プレスリリース

キラル磁性体CoNb3S6における自発ネルンスト効果の観測 -トポロジカルスピン構造による効率的エネルギー変換技術へ-

作成者: Public Relations Office|Mar 27, 2025 12:00:00 AM

 

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター強相関物質研究グループのヌイェンドゥイカーン研究員(研究当時、現客員研究員、東京大学大学院工学系研究科附属量子相エレクトロニクス研究センター特任助教)、東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻のマックス・ヒルシュベルガー准教授(理研創発物性科学研究センタートポロジカル量子物質研究ユニットユニットリーダー)らの国際共同研究グループは、トポロジカル[1]反強磁性体[2]「CoNb3S6」において、「ネルンスト(横型熱電)効果[3]」として知られる大きな熱電効果[4]の観測に成功しました。
未来社会のエネルギー供給を確保するためには、効率的なエネルギー変換技術、すなわちエネルギーハーベスティング技術(環境中の微小なエネルギーを集め、電気エネルギーへ変換する技術)と省エネルギー技術を並行して開発することが必要です。効率的なエネルギー変換のための一つのアプローチとして、ネルンスト効果が挙げられます。この熱電効果は、熱の流れを有用な電圧に変換することができ、特定の強磁性体[2]物質で大きな効果を示します。しかし、強磁性体においては大きな磁化が、外部磁場によって簡単に向きを変えてしまうという欠点があります。一方、正味の磁化がゼロのトポロジカル反強磁性体では、固体内電子の量子力学的な性質によって生じる創発磁場[5]を利用して、ネルンスト電圧を生成することが可能です。
国際共同研究グループは、回転方向(左向きまたは右向き)が固定されたキラル[6]な結晶構造を持つ層状物質の反強磁性体「CoNb3S6」に注目しました。この物質のキラルな結晶構造と反強磁性秩序の組み合わせにより、大きな創発磁場が生成され、それはトポロジー[1]という数学的概念によって理解することができます。この状況下で、正味の磁化がほとんどゼロであっても、反強磁性体において大きな「トポロジカル」ネルンスト効果が現れることを発見しました。今回の発見は、トポロジカル量子物質の研究において重要な進展であり、次世代のエネルギー技術や情報技術への応用の可能性を広げるものです。
本研究は、科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(3月26日付:日本時間3月26日)に掲載されました。

「トポロジカル」反強磁性状態の創発磁場Bemによって誘起されるネルンスト効果

背景
19世紀にエッティングスハウゼンとネルンストによって発見されたネルンスト効果は、温度勾配(∇T)が伝導性物質内で、温度勾配および外部磁場(B)(または磁化(M))の両方に垂直な電圧を発生させる現象です。電圧が温度勾配と平行方向に発生するゼーベック効果に基づいた従来の熱電モジュール(熱エネルギーを電気エネルギーへ変換する素子)は、n型-p型の素子対を多数組み合わせて作製するため、耐久性の問題、高コスト、大きなエネルギー損失といった課題が存在しますが、ネルンスト効果では電圧が温度勾配・磁化の両者に垂直に発生するため、この問題を解決し、エネルギーハーベスティング技術の向上に資する可能性を秘めています。
通常、ネルンスト効果は外部磁場または磁化を必要とし、強磁性体で大きな値が観測されます。しかし、強磁性体における大きな磁化は、実装時にいくつかの問題を起こします。例えば、強磁性体は外部磁場によって容易に磁化の向きが変化したり多ドメイン(領域)状態に変化したりしてしまいます。しかし、最近の研究により、磁気および電子構造において非自明なトポロジー特性を持つ反強磁性体(トポロジカル反強磁性体)が、磁化がほとんどゼロ(M ≈ 0)で、外部磁場がなくても、原理的には強いネルンスト効果を示し得ることが明らかになりました注)。これらの物質では、トポロジカルスピン構造や創発磁場(Bem)といった特性が大きなネルンスト効果をもたらします。しかしながら、このようなトポロジカル物質の数はまだ限られており、これらの系における大きなネルンスト効果の研究が重要な課題となっています。
国際共同研究グループは、トポロジカル反強磁性体における熱電効果を利用し制御するための新しいメカニズムを探究し、これらの課題を克服することを目指しました。

注)L. Sˇmejkal, J. Sinova, and T. Jungwirth, Emerging Research Landscape of Altermagnetism, Phys. Rev. X 12, 040501 (2022).

