プレスリリース

世界最高品質の単元素トポロジカル・ディラック半金属を実現~新しいトポロジカル電子材料と量子デバイス技術のプラットフォーム形成に道~

 

1.発表者
レ デゥック アイン (Le Duc Anh)(東京大学 大学院工学系研究科附属総合研究機構 助教)
高瀬    健吾(東京大学 大学院工学系研究科電気系工学専攻 修士2年(研究当時))
千葉    貴裕(福島工業高等専門学校 講師)
小田    洋平(福島工業高等専門学校 准教授)
瀧口    耕介(東京大学 大学院工学系研究科電気系工学専攻 博士3年)
田中    雅明(東京大学 大学院工学系研究科電気系工学専攻 教授/

                          附属スピントロニクス学術連携研究教育センター センター長)

2.発表のポイント
原子レベルで制御可能な結晶成長法を駆使し、世界最高品質の単結晶ダイヤモンド型結晶構造を もつα-スズ(α-Sn)薄膜をIII-V族半導体(注1)上に作製することに成功しました。
量子輸送測定と解析により、α-Snがトポロジカル・ディラック半金属(注2)であること、膜厚を薄く すると2次元トポロジカル絶縁体(注3)および通常の絶縁体になるなど、多様なトポロジカル相を持つことを示しました。
α-Sn薄膜は、材料物性の良い制御性、主要な半導体との整合性、環境にやさしい単元素構造から、トポロジカル物性機能の開拓と将来の量子情報デバイスのための新しいプラットフォームとして大きく期待されます。

3.発表概要
東京大学大学院工学系研究科附属総合研究機構のレ デゥック アイン(Le Duc Anh)助教、電気系工学専攻の高瀬健吾氏(研究当時修士2年)、瀧口耕介氏(博士3年)、田中雅明教授のグループは、福島工業高等専門学校の千葉貴裕講師、小田洋平准教授との共同研究で、世界最高品質のα-スズ(α-Sn)薄膜をIII-V族半導体インジウムアンチモン(InSb)基板(001)上に結晶成長(エピタキシャル成長)させることに成功し、α-Sn薄膜の様々なトポロジカル物性を初めて明らかにしました。Snはケイ素(Si)、ゲルマニウム(Ge)と並んで、IV族元素の一つですが、SiやGeと同じダイヤモンド型結晶構造を持つα相(α-Sn)の場合には禁制帯幅(注4)がゼロであり、強いスピン軌道相互作用(注5)を持つことにより伝導帯と価電子帯が反転する特異なバンド構造(注6)を持つなど、様々な興味深い物性を有しています。このα-Sn薄膜に歪みを加えると、面内格子定数が引っ張られる場合(伸張歪)にはトポロジカル絶縁体となりますが、逆に縮められる場合(圧縮歪)にはトポロジカル・ディラック半金属となることが理論上知られています(図1a)。特にトポロジカル・ディラック半金属は、他の様々なトポロジカル相に転移できる親の相 (parent phase)として重要な材料ですが、これまで実験で確認された例が非常に少なく、Na3BiとCd3As2しかありません。α-Snは単純な単元素構造でありながら外部制御により様々なトポロジカル物質になりうるため、トポロジカル物性の探索や量子情報デバイスへの応用に適しており非常に有望な材料です。しかし、これまでの研究では品質の良いα-Sn薄膜の作製がきわめて困難であったため、理論的に予測・期待された性能が実現されておらず、実際の物性や機能は不明なままでした。
研究グループは、最先端の分子線エピタキシー法(注7)を用いて様々な膜厚のα-Sn薄膜を成長させ、完璧なダイヤモンド型単結晶構造と界面の原子層レベルまでの平坦さをもつ最高品質のα-Sn薄膜を作製することに初めて成功しました。その結果、磁場をかけたときの電気伝導度の振動(シュブニコフ・ド・ハース振動)(注8)を様々な温度で明瞭に観測しました。この実験結果を解析することによりα-Snのフェルミ面が横断するバルクと表面バンドの有効質量(注9)、量子移動度(注10)、ベリー位相シフト(注11)など、様々な重要なバンド構造の情報を初めて実測しました。研究グループが作製したα-Snの量子移動度は、30,000 cm2/Vs程度であり、先行研究に比べて10倍も高い値であることが分かりました。また、α-Snのバルクバンドと表面バンド両方に特徴的な線形なバンド分散を持つディラック電子(注12)が存在することが判明しました。この結果から、InSb (001)上で成長したα-Snが数少ないトポロジカル・ディラック半金属であることを、世界で初めて量子輸送測定を用いて実証したことになります。さらに、α-Sn試料の膜厚を薄くしていくと、電子状態の量子閉じ込め効果(注13)によりα-Snがトポロジカル・ディラック半金属から2次元トポロジカル絶縁体、そして通常の絶縁体に相転移することも明らかにしました。
本研究により、α-Snは単純なダイヤモンド型結晶構造、主要な半導体との良い整合性を持ち、かつ環境にやさしい単元素材料であり、将来のトポロジカル物性と新機能量子デバイス開発のための有望なプラットフォームとして大きく期待される材料であるといえます。

