トピックス

データの利活用で医療の質向上と効率化はさらに進む!
――品質管理で無形の隠れた問題を可視化――



「品質管理」と聞くと、製造業の話だと思うかもしれません。しかし実は、医療や健康の分野においても、この手法は有効だといいます。日本は世界に先駆け、超高齢社会に突入。現在、様々な課題に直面しています。健康啓発イベントの効果改善から、病院での待ち時間短縮まで、どのように応用しているのか。染谷隆夫工学系研究科長による対談の第13回では、下野僚子特任講師に話を伺いました。

○人間の行動や判断をデータで可視化

染谷:下野先生はいま、東京大学の総括プロジェクト機構「プラチナ社会」総括寄付講座において、超高齢社会が抱える様々な課題を医療データの活用で解決していくという研究を進めています。こうした難しい問題に対し、情報やデータといった新しい技術を活用するのは非常に重要だと思いますが、具体的に、どのような研究をしているのですか?

下野:私の研究を一言で説明すると、医療や健康の分野における品質管理ということになります。データの活用というと、まず取得したデータの「分析」をイメージするでしょうが、それだけではなく、データやその分析結果をどのように、どこで使えば良いのかということについて、特に興味を持って研究しています。
医療や健康は、人間への依存が強い領域です。しかし人間の行動や判断というものは、捉えどころのない無形の活動であるため、まずはこれを可視化しないといけない。そのためには、業務のプロセス全体を把握して、ポイントとなるプロセスを選び、そこにどんなデータがあるのかということを明らかにしていきます。

染谷:無形の活動を可視化するということですが、具体的には、どのようなものを可視化するのでしょうか。

下野:たとえば私が実施した例ですと、病院で検査のために行う採血業務について、具体的な業務の流れを調べたことがありました。

染谷:その業務フローを可視化する目的は何でしょうか。医療ミスを無くすためなのか、無駄な手間を見つけて効率化するためなのか。

下野:安全性や効率性など、いずれの問題についても、まずは何が起きているのか問題を特定し、関係者間で共有する必要があり、そのために業務フローの可視化が必要と考えています。品質管理の分野では、品質機能展開と呼ばれる手法があって、これにより、採血という業務において、どこに着目しないといけないかというのを、まず網羅的に考えて行きます。

染谷先生がいま指摘されたように、一口に採血と言っても、患者の安全や業務の効率など、様々な側面があるので、最初はそれらをすべてフラットに並べます。その上で、いま一番重要なのは刺し直し率を減らすことだということが、現場や関係研究者との議論の中で明らかになってきました。

染谷:採血業務について、具体的には、どのようなデータを取得したのですか?

下野:データとしては、患者の性別・年齢といった基本情報に加え、血管の状態なども記録しました。血管は、細かったり硬かったりすると、採血の難易度が上がるため、この状態は特に重要な情報です。さらに、採血が成功したのか、失敗したときは何回刺し直したかの結果も追加していきました。

染谷:刺し直し率が重要であることは分かるのですが、でもデータを取るだけでは、改善されないですよね。それはどうしたのですか?

下野:採血というのは、人間の能力に大きく依存しています。得意な人もいれば、苦手な人もいる。私は前提として、「業務内容と業務者のマッチングによって業務の質が決まる」という仮説を持っています。その観点からすると、採血業務では、患者の難易度に対し、採血者の技術レベルをマッチさせれば良いことになります。
具体的には、血管の状態から、患者の難易度を4段階にレベル分けしました。そして採血者も、技術レベルを4段階で評価。難しい患者に対しては、上級スキルのスタッフが対応する仕組みを導入したところ、実際に刺し直し率を低減させることに成功しました。

染谷:難しい患者に上手なスタッフが対応するというのは、当たり前に聞こえるかもしれないですが、きっちり評価方法を決めてマッチングさせる制度を、仕組みとして構築したのは素晴らしいですね。
ところでスタッフの技術レベルは経験や定期的な試験などで評価できると思いますが、患者の血管の刺しやすさは、やってみて初めて分かることですよね。初診の患者では分からないのではないですか?

