プレスリリース

量子多体系の情報処理性能を通じて相転移現象を解明 ―物性物理と情報科学との架け橋となる量子リザバープロービング―

作成者: Public Relations Office|Apr 25, 2025 9:00:00 AM

発表のポイント
情報処理性能を通じて量子多体系を探る手法「量子リザバープロービング」を開発し、量子多体系内の情報伝搬を詳細に解析しました。
代表的な量子多体現象である量子相転移およびトポロジカル相転移を、情報伝搬ダイナミクスに基づく統一的手法により正確に検出することに成功しました。
本研究成果は、物性物理と情報科学の分野融合を加速させ、情報科学を駆使した多彩な量子多体現象の解明に大きく貢献するものと期待されます。

量子リザバープロービングによる相転移検出の概念図

概要
東京大学大学院工学系研究科の小林海翔大学院生と求幸年教授は、量子多体系(注1)における情報伝搬ダイナミクスを通じて、量子相転移(注2)およびトポロジカル量子相転移(注3)を同一の手法で検出することに成功しました。鍵となる情報伝搬の追跡には、「量子リザバープロービング」という新たに開発した手法を用いました。この手法は、情報伝搬を「情報の推定」という一種の機械学習タスクに落とし込み、その性能を指標として利用するものであり、量子多体系を情報処理に利用する量子リザバーコンピューティング(注4)の逆拡張に相当します。特に量子臨界点付近では、最大限発達した量子揺らぎにより情報伝搬が強く抑制され、推定性能が著しく悪化することを見出しました。この現象を相境界のマーカーとすることで、平衡状態における大域的な性質である量子相転移やトポロジカル相転移を、非平衡状態における局所的な励起の情報伝搬特性を通じて検出することに成功しました。本研究は、情報処理性能を通じて量子多体系を探るという新たなアプローチを提示するものであり、物性物理と情報科学の融合を加速させ、多彩な量子多体現象の解明に貢献することが期待されます。
本研究成果は、2025年4月25日(英国夏時間)に英国科学誌「Nature Communications」のオンライン版に掲載されました。

発表内容
〈研究の背景〉
量子相転移は典型的な量子多体現象の一つです。ミクロなスケールでは相互作用の種類や強さが異なる系であっても、マクロなスケールの量子相転移では普遍的な性質を示すことから、量子力学の統一的理解に重要な貢献を果たしてきました。従来、この現象は平衡状態における巨視的現象として捉えられてきましたが、近年、非平衡状態における量子ダイナミクスからもその兆候を引き出せることが明らかになってきました。その背景には動的臨界現象(注5)を通じた量子相転移と量子ダイナミクスの密接な関連があり、特に大域的な励起がもたらすダイナミクスには、先行研究により、時空間相関などから検出可能な量子相転移の痕跡が埋め込まれていることが示されました。しかし、局所的な励起から生じる非平衡ダイナミクスにおいても、平衡状態での大域的な現象である量子相転移の兆候が見出せるかについては未解明であり、本研究では、この観点から量子相転移の本質に迫りました。

〈研究内容〉
本研究では、「量子リザバープロービング」と呼ばれる新たな手法を開発し、量子状態の局所的な励起操作によって引き起こされる非平衡ダイナミクスを調べました。この手法は、近年注目を集めている機械学習手法の一つである「量子リザバーコンピューティング」を逆転の発想で拡張したものです。すなわち、後者は情報処理のための計算リソースとして量子多体系を利用するのに対し、前者は計算リソースとして用いられた際の性能を通じて量子多体系そのものを調べます(図1)。具体的には、局所的な励起操作によって量子多体系にランダムな情報を入力したのち、物理量のダイナミクスを観測します。その後、得られた測定結果を多数の入力に対して統計的に処理することで、与えられた入力値の推定タスクに取り組みます。局所操作が唯一の情報源であることから、この推定が成功するのは、局所励起の情報が観測した物理量に伝搬した場合に限られます。従って、量子リザバープロービングにより、さまざまな要因の影響を受ける非平衡量子ダイナミクスから、局所励起の影響のみを選択的に抽出することが可能となります。
 
