プレスリリース
- 研究
- 2024
伝搬する光の論理量子ビットの生成 ―大規模誤り耐性型量子計算への第一歩―
発表のポイント
◆ 誤り耐性型量子コンピュータに必要な論理量子ビットを光で生成した。
◆ 従来手法では非常に多数の量子ビットを用いて1つの論理量子ビットを構成するのに対し、今回初めて1つの光パルスを用いた論理量子ビット生成を実現した。◆ 生成した量子ビットの性能をさらに向上させ、既存の大規模光量子プロセッサーと組み合わせることで、大規模誤り耐性型高速光量子コンピュータの実現が期待される。
概要
国立大学法人東京大学大学院工学系研究科の紺野峻矢大学院生(研究当時)及びアサバナント ワリット助教、古澤 明教授らの研究チーム、国立研究開発法人情報通信研究機構(以下、 N I C T )、国立研究開発法人理化学研究所、チェコ共和国のPalacký UniversityのPetr Marek准教授及びRadim Filip教授、ドイツ連邦共和国のUniversity of MainzのPeter van Loock教授は、伝搬する光の論理量子ビット(注1)であるGottesman-Kitaev-Preskill量子ビット(以下GKP量子ビット)を世界で初めて生成しました(図1)。
誤り耐性型量子コンピュータ(注2)を実現するため、通常は非常に多数の量子ビットを用いて、それらを1つの論理量子ビットとして構成します(以降、区別のため、通常の量子ビットを物理量子ビットと呼びます)。この方法では用いる物理量子ビットの数が膨大であることが、実用的な量子コンピュータへの最大の障壁となっています。一方、GKP量子ビットは、1つの光パルスの中で1つの物理量子ビットを用い1つの論理量子ビットの生成を実現できます。これまでGKP量子ビットは有力視されてきましたが、光では実現に至っていませんでした。
図1:実験システムの概念図
本研究では、東京大学とNICTが共同開発した超伝導性を用いた光子検出器(図2)を用いて、光におけるGKP量子ビットの生成を世界で初めて実現しました。このGKP量子ビットは同研究グループで実現された大規模光量子プロセッサーと相性がよく、大規模な誤り耐性型光量子コンピュータの誤り耐性につながると期待されます。
図2:東京大学とNICTが共同開発した超伝導光子検出器
発表内容
計算機が実用されるためには、その計算結果が信頼できるものでなければなりません。現代のコンピュータは単なるハードウェア性能の高さではなく、古典的な誤り訂正の強力さにより、人間社会に欠かせない高い信頼性を持つ技術となりました。幅広い応用が期待された量子コンピュータも実用においては誤り訂正が必要ですが、従来のコンピュータ(古典コンピュータとも呼ばれています)以上の計算能力が期待される反面、量子情報は古典情報以上に外乱に弱いため、誤り訂正に必要な冗長性の導入が困難です。また、このことは実用的な量子コンピュータである誤り耐性型量子コンピュータの実現を阻害する障壁になっています。具体的には、1つの論理量子ビットを導入するのに、非常に多数の物理量子ビットを用いて、相互作用させる必要があるためです。
本研究グループは光量子コンピュータの研究を行っており、2019年のプレスリリース(関連情報参照)では大規模でどのような量子操作も実現可能な量子計算プラットフォームの実証に成功したことを発表しました。これは光の伝搬波の量子システム(注3)の性質が、大規模化や相互作用の容易さにつながるためです。そのプラットフォームに十分な質を持った論理量子ビットを注入することによって誤り耐性型量子コンピュータを実現することができます。
その論理量子ビットとして、1つの物理量子ビットである光パルスで1つの論理量子ビットを実現できるGKP量子ビットが有力視されてきました。しかし、GKP量子ビットの構造を実現するためには、強い非線形性(注4)を使う必要があります。伝搬する波では超伝導やイオントラップのような静止したシステムと違い、非線形性の増幅が難しく、光量子コンピュータの論理量子ビットの実現の大きな課題の1つでした。
今回の成果ではNICTと共同で開発した光子検出器を用いて、最も有力とされるGKP状態を光で生成しました。その生成手法として、GKP状態を生成するためのシュレディンガーの猫状態(注5)を最初に生成しました。シュレディンガーの猫状態は量子性の高い状態ではありますが、GKP状態と異なる構造を持つため、その構造を整形するために、光のシステムで実現しやすい線形光学素子を用いました。その結果が図3に表したようなピーク構造です。このピークの数および鋭さがGKP状態の質を特徴づけるものです。今回はこれを1ステップで行いましたが、この方法の優れた点は、同じ方法を反復することでピークの数が増えて行き、質の高いGKP状態を実現できることで、将来の拡張性が期待されます。
これまでの光量子コンピュータの研究は大規模化や高速化の側面が注目されてきましたが、今回の成果により、前述した特徴を活かした超高速大規模誤り耐性型量子コンピュータの実現への道の第一歩を踏み出すことができました。学術的だけではなく、光量子コンピュータの社会実装の発展にもつながる研究です。
図3:生成した誤り訂正のための電磁場の分布構造の観測結果
関連情報:
「プレスリリース:大規模・汎用量子計算を実行できる量子もつれの生成に成功 ―新しいアプローチで量子コンピューター実現に突破口」(2019/10/18)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/foe/press/setnws_201910181412015784932370.html
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院工学系研究科
紺野 峻矢
研究当時:博士課程(日本学術振興会特別研究員)
アサバナント ワリット 助教
兼:理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 客員研究員
花村 文哉 博士課程
長吉 博成 博士課程
福井 浩介 特任研究員
井出 竜鳳 修士課程
高瀬 寛 助教
兼:理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 客員研究員
遠藤 護 講師