下野:はい、その通りです。ただ、実際の業務では、再診の患者が多いので、あまり問題にはなりません。初診の患者についても、なるべく精度良く難易度を推定できるよう、カルテ作成の段階で分かっている基本情報から、ランク付けする方法を現在試みているところです。

染谷:なるほど。刺し直された人は難しい血管ということなので、それを記録していけば、次からは技術レベルの高いスタッフが対応するので、どんどん改善されていくわけですね。かなりイメージが掴めてきました。

下野:さらに、このシステムを活用して、スタッフの技術レベルを向上させることもできます。データを取得することで、そのスタッフがどんな患者を苦手とするのか分かる。そこをピンポイントでトレーニングし、レベルアップさせるということも今やっていて、徐々に成果が出てきているところです。

染谷:単にマッチングで刺し直し率を下げるだけでなく、スタッフの技術向上にも役立つのですね。スタッフの技術が向上すれば、刺し直し率もさらに改善されそうです。一方、健康の分野ではどのようなことをやっているのでしょうか。

下野:最近は、各地域で健康づくりの啓発イベントが盛んに行われています。この中で、自治体はどのように事業を進めているのか。健康づくりを直接担当する部署だけでなく、それに関わる財務や総務などの部署の業務まで、ヒアリングにより全て把握した上で可視化、ポイントとなる業務を抽出しました。
先ほどの採血業務だと刺し直し率がポイントでしたが、同じように、現場との議論の中で、健康啓発事業では来場者の意識の変化が重要だということが明らかになってきました。データを取得するために、イベント会場にて来場者へのアンケートを実施。どのくらい効果があるのかを分析しています。

染谷:病院での採血と健康啓発のイベントでは分野がだいぶ違うようにも思いましたが、一般化して見ると結構繋がっているのかもしれませんね。人間の活動はどうしても無形になるので、それを一旦プロセスとして可視化すると。

下野:その通りです。品質を向上させるためにはPDCAサイクルを適切に回すことが重要ですが、結果の評価をどうプロセスに反映させれば良いか分からなければ、そもそも実践することができません。まずは事業目標とその達成手段であるプロセスを明確にして、具体的なプロセス管理手法を構築することを目指しました。
私が研究対象としたイベントでは、従来、評価が来場者数と出展数のみでしか行われていませんでした。現場の担当者からは、評価指標とプロセスが明らかになることで、前年度までの知見を次年度の事業に着実に反映できるようになったと、好意的な反応をいただいています。

染谷:高騰する医療費の問題に対応するためにも、健康づくりは重要ですね。人間は病気になってからでないと、なかなか意識や行動を変えられないところもありますが、データをもとに改善していくというのは、今後に期待できるやり方だと思います。

○現場との信頼関係構築が研究の第一歩

染谷:データを活用するためには、まずデータを取得する必要があります。私自身もウェアラブルセンサーの研究をしているので分かりますが、データを取得しようとすると、どうしても医療従事者と患者の負担が増えてしまう。その負担を上回るメリットが無いと受け入れられないことも多いですが、下野先生はどうやってそれを乗り越えましたか?

下野:私の場合、いくつか良い条件が重なっていました。特に、データを取得する前から、ずっと現場の改善活動に参加してきて、現場側の問題を把握できる関係を築いていたことが大きかったと思います。

染谷:データが取得できなければ、メリットを提供できない。メリットがないから、いつまでもデータを取得できない。ニワトリが先かタマゴが先かという話ですが、それでもやってみようと、実験に納得してもらって協力を得なければならない。これは多くの研究者に共通する難しい問題ですね。

下野:新たな取り組みを始める際には、現場がすでに持っている問題意識にまず寄り沿うことが重要だと考えています。採血業務では、その問題意識は「待ち時間の長さ」でした。患者が溢れていて困っている。それを糸口に、本質を突き詰めると、原因は採血のやり直しや、うまくいかない場合の採血者の交代によって時間がかかっていたことでした。刺し直し率や交代率が問題だということで、現場の理解を得ることができました。
健康づくり事業では、ちょっと特殊な事情ではありますが、自治体が中央省庁から評価やPDCAサイクルを回すことを求められていました。しかしその方法が分からないという問題意識があって、うまく関わることができました。長期的な事業だと研究対象としてやりにくいこともあり、まず最初に単発の健康啓発イベントを例にしました。
ただ、品質管理の観点からいうと、本当はそこを断片的に解決したいわけではありませんでした。本来なら、一旦業務全体を見直して、全体を最適化すべき。研究として学術的に進めるところと、現場との関係を構築するところは、ちょっとずれているようですが、まずは現場に寄り添い、問題意識を共有する。そのためにどうしても時間はかかります。

染谷:なるほど。時間はかかるけれども、現場の協力が得られない限り、結局なにも進まない。その部分の手間暇を惜しんではいけないということですね。納得しました。

下野:はい。エビデンスベースで政策を決定すべきというのは言われて久しいですが、エビデンスができたとしても、その使い方が分からないという状況がまだまだ多いです。今後もそういった部分に貢献していきたいと考えています。