4.発表内容
「トポロジカル・ディラック半金属」では、グラフェンのようにエネルギーと運動量(波数ベクトル)との関係(バンド分散)が線形である「ディラック電子」がバルクの電気伝導を担います。ディラック電子は極めて有効質量が小さく、移動度が高いため超高速電子デバイスへの応用が期待されています。また、材料に強いスピン軌道相互作用があると、ディラック電子のスピン方向と運動量方向が強く結合する「スピン・運動量ロッキング」という現象が知られています。これにより、ディラック電子の流れによる電流はスピン偏極を伴うため、トポロジカル・ディラック半金属は電子の「電荷」と「スピン」の両方の自由度を活用するスピントロニクスデバイス(注14)や量子情報デバイスに使える有望な材料プラットフォームとなることが期待されています。一方、物性物理学の基礎研究の観点からも、トポロジカル・ディラック半金属は他の多くのトポロジカル物質状態へ相転移させることが可能であるため、トポロジカル物質の「親」となる相として重要な研究対象と考えられています。
固体のバルク電子状態において、ディラック電子を実現するためには、異なるバンド成分(伝導帯と価電子帯)が交差し、線形なバンド分散を持つ3次元「ディラックコーン」という特徴的なバンド構造の存在が必要とされています。しかし、このディラックコーンが安定に存在できるためには、材料構造の高い対称性と高品質の結晶性が要求されるため、実現が非常に難しいことが知られています。このため、現在トポロジカル・ディラック半金属として実験的に確立された例は非常に少なく、Na3BiとCd3As2しかありません。
このようなトポロジカル・ディラック半金属状態を実現できる候補材料の中で、α-Snは単元素からなる唯一の材料であり、ユニークかつ有望な物質です。α-Snの材料構造の単純さ、主要な半導体との良い整合性、環境にやさしいという点から、作製プロセスが簡易で、物性を制御しやすく、デバイス作製などの産業応用につながりやすいという大きなメリットが期待できるからです。しかし、先行研究では薄膜成長技術が十分でなかったため、品質の良いα-Sn薄膜の作製ができず、期待されるトポロジカル物性を実現することができませんでした。もし、高品質のα-Sn薄膜を実現できれば、トポロジカル物性を中心とする固体物理学の進展とともに、新しい量子デバイス応用の可能性を開くという観点からも非常に大きな進歩となります。

①研究内容
研究グループは、最先端の分子線エピタキシー法を用いて、格子定数が近いIII-V族半導体インジウムアンチモン(InSb)基板(001)上にα-Sn薄膜(膜厚:21~56原子層)を成長させました。InSbの格子定数はα-Snより0.15%小さいため、α-Sn 層に圧縮歪がかかってトポロジカル・ディラック半金属になると期待されます。α-Sn薄膜の成長の前に原子層レベルで平坦なInSbバッファー層を成長し最上表面をIn原子で終端させること、α-Snの成長温度が零度以下(-5℃)にすることなど様々な工夫をした結果、非常に高品質のダイヤモンド型単結晶構造と原子レベルで平坦な界面を持つα-Sn薄膜の結晶成長に成功しました。研究グループが成長したα-Sn薄膜において、膜面に垂直方向に磁場を印加し、面内の電気伝導度を測定したところ、明瞭なシュブニコフ・ド・ハース振動を2 Kから20 Kまでの様々な温度で観測し、量子移動度が先行研究に比べて10倍も高く大幅に向上したことが分かりました。電気伝導度の磁場に対する振動の成分の解析により、α-Snのフェルミ面が横断するバルクの重い正孔バンドとトポロジカル表面バンドのそれぞれの有効質量、量子移動度、トポロジカル位相シフトなど、バンド構造の本質的な特性を初めて明らかにしました。また、各バンドの電子キャリアのトポロジカル位相シフトから、α-Snのバルクバンドと表面バンドの両方の電子がディラック電子であることが判明し、InSb (001)上に成長したα-Snがトポロジカル・ディラック半金属であることを世界で初めて実証しました。このように電気伝導におけるシュブニコフ・ド・ハース振動の測定と解析、および第一原理計算によるバンド構造の理論計算を合わせることによって、α-Sn薄膜の様々な歪みと膜厚におけるトポロジカル物性を明らかにしました。膜厚を薄くすることにより、電子状態の量子閉じ込め効果が強くなり、α-Sn薄膜がトポロジカル・ディラック半金属から、2次元トポロジカル絶縁体、そして通常の絶縁体に相転移するといった豊富なトポロジカル状態を示すことも明らかにしました。     