研究手法と成果
国際共同研究グループは、左回りまたは右回りの回転の向きを持つキラルな結晶構造の層状物質「CoNb3S6」をターゲットにしました(図1a)。この物質は、コバルト原子(Co)が四面体を形成し、それらの磁気モーメントがコバルト四面体の内側または外側に向くという独特の反強磁性秩序を示します(図1b)。その結果、非共面、つまりねじれた構造が生じ、この構造は「All-In All-Out」(AIAO)または「All-Out All-In」(AOAI)反強磁性体と呼ばれ、非共面反強磁性体[7]の一つです。正味の磁化がほとんどゼロ(M ≈ 0)であるにもかかわらず、これらの磁気状態は時間反転対称性[8]を破り、そのねじれたスピンを通じて創発磁場を生成します。

図1 本研究の対象物質とコンセプト

(a)トポロジカル反強磁性体「CoNb3S6」の結晶構造。
(b)非共面型の「All-In All-Out」(AIAO)および「All-Out All-In」(AOAI)の反強磁性秩序は、極めて小さい正味の磁化(M ≈ 0)を示す。
(c)従来の強磁性体におけるネルンスト効果は、大きな磁化を必要とする。
(d)トポロジカル反強磁性体におけるネルンスト効果は、磁化が不要である。AIAO(ドメイン❝A❞)およびAOAI(ドメイン❝B❞)の磁気秩序は、符号が逆の創発磁場(Bem)を生成し、これにより逆符号のネルンスト効果の信号(ネルンスト信号)を生成する。

CoNb3S6におけるネルンスト効果の測定により、典型的な強磁性体と同等の、大きなネルンスト信号(約1マイクロボルト/ケルビン)が観測されました。この値は、ほぼゼロに近い磁化から期待される値をおよそ10万倍上回っており、CoNb3S6における大きな熱電応答(熱を電圧に変換する応答)は新しい機構により発生していることを示唆しています(図2)。この効果の温度と磁場依存性の詳細な測定を通じて、国際共同研究グループは、磁場の変化によってネルンスト電圧が反転することを発見しました。これにより、反強磁性状態(AIAOまたはAOAI)に関連するネルンスト効果の磁場制御の可能性が示されました。 

図2 CoNb3S6におけるネルンスト効果

(a)ネルンスト効果測定の実験系の概略図。
(b)測定プローブにセットされた試料の写真。
(c)CoNb3S6および従来の大きな磁化を持つ強磁性体における、ネルンスト信号の磁化依存性。CoNb3S6は従来の強磁性体と比較して磁化の大きさが10万分の1程度にもかかわらず、同等のネルンスト信号を示した。


さらに電子エネルギーバンド(物質の性質を支配する電子の状態)とそれから導かれる創発磁場の大きさに関する第一原理計算[9]によって、このユニークで大きなネルンスト効果が、CoNb3S6の電子構造のトポロジー、特にギャップの開いたトポロジカルノーダル面[1]に起因することが示されました。これらの非自明なトポロジカルな特性は、物質のキラルな結晶構造と非共面的な反強磁性秩序の絡み合いから生じます。 

今後の期待
本研究では、正味の磁化を持たない反強磁性体でも、大きなネルンスト効果を生成できることを実証しました。この効果は、特異な電子構造・磁気構造に由来する創発磁場によって引き起こされます。近年、トポロジカル反強磁性物質は、スピントロニクスや量子物質の分野で、より高速・高密度の多機能電子デバイス実現の可能性から注目を集めています。このような背景の中で、トポロジカル反強磁性体CoNb3S6における大きな熱電応答の発見は、反強磁性体内のスピンと電子の相互作用が、強磁性秩序や強い外部磁場を必要とせずに、堅固な熱電効果を生み出す可能性を示しています。この研究で明らかにされた量子力学的メカニズムは、次世代の熱電デバイス、スピントロニクス要素デバイス、量子計算技術の開発への道を切り開き、反強磁性物質のユニークな特性を活用することを可能にします。

論文情報
<タイトル>
Gapped nodal planes and large topological Nernst effect in the chiral lattice antiferromagnet CoNb3S6
<著者名>
Nguyen Duy Khanh*, Susumu Minami, Moritz M. Hirschmann*, Takuya Nomoto, Ming-Chun Jiang, Rinsuke Yamada, Niclas Heinsdorf, Daiki Yamaguchi, Yudai Hayashi, Yoshihiro Okamura, Hikaru Watanabe, Guang-Yu Guo, Youtarou Takahashi, Shinichiro Seki, Yasujiro Taguchi, Ryotaro Arita, Max Hirschberger*
<雑誌>
Nature Communications
<DOI>
10.1038/s41467-025-57320-9

