退官記念随筆

退官記念随筆 / 矢川 元基

趣味からの教訓

工学系研究科システム量子工学専攻 教授
矢川 元基

「趣味」などといった題目が許されるのは、趣味は趣味でもアマチュアの域を超えるセミプロ級か、同じ趣味を何十年も我慢強く続けている場合のどちらかであろう。私のチェロは明らかに後者である。しかし、高校生の頃からだから、かれこれ40年以上も何とか続いているということに免じてこのような題目にさせていただくことにする。チェロをはじめたきっかけはまったくの偶然であり特に自分から習いたいと思ったわけではない。徳島時代、高校1年生のときであったか、徳島市民オーケストラをつくることになったが、チェロの人数が不足しているので昔バイオリンをならったことがあるなら同じ弦楽器のチェロも少し練習すればすぐに弾けるようになるだろうと、音階もろくに弾けないのに半ば強制的に楽団員にされてしまった。確かに、バイオリンは小学生の時に2年間ぐらいやっていたのである。そのようなきっかけで、大学に入ってもずるずるとオーケストラ部に入部した。このようないかにも消極的なきっかけが動機ではじめた趣味のおかげか、数年前から東京大学音楽部長の肩書きまでいただく羽目になってしまった。

これまでに習った先生の数は10人にもなろうか。音楽の世界では、習った先生の数が多いほど格が上がるとされているのである。その点からは一人前ということになろう。不肖の弟子ではあるが、どういうわけか先生にはついていた。その中には、現在90才に近く、日本のチェロ界最高峰のA先生、天皇陛下のチェロの先生をされていたS先生(故人)も含まれている。最近は、芸大オーケストラチェロ首席奏者をしているH先生が家庭教師である。H先生は現在28歳、家中でH君とよぶ気安い間柄であるが私から見ると30以上も年下の厳しい先生である。実力の世界では年令は無関係である。

さて、前置きが長くなったが、チェロを続けたことによって得た、哲学というと大げさだが、他にも何かためになりそうな教訓について記すことが本小文の意図するところであり、そのいくつかを紹介する。

人のやらないことを
最近でこそチェロを趣味で弾くという人も多くなったが、クラシックの3大ポピュラー楽器であるフルート、バイオリン、ピアノにくらべるとかなりマイナーな楽器である(と信じられている)。バイオリンにくらべると持ち運びに不便だし、価格も2、3倍はする、オーケストラの中でバイオリンほど出番がないなど。しかし、やる人が少ない、すなわちチェロ人口が少ないことはとりもなおさず引っ張りだこになることに通じる。弦楽合奏にしてもオーケストラにしてもチェロなしでは成立しないのであるが、肝心のチェロが弾ける人が率から言って極めて少ないのである。ちょっと弾けるだけで大もてになること請負である。とっつき悪い、誰もやりたくないことにはどこかに福がひそんでいるものである。

やさしい(やさしそうな)ことほど難しい
モーツアルトを聴いた多くの人は誰もその美しさにうっとりすると同時に、その表面的なやさしさにだまされて、「きらきら星」など自分でも少し練習すればすぐにでも弾けそうだと錯覚してしまう。それは完全な錯覚であって「きらきら星」ほど難しい曲は他にない。譜面づらは何とかなってもどうにも曲にならないのである。チェロの名曲中の名曲であるサンサーンスの白鳥(この曲も見かけ上は、いかにも優雅でやさしそうな曲にきこえる)もいつまでたってもアヒルのままである。誰もが知っているやさしい(やさしそうな)曲を弾いてそれなりの感動を聴き手に与えることができればプロ級である。やさしい(やさしそうな)ことほど難しいものはない。

毎日触るだけでも
誰しも忙しいときにはとても練習するような気分になれないものである。私のチェロの先生は、そのような時にはチェロに触るだけでも良いのですよと、とっさには理解しがたいことを教えてくれたものである。音を出さないで練習とはと、なかなか真意を理解しがたいが、楽器に触ることによって自分の愛情を楽器に伝えるといったことなのかと理屈をこねまわしたりする。愛情が楽器に伝わればそれだけで実際に弾いたときに次第に効果が出てくることが期待されるのであろう。研究や教育にも通ずることかもしれない。

矢川教授

チェロを弾く矢川教授
「楽譜と格闘中の筆者」

 

(日本語のみ)