プレスリリース

水処理膜のナノチャネルがもつ特性を計算科学で解明:水分子の動きを活発化させる水素結合の仕組み

 

1. 発表者:
石井 良樹(兵庫県立大学大学院情報科学研究科 特任講師)
松林 伸幸(大阪大学大学院基礎工学研究科化学工学領域 教授)
渡辺  豪(北里大学理学部物理学科 講師)
加藤 隆史(東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻 教授)
鷲津 仁志(兵庫県立大学大学院情報科学研究科 教授)

2. 発表のポイント:
◆スーパーコンピュータによりナノサイズの穴で水をきれいにする膜のシミュレーション基盤を新たに構築し、分子の自己集合によるナノ構造の観測に成功しました
◆水分子を、水処理膜の中のナノチャネルという超微小空間で安定化させ、その一つ一つが次々に繋がって動きを活発化させる水素結合の仕組みを解明しました
◆水処理膜の高性能化や、生体親和性や接着など、水を介する機能性材料の材料研究における、スパコン・計算科学と先端実験との新しい融合研究が期待されます

3. 発表概要:
兵庫県立大学大学院情報科学研究科の石井 良樹 特任講師、鷲津 仁志 教授、東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻の加藤 隆史 教授、大阪大学大学院基礎工学研究科化学工学領域の松林 伸幸 教授、北里大学理学部物理学科の渡辺 豪 講師は、最新のスーパーコンピュータ群(注1)を用いて水処理膜の材料シミュレーションを行うことで、水処理膜の中の「ナノチャネル」が、内部に含まれる水の割合に応じて水分子一つ一つの動きを活発化させる水素結合(注2)の仕組みを明らかにすることにより、その水素結合状態を認識させてイオンを選択的に透過させるメカニズムの可能性を示しました。
水を利用価値のある形へと転換して安全・安心な水を確保するため、これまでさまざまな水処理膜が開発されてきました。水処理膜は微細な穴をたくさん持っており、その穴の大きさと水に溶けたイオンのサイズを比較して、穴より小さいものが透過するという「分子ふるい」の仕組みで理解されています。しかし実際には、水分子やイオンは、分子レベルの水素結合による「水和殻」を被っており、その殻の性質も考慮して分子ふるいのメカニズムを考える必要があります。また、水に溶けたイオンは電荷を持っているため、穴の中にプラスやマイナスの電気を帯びた官能基があれば、電気的な相互作用が透過できるイオンの選択性に大きく影響することがわかってきました。
本研究は、神戸市中央区のポートアイランドにあるスーパーコンピュータ「富岳」(注3)と隣接して計算科学の研究教育を実施している、兵庫県立大学大学院情報科学研究科の鷲津研究室に上記研究者が集まり、計算科学と先端実験の融合を目指して実施されました。まず、加藤教授らが開発した、極めて均一かつ 1 ナノメートル(10 億分の 1 メートル)以下でサイズの揃った穴を持つイオン液晶(注4)の自己組織化膜について、全原子レベルで表現できる新しい分子モデル(注5)を開発しました。特に今回の分子モデリングには、各原子が持つ電荷量を、国内各拠点のスーパーコンピュータ群を用いた高精度な量子化学計算(注6)で決定する、最新の計算科学的手法を採用しました。本研究では、この分子モデルを再びスーパーコンピュータにフィードバックすることで、100 ナノ秒(1,000万分の 1 秒)という、分子動力学シミュレーション(注7)としては非常に長い計算を実行し、イオン液晶分子が織りなす自己組織化水処理膜構造のうち、双連続構造・カラムナー構造の2種類(図参照)、電荷を帯びた官能基の集合体によるナノチャネルの出現、さらには、そのサイズおよびイオン伝導率を、どれも高い確度で再現することに成功しました。さらに、自己組織化構造の中に水が入り込むと、水分子はナノチャネルの中で安定化し、水の濃度に応じて水素結合ネットワークの形成によって、さらに水分子が入り込みやすくなること、またナノチャネルの方向に沿って水分子の動きが活発化することを見出しました。これらの結果は、ナノチャネルの中での「水和殻」の形成が、液晶膜の分子輸送能を支配していることを意味しており、イオンの選択的透過機能の発現にも関与していると期待されます。
本研究成果は、イオン液晶に対する新しい分子モデル群を構築したことで、自己組織化液晶膜のナノチャネルの中に存在する水の学理解明に成功したものです。また、本研究で構築した計算科学的手法は、スーパーコンピュータ「富岳」による超大規模計算へと応用するためのものに位置付けられます。そのため本研究は、水処理膜や生体膜だけでなく、生体親和性や接着など、水と材料の界面で発現する様々な水の役割を可視化する第一歩となることが期待されます。
本研究成果は、2021年7月28日付(米国東部夏時間)でアメリカ科学振興協会(AAAS)の国際学術誌「Science Advances」のオンライン速報版で公開されました。