補足説明
[1] トポロジカル、トポロジー、トポロジカルノーダル面
トポロジーとは、何らかの形を連続変形しても保たれる性質に焦点を当てた数学の一分野(位相幾何学)。ここでトポロジカルとは、トポロジーの性質が自明でない(ゼロでない)、という意味で使用している。二つの電子バンドがある面上で縮退(同じエネルギーを持つこと)してトポロジカルなバンド構造をつくっているとき、その面のことをトポロジカルノーダル面という。

 [2] 反強磁性体、強磁性体
反強磁性体は、隣接する原子の磁気モーメントが互いに反対方向を向いて整列し、互いに相殺されて正味の磁化がゼロになる物質。強磁性体は、原子の磁気モーメントが互いに平行に整列する物質で、外部磁場がなくても強い正味の磁化を示す。強磁性体はハードディスクなど現代の多くの技術に使用されている。

[3] ネルンスト(横型熱電)効果
固体に加えられた磁場と温度勾配に直交する方向に電圧(ネルンスト電圧)が生成される現象。電荷とスピンのダイナミクスによって駆動され、エネルギー変換や熱センサーといった技術応用に利用可能である。

[4] 熱電効果
熱電効果の一つであるゼーベック効果は、物質の両端に温度差をつけた場合、その温度差に比例する電圧が発生する現象である。温度測定によく用いられる熱電対は、この効果を利用したものである。熱電効果を利用することで廃熱から電気エネルギーを取り出すことが可能となるので、IoT時代におけるセンサーネットワークの自立型電源などへの利用が期待される。またゼーベック効果の逆効果であるペルチェ効果は、電流を流すことで吸放熱を起こすことができるため、パソコンのCPUの冷却やワインセラー、またアウトドア用の保冷庫に応用されている。

[5] 創発磁場
ねじれた磁気構造内を伝導電子が移動する際に電子が感じる疑似的(仮想)磁場で、数百テスラに達することがある。これらの創発磁場はスピン構造自体によって生成され、外部から印加される磁場とは異なる。

[6] キラル
原子または磁気構造の配置に鏡映対称性が存在しない性質。

[7] 非共面反強磁性体
隣接原子の磁気モーメントが単一の平面内にない反強磁性秩序の一形態で、複雑でねじれた配列が生じ、創発磁場が存在する。

[8] 時間反転対称性
ある系の時間を逆行させてもその系の状態が変化しないとき、その系は時間反転対称性を有している。スピンおよび磁気モーメントは円環電流と等価であるため、磁気モーメントが整列した系では時間反転対称性は破れている。

[9] 第一原理計算
物質の性質を量子力学に基づいて直接的に計算する方法。この計算手法では、実験データや経験的パラメータを用いずに、基本的な物理法則(量子力学の原理)だけに基づいて物質の電子構造や物性を予測する。具体的には、シュレーディンガー方程式やその近似解である密度汎関数理論などを用いて、原子や分子の相互作用を計算する。第一原理計算は、物質の電子構造やエネルギー状態、バンド構造、化学反応などを高精度に予測することが可能で、新しい材料の設計や未知の物質の特性解明に非常に有用である。

国際共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
 強相関物質研究グループ
  研究員(研究当時)      ヌイェン・ドゥイ・カーン(Nguyen Duy Khanh)
 
(現 客員研究員、
  東京大学 大学院工学系研究科附属量子相エレクトロニクス研究センター 特任助教)
  
グループディレクター     田口康二郎(タグチ・ヤスジロウ)
 
計算物質科学研究チーム
  
国際プログラム・アソシエイト ミンチュン・ジャン(Ming-Chun Jiang)
 
(国立台湾大学 博士課程)
  
チームリーダー        有田亮太郎(アリタ・リョウタロウ)
 
(東京大学 大学院理学系研究科物理学専攻 教授)
 
量子物性理論研究グループ
  
訪問研究員          モリッツ・マンデス・ヒルシュマン(Moritz M. Hirschmann)
 
強相関物性研究グループ
  
グループディレクター     十倉好紀(トクラ・ヨシノリ)
 
(東京大学 卓越教授/東京大学国際高等研究所東京カレッジ)

