プレスリリース

2次元物質の電子構造の直接観測 ―原子層の数の偶奇で大きく変わる性質を発見―


1.発表者

坂野 昌人(東京大学 大学院工学系研究科附属量子相エレクトロニクス研究センター 助教)
増渕  覚(東京大学 生産技術研究所 特任准教授)
田中 佑磨(研究当時:東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 大学院生)
町田 友樹(東京大学 生産技術研究所 教授)
石坂 香子(東京大学 大学院工学系研究科附属量子相エレクトロニクス研究センター 教授)

2.発表のポイント
◆角度分解光電子分光(注1)によって非常に薄くて小さい原子層フレーク(注2)の電子構造を直接観測する手法を確立しました。
◆2層〜5層のWTe2(注3)における電子構造の観測に成功しました。
◆層数の偶奇に強く依存した電子構造を明らかにし、その起源を解明しました。

 

3.発表概要

東京大学大学院工学系研究科の坂野昌人助教、田中佑磨氏(研究当時:大学院生)、石坂香子教授、東京大学生産技術研究所の増渕覚特任准教授、町田友樹教授らの研究グループは、東京工業大学科学技術創成研究院の笹川崇男准教授らの研究グループ、物質材料研究機構の谷口尚フェローらの研究グループ、東京大学大学院工学系研究科の有田亮太郎教授らの研究グループと共同で、原子レベルに薄い2次元物質WTe2の電子構造の直接観測に成功し、層数の偶奇によって大きく異なる電子構造が形成されることを明らかにしました。テープを用いてグラファイト(注4)を剥離することによって得られる単層グラフェン(注5)の特異な物性に代表されるように、物質を極限まで薄くした2次元物質では物性が劇的に変化することが広く知られています。本研究では、数層のWTe2において、通常の3次元結晶(すなわち∞層)や単層のどちらとも異なる電子構造が形成されること、さらに層数の偶奇に応じて偶数層数のみ価電子帯が30-70 meVのスピン分裂(注6)を示すことを見出しました。これまで2次元物質科学の分野では極限に薄い単層物質に多くの注目が集まっていましたが、本研究によって、数層の厚さの領域において極めて豊かな新奇物性が発現し得るという物性探査の指針が得られました。

本研究成果は、米国物理学会学術誌「Physical Review Research」オンライン版に627日(米国東部夏時間)に掲載されました。

 

4.発表内容
<研究の背景>

剥離法を用いて簡便にグラファイトから単層グラフェンを作製できることが明らかとなって以来、さまざまな原子層フレーク試料の電気伝導特性が調べられてきました。原子間隔と同程度まで薄くした2次元物質では、その層数に応じて物性が大きく変化します。それは、積層方向における「終端」の出現による結晶構造の対称性の低下や閉じ込め効果によって電子構造が劇的に変化するためだと考えられています。しかしながら、原子層フレーク試料の物性研究ではサイズが微小(~0.01 mm)な原子層フレーク試料に用いることのできる実験手法が限られていることが研究進展の妨げとなっており、これまでは主に電気伝導特性による実験結果と第一原理電子構造計算(注7)によるシミュレーション結果を比較することによって研究が進められてきました。本研究の対象であるWTe2も、電気伝導測定によって層数に応じて物性が変化することが知られていましたが、第一原理電子構造計算の入力に必要な結晶構造を実験的に決定するのは困難であり、また計算精度の問題もあることから、実験による電子構造の層数依存性の直接観測が強く望まれていました。

 

<研究内容と成果>
本研究では、0.01 mm程度に集光したレーザー光源を用いて角度分解光電子分光実験を行うことによって、2層~5WTe2の電子構造を直接観測することに成功しました。角度分解光電子分光実験は電子構造を直接観測することのできる強力な実験手法ですが、光電子放出に伴う帯電の抑制、清浄表面の取得、表面敏感性(光電子脱出長は一般的に数Å程度)といった測定上の困難が伴います。そこで本研究グループは今後の研究展開を見越して、より複雑な原子層フレーク試料に対しても適応可能な角度分解光電子分光用の試料作製方法を開発し(図1)、それらの困難を乗り越えて微小な原子層フレーク試料から明瞭な角度分解光電子分光像(図2)を得ることに成功しました。

その結果、2層~5WTe2では層数の偶奇性に依存して異なる電子構造が形成されていることが明らかになりました。偶数層数では、電子スピン(電子自身がもつ微小な磁石)の自由度の数に対応して電子構造が明瞭に2つに分裂している様子が観測されました。これは、偶数層数のみ結晶構造の非対称性が強くなっていることを示しています。本研究グループは、結晶構造の対称性の考察を行うことによって、層数の偶奇性に応じた結晶構造の非対称性の振動の起源を解明しました。

