【本研究のポイント】
・カゴメ(籠目)金属では、ナノスケールの回転電流が生じるループ電流相注1)が出現。
・ループ電流相のカイラリティーを活用した、磁場で反転する整流効果注2)の新原理を発見。
・ループ電流が電子の波動関数にもたらす量子幾何効果により整流効果が顕著に増大。
【研究概要】
幾何学的フラストレーション注4)を有する新種の超伝導体であるカゴメ金属CsV3Sb5では、時間反転対称性注5)が破れてナノスケールの永久電流が流れるループ電流相など、多彩な新奇量子相が実現します。この系で、電流が一方向のみ流れやすくなる「整流効果」が最近発見されました。整流効果は、空間反転対称性注6)が破れた金属で生じる現象ですが、カゴメ格子構造では破れていません。加えて微弱なスイッチング磁場により極性が反転するため、ループ電流相などの量子相に由来する“新奇な整流効果”として注目されました。しかしその理論的根拠は未解明でした。
本研究では、従来の整流効果の理論を拡張し、ループ電流のカイラリティー(回転の向き)が磁場で反転することで、整流効果の極性が反転することを明らかにしました。さらに整流効果が、ループ電流が電子の波動関数にもたらす量子幾何効果により、顕著に増大することを見出しました。本研究は、カゴメ金属の重要問題であるループ電流相の正体を明らかにすると同時に、新規デバイス応用においても注目を集めています。
本成果は2025年8月26日午前4時(日本時間)以降に米国科学誌「Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America」誌(PNAS、米国科学アカデミー紀要)で公開されました。
【研究背景と内容】
金属中の電子は、強磁性体、絶縁体、超伝導など実に多彩な量子相を示します。金属電子論は基礎科学のみならず応用でも重要であり、エネルギー損失のない超伝導マグネットは工業から医療まで幅広く応用されています。金属電子の多彩な姿の背後には、量子力学注7)があります。電子間の相互作用が強いとき、電子は粒子として局在して絶縁体になり、相互作用が弱いときは波として自由に遍歴して通常金属になります。相互作用がほどほどの時に、多彩な金属量子相が実現します。例えば伝導電子が相互作用により2個ずつ対を組むことで、電気抵抗が完全にゼロになる量子相―超伝導―が実現します。
最近発見された幾何学的フラストレーションを有する新規超伝導体CsV3Sb5は、格子形状よりカゴメ金属と呼ばれます。フラストレーションは電子の局在を妨げるため、金属領域が拡大し、これまでにない新奇な金属量子相が実現します。その中でも、電子が自発的に回転運動する図1の「ループ電流相」が、強い興味を集めています。本研究グループは量子力学に基づき、相互作用がループ電流を安定化する理由を見出しました。さらにループ電流・電荷秩序・超伝導の共存・競合がもたらす「多重量子相」の理論を構築しました。
カゴメ金属のループ電流相では、通常金属では見られない多彩な物理現象が現れます。中でも、図1に示す電流が一方向のみ流れやすい「整流効果」が、研究者の注目を集めています。整流効果は、空間反転対称性が破れた金属で生じる現象ですが、カゴメ格子構造は空間反転対称です。しかも整流効果の極性は、微弱なスイッチング磁場により反転するため、構造ではなく“ループ電流相を起源とする新奇な整流効果”と期待されました。その推察に対する根拠を得るため、本研究グループは従来の整流効果の理論を拡張し、ループ電流のカイラリティー(回転の向き)が磁場で反転すると当時に、整流効果の極性が反転することを証明しました。そこでは、ループ電流と電荷秩序が共存する「多重量子相」で、時間および空間の反転対称性が同時に破れることが本質でした。本研究により、カゴメ金属の整流効果が、ループ電流秩序の決定的証拠であることが分かりました。

図1 カゴメ格子金属における「積層ループ電流相」と、そこで発現する新しいタイプの「整流効果」。ループ電流のカイラリティー(回転方向)が反転すると、整流効果の極性が逆転する。本デバイスの整流効果の極性は、微小なスイッチング磁場により反転可能である。
カゴメ金属で発見された整流効果は、既存の理論では説明できないほど大きく、研究者を悩ませました。本研究グループは、ループ電流が波動関数ψ(k)の著しい歪み(=量子計量Q(k))をもたらし、これが整流効果を数百倍増大させることを発見し、理論と実験の矛盾を解消しました。量子計量Q(k)は、量子幾何テンソルG(k)=<dψ(k)/dkμ|(1-P)|dψ(k)/dkν>の実部であり、kは伝導電子の波数ベクトルです。(μ、νはx,y,z、Pは同一バンドへの射影演算子。)図2に本研究グループが計算したカゴメ金属の量子計量Q(k)を示します。空間反転・時間反転の対称性が破れた電流秩序相において、Q(k)が特定の波数kで共鳴的な増大を示し、これにより整流効果が顕著に増大することが分かりました。