東京大学
 大学院工学系研究科
  
物理工学専攻
   
准教授            マックス・ヒルシュベルガー(Max Hirschberger)
  
(理研 創発物性科学研究センター トポロジカル量子物質研究ユニット ユニットリーダー)
   
教授             関 真一郎(セキ・シンイチロウ)
   
助教             山田林介(ヤマダ・リンスケ)
   
博士課程(研究当時)     林 悠大(ハヤシ・ユウダイ)
   
修士課程           山口大輝(ヤマグチ・ダイキ)
  
附属量子相エレクトロニクス研究センター
   
准教授            髙橋陽太郎(タカハシ・ヨウタロウ)
   
(理研 創発物性科学研究センター 創発分光学研究ユニット ユニットリーダー)
   
助教             岡村嘉大(オカムラ・ヨシヒロ)
 
先端科学技術研究センター
   
講師(研究当時)       野本拓也(ノモト・タクヤ)
  
(現 東京都立大学 大学院理学研究科物理学専攻 准教授)
   
助教(研究当時)       渡邉 光(ワタナベ・ヒカル)
  
(現 東京大学 大学院理学系研究科 物理学専攻 助教)
 
大学院理学系研究科
   
特任助教(研究当時)     見波 将(ミナミ・ススム)
  
(現 京都大学 大学院工学研究科 機械理工学専攻 助教)

ブリティッシュコロンビア大学(カナダ)
 
スチュワートブラッソン量子物質研究所
  
博士課程           ニクラス・ハインスドルフ(Niclas Heinsdorf)

国立台湾大学
 物理学科/理論物理学センター
  
教授             グワーン・ユイ・グオ(Guang-Yu Guo)

研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「Beyond Skyrmionを目指す新しいトポロジカル磁性科学の創出(研究代表者:于秀珍、JPMJCR20T1)」「ナノスピン構造を用いた電子量子位相制御(研究代表者:永長直人、JPMJCR1874)」「第三の磁性体『Altermagnet』の物質設計と機能開拓(研究代表者:関真一郎、JPMJCR23O4)」、同創発的研究支援事業の川村パネル研究領域「中心対称な金属におけるメロン・スキルミオン構造の開拓Pioneering meron and skyrmion textures in centrosymmetric metals(研究代表者:Hirschberger Maximilian、JPMJFR2238)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業新学術領域研究(研究領域提案型)「Anisotropic electron gas and memory application from spin-spiral formation(研究代表者:Hirschberger Maximilian、22H04463)」、同基盤研究(B)「磁気構造探索と統合的物性スクリーニングによる機能反強磁性体設計(研究代表者:野本拓也、24K00581)」、同基盤研究(S)「磁性伝導体における新しい創発電磁誘導(研究代表者:十倉好紀、23H05431)」、同若手研究「電気活性な反強磁性の持つ光制御性・創発的な伝導応答の理論的解明(研究代表者:渡邉光、23K13058)」「Electrical manipulation of Antiferromagnetic State in Non-centrosymmetric Systems(研究代表者:ヌイェン カーン、21K13873)」、同基盤研究(S)「マクロな時間反転対称性の破れた反強磁性体の物質設計と電気的制御(研究代表者:関真一郎、21H04990)」「マルチカロリトロニクス(研究代表者:内田健一、22H04965)」、同学術変革領域研究(A)「キメラ準粒子のエレクトロニクス(研究代表者:深見俊輔、24H02235)」、公益財団法人村田学術振興・教育財団、公益財団法人山田科学振興財団、公益財団法人服部報公会、‎公益財団法人マツダ財団、公益財団法人カシオ科学振興財団、公益財団法人稲盛財団、公益財団法人高柳健次郎財団、Deutsche Forschungsgemeinschaft(DFG、German Research Foundation)(No. 518238332)の助成を受けて行われました。

発表者
※研究内容については発表者にお問い合わせください。

理化学研究所 創発物性科学研究センター 強相関物質研究グループ
 研究員(研究当時)  ヌイェン・ドゥイ・カーン(Nguyen Duy Khanh)
(現 客員研究員、
 
東京大学 大学院工学系研究科附属量子相エレクトロニクス研究センター 特任助教)

東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 
 准教授        マックス・ヒルシュベルガー(Max Hirschberger)
 
(理研 創発物性科学研究センター トポロジカル量子物質研究ユニット ユニットリーダー)

 

プレスリリース本文:PDFファイル
Nature Communicationshttps://www.nature.com/articles/s41467-025-57320-9