4. 発表内容:
①研究の背景と経緯
水をきれいにする技術において、水処理膜の活用は重要な手法であり、これまで様々な膜材料が考案されてきました。水処理技術は、海水の淡水化による飲料水製造など、安全安心な水を確保し、持続可能な社会を実現するためにも必要不可欠です。この膜による方法は、ウイルスや特定の有害物質を除去し、有効な成分を抽出させるなど、水をより利用価値のある形へと転換する高度な機能も備えています。水処理膜は、除去あるいは抽出したいイオンや不純物のサイズに応じた多くの微細な穴をもっています。このイオンや不純物は、「水和殻」と呼ばれる、ある「硬さ」と「厚み」 をもった水の殻を被って移動します。そのため膜を透過する際には、穴のサイズと水和水をまとったイオン・不純物のサイズを比較して、穴が大きければ透過し、穴が小さければ透過しないという「分子ふるい」の仕組みで機能していると考えられます。またイオンや不純物がもつ電荷と穴の中に存在する電荷との間に働く静電相互作用も、透過するイオンの選択性に大きく影響し、イオン交換膜の原理に応用されています。さらに穴径がナノメートルを切ると、水和殻の安定性や水和殻と穴との直接の相互作用が影響する可能性が指摘されています。しかし、これまでナノメートル以下で穴径が揃った水処理膜を作ること自体が難しかったため、イオンや不純物を選択的に透過する機能に水がどのように寄与するのか、詳細はわかっていませんでした。またこのような分子レベルの描像を理解する手法として、計算科学技術がこれまで発展してきましたが、イオンが関与する材料では分子モデルがそもそも確立しておらず、シミュレーション研究の実施そのものが大きな挑戦でした。

②研究の内容
本研究グループは、イオンや不純物の選択的な透過機能に水が果たす役割を明らかにするため、加藤教授らが開発した、均質かつ 0.6 ナノメートル(100 億分の 6 メートル)でサイズの揃った穴構造を持つ、イオン液晶による自己組織化膜に焦点を当て、その計算機シミュレーションを行いました。このシミュレーションには、水分子と同じように全原子レベルで表現する分子モデルが必要となりますが、今回の液晶膜系では水との相互作用を正確に記述するための全原子モデルの前例が存在せず、全原子レベルのシミュレーションが非常に難しい状況でした。そこで本研究では、本グループが先行研究において開発した大規模量子化学計算による分子モデリングの方法論をイオン液晶分子に初めて適用することで新しい分子モデルを構築しました。このモデルを用いた100 ナノ秒(1,000万分の 1 秒)の長さの大規模分子動力学シミュレーションを行うことで、自己組織化イオン液晶の双連続構造とカラムナー構造(図参照)の観測に成功しました。その中でもシミュレーションを用いた双連続構造の再現は、世界でも類を見ない成果です。このとき水分子は、自己組織化したナノチャネルの中で、イオン性の官能基と強く相互作用して安定化し、次々に水分子同士がつながった水素結合ネットワークを形成することがわかりました。さらに、エネルギー表示理論に基づく独自の自由エネルギー解析プログラム(注8)などを用いた詳細解析から、水分子はナノチャネルの中に存在する空隙に入り込みやすく、水素結合の形成は水分子の溶解性を向上させるとともに、ナノチャネルの方向に沿った水分子の拡散を手助けすることがわかりました。これは、液晶膜の中での水分子の輸送機能が水素結合状態によって特徴づけられていることを示しています。この水和状態は、Na+Cl-やMg2+SO42-などの無機塩も同じく形成するため、液晶膜がもつイオン選択機能の発現も、この水素結合状態の違いが起因しているものと考えられます。