 

<今後の展望>
本研究では、単層がどのように積層されるかに応じて、数層試料において特異な物性が発現し得ることを明らかにしました。本研究で開発した角度分解光電子分光用の試料作製方法は、異種原子層フレークの積層体やひねり角を加えて積層したツイスト積層体など、より複雑な試料の測定にも適応可能です。従来のバルク材料とは質的に異なる量子物性を発現する、究極に薄い原子層フレークを材料とした積層体の物性研究が進展することによって、次々世代デバイスの基盤技術の創出といった応用展開が期待されます。

 

<謝辞>

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST 「ファンデルワールス超格子の作製と光機能素子の実現」(No. JPMJCR15F3)、「トポロジカル量子計算の基盤技術構築」(No. JPMJCR16F2)、「原子層のファンデルワールス自在配列とツイスト角度制御による物性の創発」(No. JPMJCR20B4)、日本学術振興会科学研究費補助金 基盤研究(A 「電子輸送の概念に革新をもたらす『二次元モアレポンプ』の実現」(No. JP20H00127)、「窒化ホウ素の科学のための高品位単結晶創製」(No. JP20H00354)、基盤研究(B)「顕微レーザー角度分解光電子分光による複合原子層における非自明なバンド構造の研究」(No. JP20H01834)、学術変革領域(A)「2.5次元物質科学」(No. JP21H05232, JP21H05233, JP21H05234, JP21H05235 and JP21H05236)の助成を受けて行われました。


5.発表雑誌

雑誌名:「Physical Review Research」(オンライン版:627日)

論文タイトル:Odd-even layer-number effect of valence-band spin splitting in WTe2

著者:Masato Sakano*, Yuma Tanaka*, Satoru. Masubuchi*, Shota Okazaki, Takuya Nomoto1, Atsushi Oshima, Kenji Watanabe, Takashi Taniguchi, Ryotaro Arita, Takao Sasagawa, Tomoki Machida, and Kyoko Ishizaka (*equally contributed)

DOI番号:10.1103/PhysRevResearch.4.023247

URLhttps://journals.aps.org/prresearch/abstract/10.1103/PhysRevResearch.4.023247

6.用語解説

1)角度分解光電子分光
物質に光を照射すると、電子(光電子)が試料から真空中へ放出される。その光電子の運動エネルギー、および脱出角度を調べることによって、物質中の電子のエネルギーと運動量を直接観測できる実験手法。
2)原子層フレーク
原子数個分の厚さであるシート形状の試料。今回の研究では、テープを用いて繰り返し剥離することによって原子層フレークを作製することができる。
32層~5WTe2
タングステン(W)原子の歪んだ三角ネットワークがテルル(Te)原子の歪んだ三角ネットワークによって挟まれた結晶構造を単層とし、それが2層〜5層積み重なっている2次元物質。

 4)グラファイト
グラフェンが積層した構造を有する層状物質。
5)単層グラフェン
炭素原子が蜂の巣形状にネットワークを作った、シート状の2次元物質。
6)スピン分裂
電子自身が有する磁石の性質であるスピンの自由度の数に対応して、電子構造が2つに分裂すること。
7)第一原理電子構造計算
量子力学の基礎的な方程式を用いて、物質を構成する原子の種類と位置の情報から電子構造を計算する手法のこと。結晶構造さえ決まれば非経験的に電子構造を得ることができるため、性質の不明な新物質に対しても威力を発揮する。

 
7.添付資料
fig1
1 (a)実際の測定に用いた、角度分解光電子分光によるWTe24層)の電子構造観測を行うためのグラフェン/WTe2/グラファイト/hBN積層体の光学顕微鏡写真。最表面のグラフェン(青破線)は大気による酸化の抑制をしており、WTe2(赤破線)の下のグラファイト(白破線)は光電子放出に伴う帯電を防ぐために金電極(黄色)に接触している。hBN(緑色)は積層を安定させるために用いている。積層順序の模式図は右下に示している。(b)角度分解光電子分光測定に用いた2層~5 WTe2 (白枠)の光学顕微鏡写真。赤線は0.01 mmを示している。

fig2
2 (a)-(d) 角度分解光電子分光によって観測された2層から5WTe2の電子構造。2層および4層において電子構造が2つに分裂している様子がわかる。


プレスリリース本文:PDFファイル
Physical Review Research:https://journals.aps.org/prresearch/abstract/10.1103/PhysRevResearch.4.023247