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計算機の世界で動き出す生きた心臓
――ミクロの細胞の機能を解き明かす生体シミュレーション――



健康な生物の細胞は、病気になるとどのように変化するのでしょうか。計算機の世界に心筋細胞をシミュレートする世界を作り、電子顕微鏡イメージングとAIを駆使して現実の生体の機能と変化を解き明かすことができるようになりつつあります。染谷隆夫工学系研究科長が研究の成果と未来、発展のために必要なことについて語り合う対談の第9回では、サバティカル休暇制度でカリフォルニア大学に滞在中の波田野明日可先生に、アメリカでの研究の様子も語っていただきました。


染谷
:波田野先生は、生体シミュレーションという生体を扱う工学の分野に取り組まれているわけですね。どのような研究なのでしょうか?

波田野:私は心筋細胞の生体シミュレーションを中心に研究しています。具体的には、細胞内の構造を考慮したマルチフィジックス解析に取り組んでいます。心臓のポンプ機能の源である心筋細胞というのは、電気刺激を受けるとタンパク質やイオンが反応する生理現象があって、最終的には心筋が収縮するという力学的な機能を発揮します。そうした生理現象と力学現象の相互作用をシミュレーション上で再現することに長く取り組んできています。
心筋細胞の内側は、「筋原線維」(収縮部分)と「ミトコンドリア」(エネルギー供給部分)でできています。筋原線維は、収縮する方向にそって2マイクロメートルごとに「筋節」と呼ばれる単位できれいに並んでいて、規則的な構造があります。これが、病気になると乱れるわけです。構造タンパクのノックアウトマウスでも同じように構造が乱れるので、これを利用して形の変化につながる原因と帰結を解き明かしたい。有限要素法によって電気生理現象を反応拡散方程式で取り込み、形を模擬しつつ収縮力を解いて、どのような変形が起きるか、それによって構造がどのように乱れるかをシミュレーションします。すると、実際に病気で構造の変化が発生した場合には、体の中でどのようなことが起きているのかを調べられるようになるわけです。

■異分野の交差点――東大からカリフォルニア大学へ――

染谷:波田野先生は、今は東大からカリフォルニア大学サンディエゴ校にサバティカル(研究休暇制度)で滞在されているわけですね。最近のカリフォルニア州のようすはどうでしょうか? COVID-19のワクチン接種が一巡して、大学では対面授業を再開しているとのことですがキャンパスの雰囲気はどんな感じになっていますか?

波田野:大学では全面的に対面授業になり、9月の最終週ごろからこれまでポスドクの人たちが中心で静かだった大学に人が戻ってキャンパスが活気づいてきています。にぎやかになって元気をもらえる感じですね。ただ、屋内ではマスク必須ですから、みなさんマスクをつけられています。
学生さんにとっては、オンライン授業がなくなって講義動画を見返すことができなくなったため、「サボれない」と緊張感が増したという声も聞きます。大学院ではもともと部屋の中で密にならないようになっていますし、工学部では、巨大テントを張って屋外教室で授業することもあります。人が密集しないような工夫は続いていますね。

染谷:ワクチン接種の状況はどうでしょうか? 生活面での感染対策に日米での違いはありますか?

波田野:大学での研究を行うためには、9月6日までにFully Vaccinated(完全接種完了:2回目の接種から2週間が経過していること)になることが義務付けられています。ただ、個人の意思を尊重するため、接種しない人は例外申請の上で週に1回、学内の無料検査キットを自動販売機で入手して、鼻粘膜をとって提出する検査をするという形でもできるようです。
大学の様子は日米であまり変わらないと思います。屋外でマスクをしている人は少ないように感じますが、これは空間が広い車社会で、人とすれ違うことがあまりないためかもしれません。屋内では、日本と同じようにマスクをしている人が多いですね。

染谷:COVID-19は、世界の大学の研究にも大きな影響を与えましたね。波田野先生の研究には、心筋細胞という実態あるものを扱われているので、大学に来なければできない実験の要素があるのではないでしょうか。なにか影響はありますか?

