発表のポイント
◆ ATP合成酵素を人為的に設計・改変し、これまでに報告されている自然界の酵素の最高値を上回るエネルギー変換機能(H+/ATP比)を達成。
◆ 改変型酵素は、通常ATP合成できないほど低いプロトン駆動力でもATPを合成できることを実証。
◆ 本成果は、生体内エネルギー変換機能の向上を可能にする新たな設計指針を示し、将来的な細胞工学やバイオものづくりへの応用が期待される。
低いプロトン駆動力環境下でもATP合成を実現する改変型ATP合成酵素
概要
東京大学大学院工学系研究科の上野博史講師、野地博行教授らの研究グループは、千葉大学大学院理学研究院の村田武士教授、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所の千田俊哉教授、安達成彦特任准教授(研究当時、現:筑波大学生存ダイナミクス研究センター 准教授)との共同研究により、生物の生命活動に必須なATP(注1)を作る酵素「ATP合成酵素」(注2)を人工的に改変し、これまで報告されている自然界に存在するどの酵素よりも高いエネルギー変換機能を持つATP合成酵素の開発に成功しました。この改変型ATP合成酵素は、ATP合成を駆動するプロトン駆動力(注3)が極めて小さい環境でもATPを合成できることが確認されました。これは、通常1つしかない酵素内の「プロトンの通り道」を3つに増やすという新しい分子設計によって世界で初めて実現されたものです。本研究により、生体内でのエネルギー変換メカニズムに新たな視点がもたらされ、将来的には細胞工学やバイオものづくりへの応用展開も期待されます。
発表内容
ATP(アデノシン三リン酸)は「生体のエネルギー通貨」とも呼ばれる分子で、私たちヒトを含む全ての生物が生命活動のエネルギー源として利用しています。ATP合成酵素は、このATPを細胞内で生み出す酵素です。ATP合成酵素は、細胞膜を隔てた内外の水素イオン(H+)濃度差が生み出すエネルギー(プロトン駆動力)によってH+の流れと共に回転するFoモーターと、ATP加水分解駆動で回転するF1モーターの2つのモーターが組み合わさった複合モーターです(図1a)。プロトン駆動力が十分に強い場合は、FoモーターがF1モーターをATP分解時とは逆方向に回転させ、ADPとリン酸からATPを合成します。この仕組みは、ダムで水の流れがタービン(水車)を回して発電する様子にたとえられます。
図1:天然型ATP合成酵素の構造(a)と天然型・改変型Foモーターの模式図(b)
(a)F1モーターは3つの触媒βサブユニットを持つため、1回転で3つのATPを合成する。H+を結合するFoモーターのcサブユニットはリング状のc-ringを形成する。(b)Foモーターが1回転で運ぶH+の数はc-ringを構成するcサブユニットの数で決まり、その数は生物の成育環境に合わせてさまざまな数に変化したと言われている。改変型酵素ではFoモーターのプロトンが通る経路(aサブユニット)を複数持つ。
ATP合成酵素が1分子のATPを作るために必要とするH+の数(H+/ATP比)は、生物種によって異なり、およそ2.7~5の範囲にあります。H+/ATP比の少ない酵素ほど各H+あたりのエネルギーは大きく、逆にH+/ATP比の大きな酵素ではエネルギーは小さくて済みます。言い換えると、H+をより多く利用する酵素ほど「より低いギア」で回転することになり、プロトン駆動力(エネルギー差)が小さい状況でもATPを合成できるのです。このH+の数は、ATP合成酵素のFoモーターに存在しH+を結合するサブユニット(注4)であるcサブユニットの数で決まります。そのため、これまで生物は自身の生育環境に合わせてcサブユニットの数を変化させ、H+/ATP比を調整することで安定にATPを合成できるように進化してきたと言われています(図1b、右上)。本研究チームはこの常識を覆す新たな設計に挑戦しました。
本研究チームはATP合成酵素が持つFoモーターのプロトン通路に着目しました。通常、この酵素にはプロトンが通る経路(aサブユニット)が1つだけありますが、これを複数持たせる工学的改良を実行したのです(図1b、右下)。具体的には、酵素の回転子を支える「腕」に相当するペリフェラルストーク(注5)と呼ばれる固定子構造を最大3本備え、それぞれが独立したプロトン通路を持つような複合体を設計しました。3方向から水流を当てて水車を回すイメージで、複数のプロトン流で回転させることで、より小さなエネルギーでもATP合成方向の回転を駆動できる仕組みです。
その結果、改変型ATP合成酵素は、想定通り高いH+/ATP比(5.8、改変前の野生型の約2倍)を示しました。これはこれまで報告されている自然界のATP合成酵素のどのH+/ATP比よりも高いものです。また、この改変型酵素は非常に低いプロトン駆動力でもATPを合成できることが実験で確かめられました(図2a)。すなわち、従来の酵素では「力不足」でATPを作れない状況でも、新しい酵素ならわずかなエネルギーを積み重ねてATPを生産できるのです。さらにクライオ電子顕微鏡による単粒子解析を行ったところ、最大3つのプロトン通路を持つ構造が得られ、設計通りに酵素を改変できたことが確認されました(図2b)。