③今後の期待
穴径の揃った自己組織化イオン液晶膜は、材料となる分子の種類を選ぶことで、穴径や電荷の状態を制御することも原理的に可能です。うまく設計すれば、特定のウイルスや有害イオンだけを除くような高機能膜として働かせることができ、また「除かなくて良いものを透過させる」という性質は、膜を長時間使用しても目詰まりを起こしにくいという大きなメリットにもなります。
本研究成果により、ナノチャネルの中での水の安定性・拡散性には、液晶分子からの寄与が弱く、むしろ水同士の相互作用(水素結合様態)を変化させるチャネルサイズが、水の輸送機能においてより大きな意味を持つことがわかりました。今後は、スーパーコンピュータ「富岳」なども応用することで、これまでの水分子のダイナミクスの理解を無機塩にも拡張し、イオンの選択的透過の機能解明と液晶膜の材料設計への応用を目指します。さらに、大型放射光施設SPring-8(注9)の実験グループとの連携による、実験・計算機シミュレーションの融合研究を現在展開しています。このような研究体制から、分子レベルの情報を多角的に補完することで、水処理膜のみならず、生体親和性や接着などで、水と材料の界面で発現する様々な機能に対する水の役割を可視化し、機能材料の設計にフィードバックする新しい計算科学研究の流れが期待されます。
本研究は、文部科学省科学研究費補助金・新学術領域研究(研究領域提案型)「水圏機能材料:環境に調和・応答するマテリアル構築学の創成」(領域代表: 加藤隆史、領域番号: 6104 研究期間: 令和元年7月~令和6年3月)、「水圏機能材料の基盤となる分子設計・分子集合体の構築」(研究代表者: 加藤 隆史)、「計算科学による水圏機能材料の設計」(研究代表者: 鷲津 仁志)、文部科学省科学研究費補助金「マルチスケール流体シミュレーションによるオイル挙動の学理の構築」(研究代表者: 鷲津 仁志)、文部科学省科学研究費基金「ナノ相分離ソフトマター系の分子モデリングと空間分割解析」(研究代表者: 石井 良樹)、文部科学省元素戦略プロジェクト(研究拠点形成型)「触媒・電池材料研究拠点」の支援を受けて実施されました。本研究のシミュレーションは、一般社団法人HPCIコンソーシアム(注10)によるHPCIシステム利用研究課題などの支援を受けており、北海道大学、自然科学研究機構、大阪大学、九州大学のスーパーコンピュータで実施されました。

5. 発表雑誌:
雑誌名:「Science Advances」(2021年7月28日付(米国東部夏時間))
雑誌タイトル:Molecular insights on confined water in the nanochannels of self-assembled ionic liquid crystal
著者:Yoshiki Ishii, Nobuyuki Matubayasi, Go Watanabe, Takashi Kato, and Hitoshi Washizu
DOI番号:10.1126/sciadv.abf0669