波田野:私が所属している研究室は、リモートでも可能な計算機による研究と、生物の組織を扱う(“ウェット”な実験と呼ぶことがあります)研究と、それぞれ扱っている人がいます。心筋細胞や骨格筋細胞を扱う実験に関係する研究者は、ほぼ毎日大学に来ていますね。一方で私のような計算機の研究者もかなり大学に来ているようです。ただ、大人数でのミーティングにはまだ制限があって、週1回行われる全員参加の研究会はオンラインで実施しています。博士以上の人は7割以上が大学に来ていますが、修士課程の人は自宅から参加する人も多いです。

染谷:研究環境で困難は生じていないとうかがって安心しました。波田野先生の心筋細胞の生体シミュレーションの研究にとって、カリフォルニア大学でのサバティカルがどのような発展につながっていくのでしょうか?

波田野:私が現在取り組んでいるテーマには、心筋細胞の中に電気信号を伝えるT管膜という、膜が陥入した構造があります。心臓のポンプ機能に関わる重要な構造なのですが、これが崩壊してしまう病気があります。病気になったときに、カルシウムの反応や心筋の収縮がどのように遅れてくるかということをシミュレーションによって調べたいわけです。
ただ、シミュレーションは心筋細胞の構造を単純化しすぎていて、実際の現象を再現しきれていないという課題があります。すでに原理がわかっていることはシミュレーションできるけれども、単純化しすぎてしまうと見落としがたくさん発生してしまいます。また、病気になるとさまざまな関連する事柄が変化するので、仮定が置けなくなってしまう。けれども、本来はそれこそ一番解析したい部分なのですね。
そこで、実際の心筋細胞の電子顕微鏡で撮影した画像を元に、もっと実形状に基づいたシミュレーションができないかと考えました。電子顕微鏡画像の専門の研究者との間を取り持ってカリフォルニア大学での研究に誘ってくれたのが現在お世話になっているアンドリュー・マカラック先生なのです。

染谷:それはすごい。病気になったときに、心筋細胞に病気の影響を重ねて変化を予想することができるようになれば大変大きな知見が得られるようになるはずですね。心臓の働きをすべて計算機で再現するようなことはあまりにも巨大なものをゼロから作ることになるのではないかと思っていました。それが、電子顕微鏡画像という実験の取り組みと合わせて、使えるものは何でも使ってシミュレートしようとしているわけですね。両方の研究分野を持つカリフォルニア大学だからこそできる研究ですね。

私は、伸び縮みするセンサーをウエアラブルセンサーに応用する研究をしていますが、実は、伸び縮みするセンサーの応用先として心筋細胞に関連する研究もしています。薬を使ったときの心筋細胞への影響を知りたい場合、これまでは心筋細胞の動きを定量的に「可視化」することができなかったのです。そこで、柔らかくナノサイズの薄膜のセンサーを作って、iPS細胞から作られた心筋細胞の上に貼りつけて、細胞に影響を与えずに見ようとしています。動きを持つ細胞からの電気信号を計測することはとても難しいのですが、波田野先生は、シミュレーションという方向からそこに取り組まれています。今まで手が届かなかった領域に入ってきていて、とても「しんきん感」があります(おやじギャグですいません、波田野先生にはスルーされました)。

波田野:実際の心筋細胞をすべて観察して調べることはできないので、だからこそ実形状を元にシミュレーションしたいと思っています。ただ、実形状はそれぞれ違う部分があって、ある形状が病気に特有のものなのか、もっと一般的なものなのかという生体ならではのゆらぎがあります。それをどのように実物を取り入れたシミュレーションの中で扱っていくのかが今後の課題です。

染谷:電気現象、生理現象と力学現象を数値化し取り扱う「マルチフィジックス解析」では、生体の立体的な形そのものにも意味があるので、単純化しすぎると形が変わったことにどう意味があるのか明快ではなくなってしまうということですね。一方で形や組織が存在する場所などの要素が組み合わさったときに、どう変化していくのか、どういう機能が現れるのかは、観察で何もかも調べることはできない。まさにシミュレーションの出番であるわけで、電子顕微鏡画像という実験と、計算機上のシミュレーションと組み合わせるのは非常に合理的だと思います。目指されているゴールへの道のりはどんなものでしょうか?