図2:野生型・改変型ATP合成酵素の触媒反応のプロトン駆動力依存性(a)と改変型ATP合成酵素の構造(b)
(a)改変型および野生型ATP合成酵素のATP合成/加水分解能反応のプロトン駆動力依存性。(b)改変型ATP合成酵素のモデル構造とマップを横から示した図(左)と上から示した図(右上)。右下のインセットは右上の点線内を横から見た図。
今回の成果は、生体エネルギー変換の仕組みに関するデザインの余地を示す画期的な例であり、生物が持つ分子機械の限界を突破する新たなアプローチです。将来的には、この知見を応用してエネルギー変換機能の高い生物の開発や、人工微生物による人工光合成システムの開発など、生物工学・バイオものづくり・合成生物学分野への展開が期待されます。
JSTの先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)で目指すハイブリッド型人工光合成システムの実現に向けて、日本側チームは機能増強型ATP合成酵素開発の役割を担っており、その研究および成果発展を見据えた英国側チームとの構想段階の議論から、本成果につながりました。
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院工学系研究科
上野 博史 講師
安田 秩都 研究当時:修士課程
丸井 里駆 修士課程
野地 博行 教授
千葉大学 大学院理学研究院
濱口 紀江 研究当時:博士課程
村田 武士 教授
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所
千田 俊哉 教授
安達 成彦 研究当時:特任准教授
現:筑波大学 生存ダイナミクス研究センター 准教授
論文情報
雑誌名:Nature Communications
題 名:Engineering of ATP synthase for enhancement of proton-to-ATP ratio
著者名:Hiroshi Ueno*, Kiyoto Yasuda, Norie Hamaguchi-Suzuki, Riku Marui, Naruhiko Adachi, Toshiya Senda, Takeshi Murata, and Hiroyuki Noji*
DOI:10.1038/s41467-025-61227-w
URL:https://www.nature.com/articles/s41467-025-61227-w
研究助成
本研究は、科研費「新学術領域研究(No.JP21H00388)」、同「挑戦的研究(萌芽)(No.JP23K18092)」、同「基盤S(No.JP19H05624)」、「基盤B(No.JP24K01987)」、ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)(No.RGP0054/2020)、創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業 創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS:JP23ama121013、JP21am0101071)、科学技術振興機構(JST)先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)「日英共同による人工光合成細胞システム開発」(研究代表者:野地 博行、No.JPMJAP24B5)の支援を受けて行われました。
用語解説
(注1)ATP
生物のエネルギー源となる分子で、「エネルギー通貨」とも呼ばれます。筋肉の収縮、物質の合成、神経伝達など、あらゆる生命活動に必要なエネルギーを供給します。
(注2)ATP合成酵素
細胞膜に埋め込まれている分子機械で、膜内外に形成されるプロトン駆動力を使ってATPを合成します。
(注3)プロトン駆動力
水素イオン(H⁺)の濃度差や電位差によって生まれるエネルギーで、ATP合成酵素を回転させる原動力になります。
(注4)サブユニット
生体高分子(特にタンパク質複合体)を構成する個々の構造単位のこと。ATP合成酵素は、複数の異なる種類のサブユニットが集まってできており、それぞれが異なる役割を担っています。
(注5)ペリフェラルストーク
ATP合成酵素において、回転する部分(図1aのγサブユニット、εサブユニット、c-ring)を外側から支えて固定するアーム状の構造体。通常、δサブユニットと2本のbサブユニットから構成されます。
プレスリリース本文:PDFファイル
Nature Communications:https://www.nature.com/articles/s41467-025-61227-w