バイオエンジニアリング専攻の関野正樹教授らの研究チームは、乳がんの精密切除を補助する磁気センサを開発しました。リング型磁石がつくる磁場ゼロ点にセンサを配置して感度を向上させる着想にもとづき、高感度とコンパクト性を両立させています。この磁気センサを使うことによって、外科医が病巣の位置をリアルタイムに把握でき、がんの取り残しのリスクの軽減につながると期待されます 。
関野正樹教授
乳がんは早期に発見されれば、がんと周囲の組織を局所的に切除して乳房のより多くの部分を温存する手術を選択できます。早期の乳がんは、非触知すなわちしこりを作らずに外から触れても分からない場合があります。がんを精密に切除するためには、その位置を正確に把握する必要があります。しかし、術前の画像検査によって病巣の位置が特定されても、組織が容易に変形するため、術中に病巣の位置を正確に把握し続けることは容易ではありません。
このような課題を解消するために、バイオエンジニアリング専攻の関野正樹教授らの研究グループは、体内の磁性マーカーを検出するための磁気センサを開発しました。術前に超音波断層像のガイド下で、大きさが数mmの微小な磁性マーカーを注射針を通じて病巣へ留置します。磁気センサは、磁性マーカーに接近すると、これを検知して音や数値によって術者へ知らせます。
図1：開発した磁気センサ
このような目的をもつ磁気センサには先行研究があります。例えば微小な磁性マーカーから発する磁場が微弱なため高感度の超伝導センサを用いた例がありますが、超伝導状態を得るための冷媒を手術室内で取り扱うことが容易では無く、実用化に至っていません。そこで今回の研究では、センサヘッドにネオジム磁石とホール素子を搭載し、ネオジム磁石から発生する強い磁場によって磁性マーカーを磁化させ、磁性マーカーから生じる磁場を増強させる方法をとりました。それによって、室温で動作するホール素子でも、磁性マーカーを検知することができます。ここで生じる技術課題として、ネオジム磁石からホール素子へ強いバイアス磁場が加わる点があり、強いバイアス磁場の中で磁性マーカーの微弱な磁場を検出しようとすると、ホール素子のダイナミックレンジが不足してしまいます。これを解決するために、リング型のネオジム磁石の近傍に磁場がゼロになる点ができることに着目し、その点にセンサを精密に位置決めする方法をとりました。さらに、センサヘッドが動作する際の発熱によって、僅かな熱膨張が生じ、ホール素子がゼロ点から外れることを避ける工夫として、最近の研究では、磁場強度と磁場勾配を同時にゼロにする磁石形状も示されています。数値解析を重ねて構造の最適化を進め、実験によって性能を評価したところ、20mmを超える距離で、微小な磁性マーカーを検出できることが示されました。これらの工夫によって、機器全体が片手に収まるほどのコンパクト化と、微小な磁性マーカーを検知できる感度を、実現することができました。
図2：センサヘッドの設計の考え方と磁場分布
図3：センサヘッドから磁性マーカーまでの距離とセンサが受ける磁束密度の関係
本研究成果の社会実装の取り組みを、スタートアップ企業の株式会社マトリックス細胞研究所において、進めています。日本医療研究開発機構（AMED）の未来医療を実現する医療機器・システム研究開発事業および医工連携事業化推進事業によって開発を実施し、ここでは東京大学が磁気センサの設計、試作、物理的性能評価を担当し、マトリックス細胞研究所が薬事対応と事業化計画を担当しました。日本医科大学と昭和大学（現 昭和医科大学）において多施設共同臨床研究が実施され、87名の患者に対して磁気センサを用いた手術が行われました。結果として、全例で磁性マーカーの検知に成功し、断端陽性率は6.1%と低い値に留まり、磁気センサを用いた手術の有用性が示されました。これらの取り組みを経て、磁気センサは厚生労働省から医療機器として承認を得ました。今回の磁気センサは新しいタイプの医療機器になります。
この磁気センサを用いることによって手術の正確性が向上すれば、がん細胞が体内に取り残されるリスクを抑えつつ、乳房の組織を多く温存する治療につながります。そのような手術が普及することによって、乳がんを患った患者さんの術後の生活の質が維持され、再発の心配が少しでも軽減されることが期待されます。
関連する論文：
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