【退官記念随筆】柴田 浩司(マテリアル工学専攻 教授)

退官記念随筆

33年間の喜(怒哀)楽

工学系研究科マテリアル工学専攻 教授
柴田 浩司

 

1970年7月1日に、博士課程の途中から助手になって以来今日まで、33年と半年の間、工学部にお世話になりました。途中、3年間、総合試験所の所員となりましたが、その間も4号館の研究室を同時に使用させていただき、総合試験所との間を行き来しておりました。また、4号館の改修工事を行った際、半年ほどだったと思いますが、6号館の最上階に避難させていただいたことがありましたが、この時も、4号館の研究室との間を行き来しておりました。従って、33年と半年の間、ほとんどずっと4号館の住人であったと言ってもよかろうかと思われます。ちょうど良い機会なので、この間の喜怒哀楽を振り返ってみたいと思います。

 

もっとも大きな喜びは、ほとんどの時を勝手気ままな研究を行って楽しく過ごさせていただいたうえ、「無事」定年を迎えることが出来るということです。このように勝手気ままな研究をしていたのでは、これからは「無事」には済まないだろうと思われますので、正直、良い時期に定年を迎えられると喜んでおります。「無事」と申しましたが、実は、今でもぞっとする多くのいろいろな「危ない目」にあっております。例えば、大学院の学生が圧延ロールに手をはさまれてしまったり、実験机の上にこぼした無水クロム酸を学生か誰かが拭き取った雑巾をゴミ箱に捨ててしまい、それが夜中にくすぶりだしたりしたこと等々がありました。これらはすべて、大事にはならず済みましたが、幸い他方の手の側にスイッチがあったのですばやくロールを逆回転させることができたとか、夜中だったけれども、たまたまそばに人がいたとか、運がよかったとしか言いようがないものばかりです。私の運の強さに喜んでおります。私は、学生時代からずっと鉄鋼材料の研究を続けてきましたが、現在、鉄鋼産業は中国向け輸出の伸びなどにより、活況状態にあります。一方、いま工学部で新2号館の工事が進められておりますが、ご覧になって分かるように、鉄鋼が沢山使用されております。同じように進んでおります理学部1号館の工事では、単位面積当たり、もっと多くの鉄鋼が使われているように見うけられます。耐震補強を行った工学部8号館、5号館でも多くの鉄鋼が使われているのが目につきます。鉄鋼産業の非常な活況の中、身近に多くの鉄鋼が使用されているのを毎日眺めながら、定年を迎えられるということも、1つの喜びであります。

 

怒りと哀しみの記憶は、ほとんど思い出せません。タイトルにカッコがついているのはそのためです。怒りについて唯一思い出すのは、次のようなことだけです。それは、1年ほど前、購入した自転車がパンクして修理に出したアジアからの留学生が、4号館の脇に長らく放置されていた自転車に乗って買い物に出かけてしまいました。たまたま運悪く、警官の職務質問にあって本富士署で取り調べを受けました。その日、生憎私は出張中で、後日留学生と一緒に本富士署に呼ばれたのですが、両者の言い分を聞くと、本人がサインした先日の調書内容と本人の言い分にかなりの食い違いがありました。本人は、先の取り調べの時、日本語がほとんど話せないこともあって取り調べが長時間にわたりすっかり疲れてしまったこと、また、奥さんの出産が数日後に迫っているのにサインしないと帰宅させて貰えないと非常に不安になってしまったことから、早く家に帰りたい一心で不本意だけどもサインしてしまったのだそうです。結局、許して貰えたのですが、一時、大変大きな声でどなられたりして(刑事もののテレビによく出てくるシーンとそっくりでした)、先方にアジアからの外国人に対する特別な感情があるのではないかと感じられる言動もありました。この時のことを思い出しますたびに、じわじわっと怒りがこみ上げて来るのを感じます。哀しみについては、教授にしていただく前に母が亡くなったこと、親しかった友人、研究仲間があっけなく亡くなったというようなことしか思い浮かびません。

 

楽しかったことは沢山御座います。楽しく研究させていただいたことが第1ですが、研究室以外での学生との楽しい思い出も沢山あります。写真は、私がたしか講師だった時に、北陸で学会があった際、研究室の助手、学生達と黒部峡谷を旅行した時のものです。私が学生だった時もそうだったのですが、以前は、学会のとき、あるいは春休み、夏休みに教授の先生と一緒によく旅行に行ったものです。最近は、私自身なかなか時間が取れなくなったこともあり、また、たまに時間が取れるようなことがあって研究室で旅行に行こうと提案しても学生がのってこないので、学生と一緒に旅行することはめったにありません。歓迎コンパと忘年会を除き、学生と飲みに行くということもめったになく、学生と楽しくふれ合う機会がかなり少なくなってきております。最近、研究室に来なくなる学生が徐々に増えてきておりますが、そんなこととも関係があるのかなどと気になっております。毎年毎年どんな学生がきてくれるのか、楽しみでありましたが、いくつか非常にめずらしい経験もいたしました。高校時代の知人の子供が、全くの偶然で、私の研究室に卒論配属されてきたこともありました。また、もっと驚きましたことに次のようなこともありました。いま住んでいる自宅は中古住宅を購入して何年か後改築したものですが、その中古住宅を売ってくれた方の孫が、これまた全くの偶然で卒論配属されてきたことです。そうしたこことは、学生との何気ない会話の中でひょんな事をきっかけにして判明したわけですが、学生との会話がなかったら、お互い気づかずに過ごしてしまうことが十分あったわけです。そうした珍しい体験をさせていただいたことも、楽しい思い出での1つであります。

 

「さる年に大学をさる」というギャグを、軽蔑されることを覚悟で最近時々口にしておりますが、大学をさるにあたり、喜びと楽しみが多く、怒りと哀しみの少ない33年と半年だったとつくづく思われます。

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昔はよく研究室で旅行に行った(学会のあとの黒部峡谷旅行にて、左:長井寿現物質材料研究機構センター長、中央:Ik-min Park現釜山大学教授)

(日本語のみ)