染谷:下野先生の研究フィールドにおいて、特に下野先生ならではという部分は何なのでしょうか。重視していることなどありましたら教えてください。

下野:近い分野としては、医療政策や医療経済があります。この領域はとてもデータを強く扱っていて、統計的に精緻なモデルを作り出しています。それに対し、状況を精緻に記述するよりも、たとえ小さくても状況を変えることの方に主眼を置いているのが、私が取り組んでいるアプローチだと言えます。
採血業務のマッチングのように、改良オプションを明確に認識して、それが使えるところを探索する。逆に言うと、探索ができる程度にしかデータ解析はしません。現場に介入して、変化を起こす。そこがポイントであり、工学的な姿勢だと思っています。

染谷:結局データを取得しても、変わらないのであれば、見て分かって終わり、ということですね。データが価値を持つのは、より良い方向に変えられたとき。そこを意識した上でモデルを作ったり可視化したりするのは、とても大切だと思いました。



○社会で確立していないことこそ大学で

染谷:下野先生の研究テーマは非常にユニークですが、なぜこういう研究に向かっていったのか。それ以前に、研究者を目指したきっかけは何かあったのか。次は、このあたりのことについて教えてください。

下野:私は学部時代には、化学工学を専門としていました。化学工学というのは、化学物質を新規開発するようなことだけでなく、それを安定的・効率的に生産するにはどうすれば良いかというような、全体を俯瞰するシステム的なアプローチを取ることが大きな特徴です。私はこの中で、特にシステム的な捉え方に興味を持ちました。
その後、様々な縁があって、化学システム工学の中に医療を扱う研究室を見つけ、この分野に入ってきました。システム的なアプローチを化学以外に応用していることに強い興味を抱いていて、そのときから私は、漠然と「病院が化学プラントみたいなものなんだろうな」と感じていました。医療行為のように複雑なものでも、プロセスで捉えれば全体を効率化できるのではないかと。

染谷:そもそもなぜ化学工学に行ったのですか?

下野:それはたまたま。本当は理学部志望だったのですが、成績が足らなくて(笑)。高校生のときは、どちらかというと化学よりも数学の方に興味がありました。言葉で説明しにくいことでも、数式なら綺麗に扱える。物事を数式で捉えるということが、とても面白く感じました。

染谷:数学が好きな高校生は多いでしょうが、数学で物事を捉えるのが面白いと考える高校生はあまりいないかもしれません(笑)。化学工学は化学プラント以外にも、システム的なアプローチを他の領域に応用して成功している。下野先生がそこに進んだのは、むしろ自然なことのように思いました。

下野:実際のところはそんなに綺麗な話ではなくて、常に模索しながら来た感じです(笑)。大学の学部では、化学工学を学んだことで、扱うスケールによって物質の挙動を支配する理論が異なることや、システムを要素に分解して理解するといった感覚を身に付けることができました。化学システム工学専攻の中に、たまたま医療の品質管理を扱う研究室があったのは幸運でした。

染谷:化学工学でシステム的なアプローチを学び、その応用として医療の品質管理に進んだわけですね。その後、様々な選択肢があったと思いますが、研究者の道を選んだ理由は何なのでしょう。

下野:もともとはプラントを設計する会社に就職する予定でしたが、指導教員が声をかけてくれたのがきっかけでした。品質管理の分野は、各現場でのノウハウは溜まっているものの、それを理論化したものがなかなか見当たらない。現場への適用方法も含めて理論化したいと思い、研究者の道へ進みました。
それに、医療での品質管理というのは、多くの企業の中ではまだ職業として確立されていませんでした。新たに作っていく必要があって、それは大学でしかできないなと。

染谷:それは重要なポイントですね。社会で確立していないことは、大学の方が圧倒的にやりやすい。そういうチャレンジは大学でというのは、とても納得できます。まだ雲を掴むような状況の中、方法論を客観的に構築していこうというのはすごく野心的な計画だと思いますが、ぜひ実現して欲しいです。

下野:ありがとうございます。とても研究者だけでできるものではなく、普及のためには新たな課題が次々と出てきますので、企業や医療従事者の力も借りながら、進めていきたいと思います。

染谷:それでは最後に、将来の夢について伺います。今後、研究者としてどんなことを成し遂げたいか、何か考えていることはありますか。

下野:先ほどの話の延長にはなりますが、健康や医療という人間に依存する無形の領域において、品質管理を学問として確立したいと考えています。品質管理にはPDCAなど基本的な理論があるものの、それを実際に複雑な現場に適用しようとすると、まだ大きなギャップがある。対象領域に合わせて品質管理の手法を応用できるよう、理論を確立し、誰でも使える状況を作り出していきたいです。

染谷:ぜひ理論を構築して一般化し、人間に依存する領域での品質管理がますます発展していくことを期待しています。今日は貴重な時間をいただき、どうもありがとうございました。