【退官記念随筆】金田 博彰(地球システム工学専攻 教授)

退官記念随筆

「いしや:石屋」になって地球を旅して30余年

工学系研究科地球システム工学専攻 教授
金田 博彰

 

医者の友人に、「いしゃ(医者)にならず、いしや(石屋)になって、楽しく世界を旅してきたね」と、実にうらやましげによく言われる。人間を扱う医者にとって、地質屋として地球を扱う人間は石屋ということになるらしい。ところで、自分自身の心理的(身体的)欠陥のため、「いしゃ」の道を断念し、「いしや」に転向した私には、医者の友人が多い。彼らの全ては、患者のために自分の診療所や研究所などの勤務地を1週間も空けるのは至難の業であるという。それに対して、夏ともなれば1ヶ月も、2ヶ月も国内はもちろんのこと、海外の野山を散策する余裕のある私がうらやましいと口をそろえて言う。私は、決して「野山を散策」しているのではなく、「野外調査研究」に精を出しているものの、彼らにはその程度にしか見えず、それだけ余計一層うらやましく思えるらしい。人生60年も経つと、自分の生き様を振り返る余裕ができてきて、一心不乱に走ってきた生き方に多少なりとも疑問を持つことは当たり前のことである。それに伴い、他人の生き方が自分に較べてよく見えるものも本当らしい。私は彼らにいつも次のように言う、「部分的に観れば確かに他人の畑は良く観えるであろう。ただし、評価とは総合的なものであり、結局はプラス・マイナス:ゼロでないか」と。地球を扱うことを仕事としてきた地質屋の性か、全ての現象・事象は「循環」し、結局のところ算術的にはゼロになるという見方・考えかたに習熟しているために、このような答えになるのであろう。

 

私は、そもそも地質学という学問分野の存在すら知らなかった。本学に入学して将来の道を模索しているころ、教養学部のゼミに「神奈川県の地質巡検」という科目があるのを知り、趣味の山歩きで単位を頂けるといううまい話に、躊躇することなく受講・参加した。その時、引率の先生の説明で初めて「地質学」という学問の存在を知り、さらに地質学を専攻すると世界中いたるところ旅する機会に恵まれるということを知るに及んで、理学部・地学科に進学し地質学の世界に飛び込んだ。ところで、1960~70年代にかけて、高温高圧鉱物合成実験を通しての実験地質学が勃発してきた。この分野の研究を日本に最初に導入した研究者が武内寿久禰先生である。武内先生は、当時工学部資源開発工学科(現地球システム工学専攻)の先生で、米国のUCLAカーネギー研究所で高温高圧鉱物合成の研究手法を修得され、帰国後本学においてこの分野の研究を開拓された新進気鋭の先生でした。この先生のところで勉学をしたく、大学院に進学させていただき何の因果か今日に至った次第である。

 