なお波動関数をブロッホ超球(図2)を使って表現すると、共鳴波数の近傍の波動関数同士の距離(ds)が大きくなります。一般相対性理論で登場するリーマン幾何との類似性から量子計量と呼ばれます。量子計量は波動関数の幾何学的性質を表す基本的な関数であり、物性物理学のさまざまな文脈においてその重要性が最近発見されていますが、本研究において量子計量の新たな重要性を明らかにすることができました。

図2 (左)本理論で計算されたカゴメ金属の量子計量Q(k)。Q(k)は波数空間の関数である。ループ電流相において、Q(k)は特定の波数ベクトルkで共鳴的に増大し、整流効果の顕著な増大をもたらした。量子計量は、波動関数ψ(k)の波数依存性が大きい場所で増大する。(右)ブロッホ超球を使った量子計量の表現。共鳴波数の近傍の波動関数同士の距離(ds)が大きくなる。
【成果の意義】
カゴメ超伝導体AV3Sb5(A=Cs,Rb,K)では、幾何学的フラストレーションと電子相関に由来して、自発的な回転電流が流れるループ電流相など、他にないユニークな量子相が実現します。その結果、時間反転・空間反転の対称性が同時に破れた興味深い電子状態が出現し、面白い物理現象が起きます。その中で本研究グループは、電流の流れやすさが+z方向とーz方向で異なる整流効果に着目し、整流効果がループ電流により引き起こされることを理論的に明らかにしました。ループ電流相のカイラリティーが、スイッチング磁場により反転するとき、カゴメ金属の整流効果の極性が反転します。さらに、ループ電流がもたらす波動関数の歪み―量子幾何効果―が、整流効果を顕著に増大することも明らかになりました。本研究は、カゴメ金属の重要問題であるループ電流相の正体を明らかにすると同時に、新規デバイス応用においても重要な提案を行いました。
本研究は、2025年度から始まった文部科学省 学術変革領域研究(A)「相関設計で挑む量子創発」の支援のもとで行われたものです。
【用語説明】
注1)ループ電流相:
電子相関によって電子の飛び移り積分が位相を持つとき、時間反転対称性が破れて、ナノスケールのループ電流が流れる。F.D.M. Haldaneによりハニカム格子に対して導入され、その後銅酸化物超伝導体において長年精力的に研究されてきたが、最近カゴメ金属において多数の有力な実験的観測が報告されている。
注2)整流効果:
金属に電流Jを流すと電位差Vが生じる(図1)。Jの向きを反転したときVの絶対値が変化する場合、これを整流効果と呼ぶ。整流効果の必要条件は、空間反転対称性が破れていることである。しかしカゴメ格子構造は空間反転対称なので、カゴメ金属の整流効果は、反転対称性を破った電子状態に帰着される。
注3)カゴメ格子構造:
竹籠の網目模様に類似した2次元格子構造(図1)。カゴメ格子金属の強い幾何学的フラストレーションにより、単純なスピン秩序や電荷秩序が抑制される。このためカゴメ格子金属では電子相関が強い金属領域が安定化し、新奇な金属量子相の舞台となる。
注4)幾何学的フラストレーション:
カゴメ格子が有する三角形構造は、電子の磁気秩序や電荷秩序を著しく抑制する効果があり、幾何学的フラストレーションと呼ばれる。
注5)時間反転対称性:
時刻の向きを逆転(t→-t)させる操作のことを時間反転と呼ぶ。時間反転により元に戻る状態のことを、時間反転対称性を持つという。ループ電流秩序は時間反転により回転方向(カイラリティー)が変わるため、時間反転対称性を破っている。
注6)空間反転対称性:
ある原点を中心に空間を逆転(r→-r)させる操作のことを空間反転と呼ぶ。適当な空間反転により元に戻る状態のことを、空間反転対称性を持つという。
注7)量子力学:
電子などのミクロな粒子の運動を司る物理法則。電子は粒子としての性質(粒子性)と波としての性質(波動性)という2重性を併せ持ち、不確定性原理と呼ばれる。
【論文情報】
雑誌名: Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America誌(PNAS、米国科学アカデミー紀要)
論文タイトル:Quantum-metric-induced giant and reversible nonreciprocal transport phenomena in chiral loop-current phases of kagome metals
著者: 田財里奈(京都大学)、山川洋一(名古屋大学)、森本高裕(東京大学)、紺谷浩(名古屋大学)
プレスリリース本文:PDFファイル
Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America:https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2503645122
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