兼:理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 客員研究員
古澤 明 教授
兼:理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 副センター長
情報通信研究機構 未来ICT研究所神戸フロンティア研究センター 超伝導ICT研究室
知名 史博 研究員
藪野 正裕 主任研究員
三木 茂人 室長
寺井 弘高 上席研究員
理化学研究所 量子コンピュータ研究センター
阪口 淳史 特別研究員
Palacký University
Petr Marek Associate Professor
Radim Filip Professor
University of Mainz
Peter van Loock Professor
各機関の役割
- 東京大学:光学系の設計・構築、実験全般
- 情報通信研究機構:超伝導光子検出器の作製・提供
- 理化学研究所:実験データについての議論・解析
- Palacký University, University of Mainz:理論的側面での議論及び評価
論文情報
雑誌名:Science
題 名:Logical states for fault-tolerant quantum computation with propagating light
著者名:Shunya Konno, Warit Asavanant*, Fumiya Hanamura, Hironari Nagayoshi, Kosuke Fukui, Atsushi Sakaguchi, Ryuhoh Ide, Fumihiro China, Masahiro Yabuno, Shigehito Miki, Hirotaka Terai, Kan Takase, Mamoru Endo, Petr Marek, Radim Filip, Peter van Loock, Akira Furusawa* (17名)
DOI:10.1126/science.adk7560
URL:https://www.science.org/doi/10.1126/science.adk7560
研究助成
本研究は国立研究開発法人科学技術振興機構ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」(プログラムディレクター:北川 勝浩 大阪大学大学院基礎工学研究科 教授)研究開発プロジェクト「誤り耐性型大規模汎用光量子コンピュータの研究開発(JPMJMS2064)」(プロジェクトマネージャー(PM):古澤 明 東京大学大学院工学系研究科 教授)、「ネットワーク型量子コンピュータによる量子サイバースペース(JPMJMS2066)」(PM:山本 俊 大阪大学 大学院基礎工学研究科/量子情報・量子生命研究センター 教授)による支援を受けて行われました。
用語解説
(注1)論理量子ビット量子情報処理において、情報を担うのは「量子ビット」というものです。通常の古典情報は「ビット」という0か1の値を取りますが、量子ビットの場合はこの0と1の重ね合わせを取ることができます。物理レベルの量子ビットでは何か外乱やエラーを起こすと、その量子情報を保持できなくなります。これを防ぐため、重ね合わせを保持したまま、エラーの情報を取り出し、情報を復元する「論理量子ビット」を構成することができます。論理量子ビットの構成は複数の量子ビットから冗長性を持たせて構成することが多いのですが、今回の成果で登場するGKP量子ビットは1つの量子ビットにその冗長性を持つ構造を作ることで論理量子ビットを実現できます。
(注2)誤り耐性型量子コンピュータ
実用において、たくさんのステップ数及び入力数の量子計算が必要になります。それにより、現実的なシステムであれば、計算の過程でエラーが蓄積してしまい、数ステップ程度で情報の信頼度が失われます。現実的なエラーの下でも最終的な量子計算結果が正しい究極的な量子コンピュータは「誤り耐性型量子コンピュータ」と呼ばれます。その実現方法は量子情報を単なる量子ビットではなく、論理量子ビットにエンコードし、計算過程の途中で蓄積し始めたエラーを検知するための操作をし、そのエラーを除去していくことで、大規模な計算でも正しい計算結果にたどり着けます。
(注3)伝搬波の量子システム
量子情報処理を実現するさまざまなシステムは物理的な性質の観点で分けると静止したシステム(定在波)か伝搬波で分けられます。定在波の代表例としては超伝導やイオントラップが挙げられ、伝搬波の代表例は光です。定在波のシステムでは量子ビットそのものが静止しているため、その制御や操作、特に(注4)で詳しく説明する非線形操作を容易に実装することができますが、実際の空間上に量子ビットを配置する必要があるため、配線や結合、大規模化などの観点では課題が多いです。それに対して、伝搬波は伝搬する性質から量子通信や大規模ネットワークに向いている一方、操作、特に非線形操作は工夫が必要です。本研究グループでは伝搬波の光の特性を活かしつつ、非線形性の導入にさまざまな工夫をし、実用的な大規模量子コンピュータシステムを目指しています。
(注4)非線形性
量子計算での操作は線形操作と非線形操作に分類することができます。どちらの操作も量子計算を行う上で必要不可欠な操作です。この線形性及び非線形性は作用する物理的な量に対して線形(比例や足し算)なのか、非線形(乗数など)なのかで分類しています。どの種類の操作が得意であるかについては物理系に依存していますが、大まかには定在波のシステムはもともと強い非線形性を有しているシステムや非線形性を定在波で増強できるのに対して、線形操作が不得意な場合が多いです。一方、光の伝搬波では線形操作は通常の光学素子で実現できてしまい、大規模でも実現しやすい一方、非線形性をほとんど有していないので、論理量子ビットの生成に必要な非線形性を工夫して導入する必要があります。
(注5)シュレディンガーの猫状態
シュレディンガーの思考実験に因んだ量子状態のことです。光のシステムでは位相が反転した古典的なレーザ光を重ね合わせた状態のことを指しています。シュレディンガーの猫状態の特徴は量子干渉による干渉縞を有しており、非常に高い量子性を併せ持っていますが、その構造は上述したGKP量子ビットと異なります。
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