室内においては、大学院およびその後今日にいたるまで、主に鉱物合成手法を駆使した実験的研究を試みてきた。実験地質学の宿命は自然界に存在する物質を実験室内で再現すれば良いと言うものではない。実験条件を設定するためには自然界から多くを学ばなければならない。また、実験で得られた結果を自然界に応用して、地球や資源の生成機構解明に適用して検証する必要がある。この作業が、すなわち野外調査である。幸い、大学学部時代以降今日にいたるまで地質・鉱床調査のためにしばしば国内・海外に出かける機会に恵まれてきた。まさに40年程前にお会いした教養学部の先生のご教示どおりであったわけである。学部・大学院の時代、さらに助手に採用された当初のころは、夏期休暇期間丸々2ヶ月間にわたり国内各地の野外地質・鉱床調査に明け暮れる恩恵にあずかった。海外調査は、助手に採用された1975年6月~8月に始まる。武内先生を研究代表者とする、フィリピンーマレーシアーボルネオ島の地質・鉱床調査に参加させていただいた。当時は海外に出かけることは今日ほど一般的でなく、まして訪問先が発展途上国で生活・安全条件も非常に不安定なところに行くということで私の周囲の人間は非常に心配してくれたものである。当の本人は、皆の心配をよそに始めて地の地質・地形・風景・文化・人・生活などの全てに興味を惹かれ、其れまでに日本で経験したこともないものに遭遇し、いわゆるカルチャーショックに近いものを強く感じた。このときの強烈な印象が、その後の私の海外調査の原点になったといってよい。どこの場所にも、その場所特有な地質、地形、文化などを観ることができ、それらを比較検討することは、新しいものの発見に繋がる。その後、中国湖南省地域、韓国全土、パキスタン、インド、アフガニスタン、イラン、ミャンマーの諸国の地質・鉱床の機会に恵まれ、それぞれかなり長期間滞在した。特に、興味深かったのはイスラム圏での調査・研究である。地質・鉱床も非常に特異なものであるが、何と言っても文化の違い・特異性である。われわれが普通一般に「悪」とか「悪いこと」とするものは、イスラム圏ではそのほとんどが逆の意味に理解されていることである。われわれが「ありがたい」と感謝の念を持つところは、彼らには「あたりまえのこと」となってしまう。この文化の違いはその地に住んで、その地の人々と交流を持たない限り理解不可能なものであろう。最近の7~8年は、中国全土の地質・鉱床の海外学術調査に専心し、毎年1~2ヶ月程度中国各地を訪問してきた。昨年8月にはついに秘境・新疆ウイグルの地質・鉱床調査の機会に恵まれ、改めて中国の広さ、奥の広さ、人種の多様性、地質の複雑さ、エネルギー資源を含め資源の豊富さに感銘を受けるに至った。この様に、各地の地質・資源調査を目的に、国内・国外を旅する機会に恵まれたことは非常に有難く、幸運なことであったと、今までの生活を振り返って感謝に耐えない気持ちで一杯である。

 

人生とは予測不可能であると一般にはなんとなくいわれている。これに対して、人間一人の生き様の仔細は生まれた時に、あるいはすでに母胎に生命を宿すと同時に宿命付けられているものであるとする説もある。この人生宿命論は、意外と思われるかもしれませんが医学や生命科学を生業とする専門家の方に多いような気がする。それを裏付けるものとして、DNAの解読技術の進歩により人体の全てのことが赤裸々に白日下に晒されるということが現実になりつつあるということである。いやな時代になったと思うのは私一人でしょうか。そもそも人間という種は、地球46億年の長い歴史の中で、つい最近、わずか200万年前に地上界に出現したにすぎない、環境に非常に敏感な生命体であるために最近になって出現したとも言える。その環境に弱い人間種1個体が一生命を全うするのも精々100年である。その短い時間の間に、人間は生まれると同時に、死という絶対なるものに向かって歩みを進めることになるが、その歩みの全貌が自他共に明々白日のものであるとしたら「人間が生きて人生を営む」ということは実に味気ない、面白くもないものであろう。さらに、世界を旅して分かることは、実に地球上の破壊が進んでいるということである。砂漠化が進行し、植生貧しき土地が貧しき人々の乱用により更なる荒廃化を促進し、工業化著しい土地は、様々な廃棄物の出現によりやはり荒廃化へ向かっている。土地はやせ細り、その影響は気象条件の変化にも影響し、さらにその地に環境に弱い人が住んでいる。しかも、人の一生はDNA鑑定により白日の下に晒されているとしたら、この様なことを想像しただけでむなしい気持ちになってします。幸い、人は考える頭を持っている。現状を詳細に分析・検討し、さらに過去の事象や現象から多くを学び、将来の姿を予測し、将来どうあるべきか、そのためには何をするべきかを考えなければならない。そのような思いに旅の道中よく耽っている。地球を旅する機会に恵まれたことを心から感謝すると同時に、そこから学んだ多くのことを今後社会に還元して行きたいと考えている今日この頃である。

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新疆ウイグルのタクラマカン砂漠の中に忽然と現れた石油掘削現場

(日本語のみ)