波田野:まずは、電子顕微鏡を用いて実形状を取り出すというところが最初のハードルですね。ここ3~4年ほど機械学習を用いて、自動化に取り組んでいます。ある程度は、ミトコンドリアだけを画像から抽出して形を3次元的に再構築できるようになってきました。そこから構造を数値計算できるようにしていくので、これから2ステップくらいの段階があると思います。
電子顕微鏡画像に機械学習向けのラベル付をしていくのがとても大変です。電子顕微鏡画像から何かを抽出する場合には、輝度値が変わる境界を取り出すのが一般的なのですが、ミトコンドリアは隣同士がくっついている上に細胞の中にも「クリステ」という細かい膜構造があるため、そこを誤認識しやすいのです。これは苦戦したところです。

染谷:AIも取り入れているのですね。機械学習は画像処理に向いていますから、それをシミュレーションに合わせるのは、苦労されている部分はあるとしても、まさに今でこそできるようになろうとしている研究でとてもエキサイティングですね。カリフォルニア大学ならではの研究環境の雰囲気というのはありますか?

波田野:まだ研究室に入って3週間くらいですが、所属が異なる研究室とのコラボレーションがとても気軽だと感じています。電子顕微鏡を扱う人と、ノックアウトマウスを扱う人と、それぞれまったく違う研究室です。それでも「電子顕微鏡画像を撮影する研究室とマウスの研究室に頼んで、写真を撮ってあなたのやり方でシミュレートすればいい」というように、他のさまざまな人を気軽に巻き込んで気軽にコラボできることに強い印象を受けます。

染谷:私も米国では、コロンビア大学、プリンストン大学、ベル研究所の3箇所で在外研究に従事した経験がありますが、どこも研究室間の壁が低くて気軽にコラボレーションできて共同研究が発展していくと感じました。さまざまな課題が複雑化している世の中で、一人ではできない研究ができる、複雑な課題にチャレンジできるわけです。東大工学系研究科も異分野研究を推進しようとしていますが、もっと新しいものを生み出しやすくなるように、そうした雰囲気を取り入れられるといいと思っています。

波田野:他の専門家の先生に話をうかがうなら「もっと勉強してから話を聞きにいかなくては」、という心理的なハードルがいくらか低いように思います。ファーストネームで呼び合う効果かもしれませんね。お世話になった先生から、「どんどん他の人に聞いてコラボレーションしたほうがいい。ほかの人がすでに発明したものをあなたが再発明する必要はないですよ」といわれています。

染谷:私も有機分子のエレクトロニクス応用を研究していますが、化学を学んだのは入試のとき以来で、専門性という点では遠くなっています。ですが、ベル研究所でもコロンビア大学でも、化学分野の超一流の先生方は「教科書を読んでこい」と突き放すのではなく、口頭で気軽に教えてくれるのです。私からは電子工学の知識を伝えて、お互いに教え合うことで研究がスピーディに進むわけですね。ファーストネームで呼び合う文化というのは確かにあって、私の研究室でも英語ではファーストネームで呼んでもらいますし、研究室でも先生ではなく「染谷さん」と呼んでもらうようにしている。ノーベル賞受賞者に対しても、ポスドクの人は普通にファーストネームで呼びかけますね。一方でこれは、アカデミアにおいて学術的な対話をするときは、拠り所になるのは科学だけであって上下関係は通用しないということの現れでもあります。フレンドリーなようでいて実は厳しいという部分でもありますが、厳しさを受け入れつつ明るく楽しく発展しているところから学びたいですね。

■ミクロとマクロのつながりを解き明かしたい

染谷:先生が厳しくも楽しい、研究者という世界を目指したきっかけはどんなところにありますか?