図1:量子リザバーコンピューティング(左)と量子リザバープロービング(右)の概念図

今回、量子リザバープロービングを用いてさまざまな量子多体系を詳細に解析した結果、各量子相の特性を如実に反映した特徴的な伝搬パターンを確認しました(図2a)。特に量子臨界点では、最大限に増幅された量子揺らぎが非平衡ダイナミクスを支配するため、局所励起の影響が抑制され、推定性能が著しく悪化することを明らかにしました。これを相境界のマーカーとすることで、量子相転移を正確に検出することができます(図2b)。さらに、臨界点上での量子揺らぎの発達は普遍的に生じることから、局所的な物理量では通常検出できないトポロジカル量子相転移も、全く同様の手法で検出することに成功しました。これらの成果は、平衡状態における巨視的な量子相転移の兆候が、非平衡状態における局所的な励起にも内在していることを示しており、量子相転移の本質的理解に新たな視点をもたらすものです。

図2:横磁場量子イジング模型における局所励起の情報伝搬(a)横磁場量子イジング模型(注6)の各量子相における情報推定性能 R2 の時空間マップ。中央に与えた情報が系全体に伝搬する様子が捉えられており、その伝搬パターンは量子相ごとに異なる。(b)情報推定性能の平均値。量子揺らぎが最大限発達する量子臨界点上では局所励起の影響が抑制され推定性能が最小となる。

〈今後の展望〉
本研究で開発した量子リザバープロービングは、情報の入力方法や取り組むタスクの設計次第で、多彩な量子多体現象を情報処理と結びつけ、情報科学的観点からその特性を解明できると期待されます。本研究は、情報科学と物性物理の分野融合を加速させるものであり、情報科学の知見を駆使した量子多体系の学際的解明へ向けた大きな一歩です。

発表者・研究者等情報
東京大学 大学院工学系研究科
 小林 海翔 博士課程
 求 幸年 教授

論文情報
雑誌名:Nature Communications
題 名:Quantum reservoir probing of quantum phase transitions
著者名:Kaito Kobayashi*, Yukitoshi Motome
DOI:10.1038/s41467-025-58751-0
URL:https://doi.org/10.1038/s41467-025-58751-0

研究助成
本研究は、科学研究費助成事業 新学術領域研究「量子液晶の物性科学」(JP19H05825)、科学研究費助成事業(JP24KJ0872)、JST CREST(JPMJCR18T2)、JST BOOST (JPMJBS2418)の支援を受けたものです。また、本研究の計算の一部は東京大学物性研究所スーパーコンピュータを利用し行われました。

用語解説
(注1)量子多体系:
多数の量子力学的な粒子(例:電子や原子)が相互作用し合う系。相互作用を通じて、個々の粒子の振る舞いからは想像もつかないような複雑な物理現象(例:超伝導や磁性)を生じることがある。

(注2)量子相転移:
物質の状態が量子力学的な性質に基づいて急激に変化する現象。温度ではなく、圧力や磁場といった量子力学的変数が関与し、量子の持つ不確定性が強く影響する。量子力学的性質によって決まる物質の状態を量子相と呼び、各相はその対称性の有無や種類によって特徴付けられる。特に、量子揺らぎが最大限強まることで量子相転移が生じる特定のパラメータ条件を量子臨界点といい、相の違いを定量的に示す指標である秩序パラメータの変化により検出される。

(注3)トポロジカル量子相転移:
トポロジーと呼ばれる大域的性質が異なる二つの量子相の間で生じる量子相転移。通常の量子相転移とは異なり、対称性の破れが必ずしも伴わず、また局所的な秩序パラメータを用いて異なる相を識別することができない。

(注4)量子リザバーコンピューティング:
量子多体系のダイナミクスを計算リソースとして利用する機械学習フレームワーク。リザバーコンピューティングとは、複雑なダイナミクスを持つ動的システム(リザバー)を活用し、高速かつ低コストな情報処理を実現する機械学習手法であり、量子リザバーコンピューティングでは量子システムをリザバーとして用いる。量子系特有の非線形性や高次元性に起因した高い情報処理性能が期待されている。

(注5)動的臨界現象:
量子臨界点近傍での不安定性に起因し、物理量の時空間変化が特異な振る舞いを示す現象。

(注6)横磁場量子イジング模型:
量子力学的なスピン自由度によって記述される、磁気的な性質を捉える模型。隣接スピン間の古典的な相互作用と、量子効果(スピンの重ね合わせ)を導入する横磁場項から構成され、両者の競合により量子相転移が生じる代表的な模型の一つ。

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル
Nature Communications:https://doi.org/10.1038/s41467-025-58751-0