退官記念随筆

退官記念随筆 / 白木 靖寛

本郷キャンパス

工学系研究科物理工学専攻 教授
白木 靖寛

本郷キャンパスは日本の大学で一番美しいキャンパスだと思っている。綺麗な建物があるというだけならば他にもあろう。私が住んでいる多摩地区にも新興宗教の神殿を連想させる立派な建物群を持つ私立大学がある。しかし、本郷キャンパスの美しさは建物とその総体であるキャンパスが持つ雰囲気、もっといえば、歴史の重みと大学の威厳が醸し出す美しさである。我々が古寺に感じる美しさに通じているかもしれない。数年前、本郷キャンパスの建物の歴史と建築学上の意義について大変興味深い著述が、東京大学出版会が発行する小冊子UPに連載されていたが(岸田省吾著「本郷キャンパスを読む」)、毎号楽しみに読ませていただいた。

本郷キャンパスが持つ雰囲気は、まさに大学、それも日本の大学のそれである。ここで長年過ごしてこられた方にはこの感慨はあるいは薄いかもしれないが、企業で研究生活の半分以上を過ごしてきた私には、本郷キャンパスがことのほか美しくすばらしく感じられるのである。16年前、東京大学への移動を誘われたとき、一番に心に浮かんだのは東京大学の存在感、それも本郷キャンパスの重厚な雰囲気である。研究費や研究環境は、おそらく私がそれまで所属していた企業の研究所の方が上であったろう。しかし、私の心深く刻まれていた本郷キャンパスの心象風景を思い出し、東京大学の存在感を再認識したとき、私は抗し難い誘惑を感じ、東大に移ることを決心した。実際に本郷に居を構えた期間は、このわずか3年間だけであるが、本郷には足繁くかよってきたし、研究室を持っていた先端研のキャンパスも旧航空研時代からの重厚な建物が中心であったため、本郷に近い雰囲気があった。ところが近年、先端研のある駒場第2キャンパスには急速に新しい建物、それも京都駅を連想させる、近代的ではあるが見る人の心をあまり落ち着かせてくれない外観を持つ建物が続々と誕生し、雰囲気がすっかり変わってしまった。幸いにもちょうどその変化期に本郷へ移籍となり、再び、私が思い描いている大学の雰囲気を堪能させていただくことが出来た。

本郷キャンパスでも建替えが始まっており、私があこがれた雰囲気は少しずつ変化しているように思える。幸い、この3年間を過ごした6号館は、外観はそのままに内装はすっかり改められた建物で、私にとっては最も有難い住環境であった。1996年に1年間、日本学術振興会のロンドン事務所の所長としてロンドンに滞在し、学術交流推進のためイギリス各地を回る機会があった。どこの大学に行っても、歴史ある建物があり(Warwick大学などの例外もあるが)、数百年経った建物を丁寧に補修管理しながら使っており、それが大学の威厳と崇高さを維持する装置となっていた。一般にヨーロッパでは、石造りの古い建物を何度も内部を改装し、数百年にわたって使い続けていることは良く知られており、この内部改装工事が一つの産業とさえなっている。ロンドンの町中を歩くと、ここかしこで内部改装工事が行われ、外観は変わらないのに、いつのまにか快適な事務所、アパート、ホテル、レストランが出来上がっていく様を見るにつけ、日本の建物文化との大きな違いを認識させられたものである。日本において、ヨーロッパのように歴史ある建物を改装し、大学の歴史性と威厳、存在感を演出し、維持できるのは、今や本郷キャンパスだけではないだろうか。この貴重な財産は是非とも維持していただきたい。剥き出しのコンクリートとアルミで覆われた、今は現代的な印象を与える建物が、百年後に内装だけを変えて、大学の威厳と存在感を維持し、演出できるとは私には思えないのは、建築の素人であるが故であろうか。

大学における再開発の必要性は建物だけでないことは勿論である。学問分野の進展に伴う学科の再編、スクラップアンドビルドが、特に工学部において進んでいるが、この過程自体は、大学がその社会的使命を全うするためにも必須である。しかし、学問分野の改変に際しては、大学には革新性とともに保守性も重要であることを常に念頭においていただきたい。科学技術には流行があり、近年ではその流行が研究費の多寡を大きく左右しているが、軽々に変えてはならない基礎学問分野は必ずある。新しい学問分野の創設や学科の改変と、基礎分野の維持を両立させるのは、建物の維持に、その歴史性と革新性を融合させるべきであるとする考えと根は同じである。学際分野を立ち上げるのは建物を新築するものであり、歴史ある建物の内部改装を行うのは基礎分野を強化することや、学科の改変にあたろう。中身は同じなのに概観だけ変えるような愚を犯してはならないことは、学問も建物も同じであろう。

いよいよ国立大学は法人化されるが、私は、これは大学改革の千載一遇の機会と思っている。法人化には多くの問題が指摘されており、その指摘自体多くはもっともであるが、国立大学でなくなること、教員が国家公務員でなくなることは大変なメリットと考えている。その議論にはここでは踏み込まないが、この機会に大学改革の必要性を今一度精査していただき、法人化が単に建物の外壁をペンキで塗り替えるようなものになることなく、是非とも実り多い大学改革に結び付けていただきたい。

白木 靖寛

 

(日本語のみ)