②社会的意義・今後の予定
トポロジカル物質とは、トポロジーという数学的な概念を物性物理学に適用することで電子状態や伝導現象など物性が理解される物質であり、近年の物質科学では最も盛んに研究されているホットな分野です。2016年のノーベル物理学賞は、物質のトポロジカル性質の解明の先駆けとなる発見をなしとげた3人の理論研究者に授与されました。その背景には、次世代の高速・低消費電力デバイスを目指すスピントロニクスや量子コンピュータに使われる量子情報演算技術への応用に対する強い期待があります。しかし、実際のデバイスや集積回路を作製しようとすると、材料の品質と制御性、既存技術との整合性が常に問われ、そのような要求を満たすトポロジカル物質は見つかっていません。本研究対象のα-Snは、単元素からなり結晶構造が単純であること、半導体材料との整合性が良いこと、有毒物質ではなく環境にやさしいことから、多くのトポロジカル材料の中でもユニークかつ最も有望な材料と考えられます。よって、将来のトポロジカル物性と量子デバイス開発のためのプラットフォーム材料として期待されます。
本研究への支援:本研究は、科学研究費補助金、科学技術振興機構 さきがけ(No. JPMJPR19LB) およびCREST (No. JPMJCR1777)、スピントロニクス学術研究基盤と連携ネットワーク (Spin-RNJ)の支援を受けて行われました。

5.発表論文誌: 
雑誌名:Advanced Materials (10月14日オンライン版)
論文タイトル:Elemental Topological Dirac Semimetal α-Sn with High Quantum Mobility
著者:Le Duc Anh, Kengo Takase, Takahiro Chiba, Yohei Kota, Kosuke Takiguchi, and Masaaki Tanaka
DOI番号:10.1002/adma.202104645
アブストラクトURL:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adma.202104645