6. 用語解説:
(注1)スーパーコンピュータ群
高速な演算機性能と大容量主記憶装置をもち、大規模並列計算が利用可能なコンピュータの総称であり、大学や国公立の研究所、企業など、様々な国内の研究拠点に設置されている。スパコンはその略称。本研究で活用したスーパーコンピュータと拠点名は、北海道大学情報基盤センター「Grand Chariot」、大阪大学サイバーメディアセンター「OCTOPUS」、自然科学研究機構岡崎共通研究施設計算科学研究センター、九州大学情報基盤研究開発センター「ITO」。
(注2)水素結合
水分子同士が連結して形成される結合であり、近傍に存在すると次々に連結して、水素結合ネットワークを形成する。純水では、水一分子はおおよそ四つの異なる水分子と連結し、不純物がない限り全ての水分子が連結する。イオン液晶の内部では、水の割合が増えると、ナノチャネルの中で純水のように水分子が連結して安定化しやすい。
(注3)スーパーコンピュータ「富岳」
「富岳」は神戸市中央区の理化学研究所計算科学研究センターに設置されている国内最大級のスーパーコンピュータ。理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータで、世界最高の演算処理速度を有している(令和3年6月時点)。令和3年3月より一般利用が開始されており、様々な科学技術分野への貢献が期待されている。クロスアポイントメント制度を利用し、理化学研究所の研究員を鷲津研究室の准教授として迎えるなど、兵庫県立大と活発な交流が行われている。
(注4)イオン液晶
電荷を帯びたイオン性の官能基を持つ分子からなる液晶のこと。液晶とは、液体と結晶の中間状態(相)であり、流動性と分子配列構造を同時に示す。イオン液晶分子は、水との親和性が高い(親水性)領域のほかに、非イオン性で水との親和性が低い(疎水性)部分をもつ。イオン液晶においては、これらの2種類の部分が別々に集まって、異なるナノドメインを形成する自己組織化により、双連続構造やカラムナー構造などの特徴的なナノ構造を発現する。その内部には、イオン性の官能基が連続的に集合してできた「ナノチャネル」の存在が実験で解明されている。
(注5)分子モデル
シミュレーションを行う上で、分子や原子の動きを記述するのに入力する関数モデルと数値情報。物理化学の知識を基にして原子間の作用について関数モデルを仮定し、その関数モデルに代入する数値を変化させて、異なる原子や分子の特性を表現する。これまで、詳細な量子化学計算に基づく様々な分子モデルが提案されており、本研究ではスーパーコンピュータを用いることで、より正確な分子モデルを新たに提案している。
(注6)量子化学計算
量子力学に基づく表式を顕に取り扱うシミュレーション手法。原子がもつ電子や原子核の運動をどこまで考慮するかで近似レベルが異なるが、本研究では密度汎関数理論に基づくコーン-シャム方程式を解く手法を用いて、原子に働く相互作用と電荷量を評価している。パーソナル・コンピュータでは簡単な近似でも百原子程度が限界だが、スーパーコンピュータを用いるとより高度な近似で数千原子以上の規模を扱える。
(注7)分子動力学シミュレーション
ニュートンの運動方程式を解くことで、原子の動きを表現するシミュレーション手法。時々刻々得られる原子集団の座標情報の時間間隔は、数フェムト秒(1,000兆分の数秒)と極めて短いが、ニュートンの運動方程式を積分することで、100ナノ秒(1,000万分の 1秒)以上のダイナミクスが観測可能。国内のスーパーコンピュータでも多く使われている計算技術であり、潤滑剤や薬剤分子の探索にも応用されるなど、理学・工学を問わず幅広い分野で実用化されている。
(注8)自由エネルギー解析プログラム
自由エネルギーとは物質の状態を記述する最も重要な量であり、その状態量をシミュレーションのデータから解析するプログラムのこと。溶液の中に存在する溶質分子を対象とすると、溶質分子が溶ける現象を表す状態量を溶媒和自由エネルギー(化学ポテンシャル)と呼び、様々な材料の特性解析に応用できる。その中でも、松林教授の開発した エネルギー表示理論に基づく自由エネルギー解析プログラムは「富岳」を含む国内のスーパーコンピュータで利用可能。
(注9)大型放射光施設SPring-8
SPring-8は兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高輝度の放射光を生み出す理化学研究所の実験施設。SPring-8の名称は「Super Photon ring-8GeV」に由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速させて、電磁石で進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8ではこの放射光を用いて、学術利用から産業利用まで、幅広い科学技術研究が展開されている。
(注10)一般社団法人HPCIコンソーシアム
HPCIとは「富岳」を中核として全国の大学や研究機関に設置されたスーパーコンピュータやストレージを高速ネットワークで結び、多様なユーザニーズに応える革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラの略称。HPCIシステムの整備と運用に携わる機関がHPCIコンソーシアム。本研究は、令和2年度HPCIシステム一般利用課題「機能性イオン液晶のナノ薄膜における水の分子論の探索」(割当資源:北海道大学Grand Chariot、課題代表者:石井 良樹)の中心的成果であり、現在は令和3年度HPCIシステム一般利用課題「機能性液晶膜のナノチャネルがもつ選択的イオン輸送機構の分子論的解明」(割当資源:北海道大学Grand Chariot、課題代表者:石井 良樹)や「富岳」成果創出加速プログラム「環境適合型機能性化学品」などで更なる応用研究を進めている。

 

7. 添付資料:
(図)(左)本研究のシミュレーションで扱ったイオン液晶分子と、その分子集団が自己組織化して形成する双連続構造とカラムナー構造。電荷をもったイオン性の官能基を赤・濃赤色で示しており、イオン性の官能基が自己集合して形成されたナノチャネルを赤色の連続領域で可視化している。(右)大規模分子動力学シミュレーションで得られた自己組織化イオン液晶のナノチャネルと水分子の様態の拡大図。水分子が連結して安定化していて、ナノチャネルが伸びる方向に水分子は動きやすい。

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

Science Advances:https://advances.sciencemag.org/content/7/31/eabf0669/tab-article-info

学校法人北里研究所:https://www.kitasato.ac.jp/jp/news/20210729-01.html