波田野:中学生から高校生のころ、「ヒトゲノムの解読完了」といったニュースに接して、NHKスペシャルや理化学研究所のサイエンス展示会に行って、人の体の仕組みがわかっていくことに本当にワクワクしました。ただ、タンパク質が3DCGで再現され、「こんなことが体の中でおきているのか」と面白くとても感動する一方で、「体の中でミオシン分子が首をふっている」という微細な現象が、自分の腕にどのようにつながって腕が自在に動くことになるのか、どうつながっているのだろう? という疑問も持っていたのですね。それが興味の源泉になって研究者を意識するようになりました。大学院に進んでみたら「もっとこの追求を続けたい」と思うようになってそのまま博士課程に進んだのです。

染谷:学生のころの関心のままに進んでこられたのは素晴らしいですね。ヒトゲノムの解読の報道に接して関心を持たれたということですが、医学部ではなく工学部を選ばれたのはなぜでしょうか?

波田野:しくみの方を知りたい、と思ったからですね。当時は医学部に行くと、医師として患者さんを診断して治すことになると思っていたのもあります。高校の化学の先生が「理科一類が向いている」と勧めてくれたのもあって、今でも感謝しています。
実は、自分が本当に関心のある分野がいったいどの研究科に存在しているのかずっとわからなかったのです。いろんな学科の説明会、研究室を訪問したものの、ドンピシャがよくわからなかったのですが、医療機器の開発をしている先輩が「とても面白いよ」と勧めてくれて機械工学科にきた。そして初めて、私がイメージしていたミクロからマクロをつなぐ生体シミュレーションを研究している先生に会うことができたのです。

染谷:研究テーマは最先端になるほど、どこの学科で取り扱っているのかあまり明確でなかったりしますね。工学領域、どんどん拡張してきていて、新しいもの、すごいものが発明されるとその周辺に材料工学や機械工学、電気工学といった応用分野が一気に広がります。AIを使って医療用の画像解析をしたり音声認識したりとAIもあらゆる専攻で扱っているといってもよいくらいです。波田野先生がどこに自分の研究があるのか最後までわからなかったというのは最先端分野ならではの現象ですね。それを受け入れられ、やりたいことが見つけられるのは東大の優れたしくみだと思います。新しい分野に取り組まれている先生の将来の夢と目標は?

波田野:タンパク質の構造の微細な変化のように、ミクロに起きていることがマクロにどう影響するのか知りたいです。ひとつひとつの現象は見ただけでは生体の機能につながらないですが、それをシミュレーションで解決し、明らかにしたいですね。
そして医療にも役立つシミュレーションをしたい。今はまだわかっているメカニズムをシミュレーションで理論的に示す段階ですが、私たちのように生体分野のシミュレーションを研究している人の多くが、EBM(根拠に基づいた医療)を目指しています。現在は信頼するエビデンスとして多くの人がうけた治療で、どのような結果が出たかという大規模な統計データをベースにしています。そこに、エビデンスとしてシミュレーション結果も入っていけるような未来を目指して研究したいです。

染谷:医療に役立つ、応用していけるシミュレーションのフィージビリティを示すことが先生の夢だと理解しました。計算機力に加えてAI、そして電子顕微鏡というイメージングの技術でも解像度や捉えられるものの範囲が広がってきています。そして2021年のノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎先生の気候シミュレーションや、感染症の影響のシミュレーションのように、計算機の性能が飛躍的にアップする中でこれまで考えられなかった計算ができるようになってきています。病気の治療や健康寿命の延伸といった人の幸福の根幹に関わるところで計算機科学が入ってくのは素晴らしいことです。そうしたすべての最先端の研究の交差点に先生は立っていると思いますし、ぜひ医療に役立つシミュレーションという夢を叶えてほしいですね。

波田野:ありがとうございます。そう表現していただけると、とても嬉しいです。