6.用語解説
(注1)III-V族半導体:III族元素とV族元素からなる化合半導体であり、高速電子デバイスや光デバイスに使われている。代表的なIII族元素としてはアルミニウム(Al)・ガリウム(Ga)・インジウム(In)、V族元素としては窒素(N)・リン(P)・ヒ素(As)・アンチモン(Sb)がある。
(注2)トポロジカル・ディラック半金属:物質のトポロジカル相の一つ。グラフェンのようにバンド構造中にエネルギーと運動量との関係(バンド分散)が線形である「ディラックコーン」が存在すると考えられる。高い移動度やスピン・運動量ロッキングによる長いスピン緩和長などの性質を持ち、次世代の高速・低消費電力デバイスの有力な候補材料として期待されている。
(注3)トポロジカル絶縁体:物質のトポロジカル相の一つ。バルクの電子状態は禁制帯を持つ絶縁体であるが、表面あるいは界面では線形なバンド分散を持つギャップレス(禁制帯がない)の金属状態(2次元ディラックコーン)が現れる。トポロジカル・ディラック半金属と同じように、次世代の低消費電力デバイスの有力な候補材料として期待されている。
(注4)禁制帯幅:半導体や絶縁体材料では、結晶中を自由に運動できるキャリアが存在するエネルギー帯(伝導帯)と共有結合に参加して自由に動けない電子が存在するエネルギー帯(価電子帯)が存在する。伝導帯の下端と価電子帯の上端の間は、電子が存在できないため禁制帯と呼ばれる。禁制帯のエネルギー幅を禁制帯幅という。
(注5)スピン軌道相互作用:電子が持つ軌道角運動量とスピンの間の相互作用。電子が電場中を高速に運動する際、磁場を感じる相対論的な効果であり、相対論的量子力学を創設したDirac によって導かれた。固体物理学やスピントロニクスの様々な分野で重要な役割を果たす。
(注6)バンド構造:固体内の電子が運動量によって取れるエネルギー準位の帯状構造。 通常はエネルギーが低い順から価電子帯、禁制帯、伝導帯が並ぶが、トポロジカル材料では価電子帯と伝導帯のエネルギーの順序が反転することが知られており、そこから様々な新しい物性が誘起される。
(注7)分子線エピタキシー法:結晶成長に使われている手法の一つ。超高真空チェンバーにおいて各原料を加熱して発出される分子線を、基板に到達させて結晶成長(エピタキシャル成長)を行う方法。原料組成と膜厚を原子層単位で制御でき、純度が高く結晶性が優れていること、電子線回折を用いて成長中の表面、膜厚、品質をリアルタイムで観測できることなど、様々な利点を持つため、新材料やヘテロ構造の形成をはじめとする研究開発から産業応用まで広く使われる。
(注8)シュブニコフ・ド・ハース(Shubnikov de Haas)振動:伝導体の抵抗または伝導度が磁場の逆数に対して周期的に振動する現象。磁場中で電子が磁場に垂直な面内で円運動(サイクロトロン運動)することにより、電子状態が離散的なランダウ準位となりエネルギーが量子化され、電子の散乱に寄与するフェルミ準位(物質中で電子が占有するエネルギーの最高値)における状態密度が磁場を変えると周期的に変動するために生じる。振動の振動数、磁場依存性、温度依存性からフェルミ面の大きさ、電子キャリアの移動度、有効質量などを知ることができる。
(注9)有効質量:固体中の伝導電子は結晶格子や他の電子と相互作用しながら運動する。しかし、この固体中の伝導電子の運動を自由な電子の運動とみなして近似する時、見かけ上の質量は真空中の自由な電子の値と異なるため、有効質量と呼ばれる。この値はシュブニコフ・ド・ハース振動の温度依存性から見積ることができる。ディラック半金属などでは、ディラック電子は線形なバンド分散をもつため非常に軽い有効質量をもつ(高速に運動できる)と考えられる。
(注10)量子移動度:電子移動度とは、物質中での電子の移動のしやすさを示す量で、電気伝導現象を支配する重要な物理量である。単位はcm2V-1s-1で、加速電界1V/cmを印加したときに電子が到達できる平均速度と解釈できる。シュブニコフ・ド・ハース振動など量子輸送現象から見積もった移動度は量子移動度と呼ばれる。ディラック半金属などではディラック電子が非常に高い量子移動度をもつと考えられる。
(注11)ベリー位相シフト:物質中の電子を記述する波動関数(ブロッホ関数)が示す幾何学的な位相である。シュブニコフ・ド・ハース振動の測定では、電子が磁場中のサイクロトロン運動を行う際に波動関数の幾何学的な位相を獲得できるため、観測される振動の位相にずれが生じる。このずれをベリー位相シフトと呼んでいる。このベリー位相シフトの値によって電子キャリアがディラック電子であることを証明できる重要な指標である。
(注12)ディラックコーンとディラック電子:固体中の電子のエネルギーの分散関係(エネルギーと波数ベクトルの関係)が線形である(「線形なバンド分散」という)場合、ディラック方程式を用いて記述できるため「ディラックコーン」と呼ばれる。 このようなバンド構造を持つ固体中の電子を、「ディラック電子」と呼ぶ。
(注13)量子閉じ込め効果:物理系のサイズを電子のド・ブロイ波長程度(ナノメートルスケール)にまで薄くすると、電子や正孔の波動関数が閉じ込められて定在波となりエネルギーが離散的になる現象である。
(注14)スピントロニクス:電子は「電荷」とともに自転の角運動量に相当する「スピン」を持っている。スピントロニクス (Spintronics)とは、「電荷」と「スピン」の両方を活用して、新しい機能をもつ物質や材料の設計、デバイス、エレクトロニクス、情報処理技術などに応用しようとする分野である。

7.添付資料

 
図1 (a) ダイヤモンド型結晶構造を持つα-Sn薄膜に歪みを加えると、面内格子定数が引っ張られる場合(伸張歪を与える場合)にはトポロジカル絶縁体(バンド構造の禁制帯中に表面状態の2次元ディラックコーンが現れる)となるが、逆に縮められる場合(圧縮歪を与える場合)にはトポロジカル・ディラック半金属(バンド構造に3次元のディラックコーンが存在する)となることが理論上知られている。また、厚さ数十nm以下に薄膜化された試料では、量子閉じ込め効果によりα-Sn薄膜は2次元トポロジカル絶縁体になる(ディラックコーンに、量子化による禁制帯と1次元のエッジ状態(右上図、禁制帯中の黄色い線)が誘起される)といった豊富なトポロジカル相図を持つことを本研究で明らかになった。(b)研究グループが作製したα-Sn薄膜の透過型電子顕微鏡による結晶格子像。完璧なダイヤモンド型単結晶構造と原子層レベルで平坦な界面が得られたことがわかる。(c) 研究グループが作製したα-Sn薄膜において、膜面に垂直方向に磁場を印加し電気伝導度を測定すると明瞭な振動(シュブニコフ・ド・ハース振動)が低磁場領域から観測された。量子移動度が先行研究に比べて10倍も高く、最高品質のα-Snが得られたことがわかる。


プレスリリース本文:PDFファイル

Advanced Materials:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adma.202104645

福島工業高等専門学校:https://www.fukushima-nct.ac.jp/fk_news/post_418.html

科学技術振興機構:https://www.jst.go.jp/pr/announce/20211015/index.html

日本経済新聞:https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP619649_V11C21A0000000/