHB構造を出発点とし、映進対称性を保ちつつ分子面に垂直な中心軸のまわりに分子を回転させる操作を導入し、分子間相互作用エネルギーを最適化することで、実際のアントラセン結晶構造が再現された。ポテンシャルマップ解析から、新たな水素−ベンゼン環間の接触と、分子層間の隙間を埋める分子間接触により、結晶構造が安定化することが確認された。
図5は、N構造の分子層を積層する際の層間変位と格子体積の変化を示したものです。分子層をずらすと、層表面の起伏が互いに噛み合う位置で格子体積が小さくなり、二つの極小点が現れました。これらに対応する積層構造は、実験で知られる多型IIおよび多型IVとよく一致しました。

図5:層間積層によるペンタセン単結晶の構造多型の再現
映進対称性を持たないN構造を出発点とし、分子層を積層する際の層間変位に対する格子体積の変化を計算した結果。格子体積が極小となる配置から、ペンタセンなどで実際に観測される結晶構造多型IIとIVが再現された。
さらに、分子を長軸方向へシフトさせると構造は一層安定化しますが、その安定化の度合いは分子の長さ(環数)によって異なることが分かりました。この分子長依存性の解析から、テトラセン(環数4)、ペンタセン(環数5)、ヘキサセン(環数6)で異なる結晶構造多型が現れる理由が明らかになりました。
5種類の棒状ポリアセン分子(環数2~6)について、計算により求めた結晶構造と実験により決定された結晶構造は非常に良い一致を示し、ポリアセン系列で実験的に知られる4種類の結晶構造多型をいずれも良好に再現できることが確認されました。ただし、ペンタセン多結晶薄膜の多型Iでは、基板との相互作用により、計算で求めた最安定配置からわずかにずれた構造が実験で得られていることも明らかになりました。さらに、より遠距離の分子間相互作用まで考慮した計算を行ったところ、各結晶構造多型の相対的な安定性が実験結果とよく対応することも確認されました。
分子層内のT字型配置と平行配置にある隣接分子間の相互作用を比較すると、その大きさの比は、I~IVのいずれの結晶構造多型においても、おおむね2対1であることが分かりました。これは、各多型において分子配置が変化しても、LHB構造を形成する主要な分子間相互作用のバランスが保たれていることを示しています。
一方、半導体のキャリア輸送を左右する分子間移動積分を比較したところ、その大きさは結晶構造多型によって大きく異なることが分かりました。この違いは主として、各多型において隣接分子の長軸方向への相対的シフト量が異なることに起因しています。
本研究は、結晶の層状性と対称性に基づいて分子の配置変数を体系的に整理し、これらを段階的に最適化することで、複雑な分子結晶の結晶構造を予測できることを初めて示すものです。さらに、その最適化過程を解析することで、なぜその結晶構造が安定化するのかという物理的機構を明らかにできるとともに、結晶構造の違いが半導体特性にどのように影響するかを理解できることを示しました。
〈今後の予定〉
本手法の大きな特長は、従来のように膨大な候補構造の中から最安定な結晶構造を探し出すだけでなく、結晶構造が安定化する過程を追跡することで、「なぜその結晶構造になるのか」を明らかにできる点にあります。今後は、本手法をアルキル鎖などの柔軟な側鎖を持つ有機半導体をはじめ、より複雑な分子材料へと拡張していきます。これにより、分子設計と結晶工学を橋渡しする汎用的な結晶構造予測法へと発展させ、有機電子材料や分子デバイスの合理的設計への展開を目指します。
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻
大野 亮太 博士課程
都築 誠二 特任研究員(上席研究員)
長谷川 達生 教授
山形大学 有機エレクトロニクス研究センター
井上 悟 研究専任准教授
論文情報
雑誌名:Communications Chemistry
題 名:Stepwise quantum chemical optimization reveals the origin of layered herringbone packing and polymorphism in polyacenes
著者名:Ryota Ono, Satoru Inoue, Mao Miyoshi, Kanata Koyama, Seiji Tsuzuki, and Tatsuo Hasegawa*
DOI:10.1038/s42004-026-02252-8
URL:https://www.nature.com/articles/s42004-026-02252-8
研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST)のCREST(JPMJCR18J2)、A-STEP(JPMJTR25RH)およびSPRING(JPMJSP2108)、日本学術振興会(JSPS)の科研費(JP21H04651、JP25K24862)の助成を受けたものです。
用語解説
(注1)ポリアセン
ベンゼン環が直線状に複数つながったπ共役分子の総称。ベンゼン環が2個のナフタレン、3個のアントラセン、4個のテトラセン、5個のペンタセン、6個のヘキサセンなどが含まれる。特にペンタセンは、代表的な有機半導体材料として広く研究されている。
(注2)結晶構造多型
同じ分子からなる結晶でありながら、結晶中における分子の並び方や積み重なり方が異なる複数の結晶構造が存在する現象、またはそれぞれの結晶構造。同じ分子であっても、結晶構造多型によって安定性や溶解度、電子物性などが大きく異なる場合がある。
(注3)映進
結晶に見られる対称操作の一つで、ある面に対する鏡映と、その面に平行な方向への一定距離の平行移動を組み合わせた操作。簡単には「鏡に映した像を、その鏡面に沿って一定距離だけずらす」操作に相当する。ある分子にこの操作を行うと別の分子と重なる場合、両者は映進対称の関係にあり、このとき基準となる面を「映進面」と呼ぶ。分子結晶では、映進操作によって隣接分子の凹凸が互いに噛み合うような密な分子配列を形成できるため、映進対称は有機分子結晶に非常によく見られる対称性の一つである。
(注4)分散力補正DFT
DFT(密度汎関数理論)は、電子状態に基づいて分子や固体のエネルギーを計算する量子化学計算法の一つ。通常のDFTでは評価が難しい分子間の分散力(ファンデルワールス力)を補正して取り入れたものを分散力補正DFTと呼ぶ。分子間相互作用が結晶構造を大きく左右する分子結晶の計算に広く用いられる。
(注5)層状ヘリンボーン(LHB)構造
板状あるいは棒状のπ共役分子が層を形成し、その層内で隣接する分子が互いに角度を持って「魚の骨(herringbone)」のように並んだ結晶構造。有機半導体でよく見られる代表的な分子配列の一つであり、分子間の電子的な結合やキャリア輸送特性に大きく影響する。
(注6)分散力・静電力・交換反発
分子間に働く代表的な相互作用。分散力は、電子分布の瞬間的な揺らぎによって生じる引力で、分子同士を引き付ける働きをする。静電力は、分子内の電荷分布に由来する相互作用で、分子の向きや配置によって引力にも斥力にもなる。交換反発は、分子同士が近づきすぎた際に、電子同士が同じ状態を占めることができないという量子力学的性質により生じる強い斥力である。結晶中の分子間距離や配置は、これらの相互作用のバランスによって決まる。
プレスリリース本文:PDFファイル
Communications Chemistry:https://www.nature.com/articles/s42004-026-02252-8
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